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「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
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日本の銀行の強み

 

 日本の銀行の強みのひとつは、事務、オペレーションの正確さ、早さである。欧米の金融機関の事務ミスの多さ、事務の遅さにはあきれることがある。僕の経験例で言うと、僕がデリバティブの仕事に携わっていた頃のこと、資本市場業務関連のデリバティブ取引で契約されていた二千万円ものバックエンドフィー(満期日に支払う手数料)を、或る外資系金融機関のバックオフィスの外人担当者が、そんな約定は無いから受け取れないと言い張って困ったことがあった。もともとの契約書に当たるわけでもなく、フロントの担当者に確認するでもなく、ただ自分の手元の伝票にそんなフィーの記載は無いと言い張る、およそ仕事への誠実さを欠いた態度にあきれたものである。二千万円といえば決して小さな金額ではない。それを要らないと言うのだ。邦銀は、金融先端技術では欧米金融機関に引けを取るかもしれないが、バックオフィスの優秀さ、比較優位は現在に至るまで変わっていないと思う。

 かつては、アジアの銀行から事務の技術指導が求められたことさえあった。二〇〇〇年一一月一日の日経新聞に、アセアンへの技術協力論が掲載されていたが、かつてはこうした「銀行技術」の協力論が盛んだった。ようやくこうした論が復活してきたようだ。

 何故こうした邦銀の美点を生かそうとしないのか。怪しげな運用商品の紹介よりも、こうした「信頼」の方が、消費者がはるかに欲するサービスではないか。唯一の元本保証商品を扱う銀行は「安全・確実」こそ売り物である(ただしそれは廉価で提供すべきだろう。クラーク的仕事の労働コストが高すぎないかは要検討である)。また、邦銀の低利ざやは国際的には非難されているが、日本の借入人にとっては「サービスの良さ」にほかなるまい。

 こうしたことを、山家悠紀夫氏(第一勧銀総合研究所専務)が斉藤精一郎氏(立教大学教授)との対談で主張されているのに僕は共感を覚えた(二〇〇〇年三月二七日付日経新聞)。斉藤氏が日本の銀行業にはイノベーションが必要であると煽り立てるのに対し、山家氏はそもそも銀行業に画期的なイノベーションなどあるのか、と、全うな疑問を呈し、そのイノベーションなるものが消費者のためになるのかを率直に問いかける。邦銀の事務ミスの少なさは、まさにロナルド・ドーア氏の言う、株価にばかり敏感な経営とは無縁の、真の「技術」である(二〇〇〇年一月五日付日経新聞「経済教室」)。山家氏にしろドーア氏にしろ、良心ある人たちは地に足のついた議論をするものだ。「イノベーション」をお経のように唱え流行を煽る斉藤氏の無責任さは救いがたい。

平成一三(二〇〇一)年三月四日