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「古典派からのメッセージ・2001年〜2002年編」目次へ戻る
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銀行生活雑感(二〇〇一年)

 

若さの価値

 桜の季節、公的管理から出てようやく半年経った小生の銀行も数人の新入社員を迎えました。人事屋という職務柄、彼らに歓迎の言葉を述べましたが、彼らの緊張した表情がとても初々しく可能性に富んだものに感じられました。新人を配属した部署からは、職場の雰囲気がパッと明るくなったとの報告もあり、若い人を迎え入れることで組織も活性化するのだな、と、つくづく若いということの貴重さを感じた次第です。

平成一三(二〇〇一)年四月七日

 

銀行への信頼

 銀行は信用されることによって成り立つ産業である。したがって、油断のならない政治家風の役職員は不可である。バンカーは、若い人から自分もこういうふうになりたいと尊敬を寄せられることが必要であり、自分のカネを安心して委ねられる信頼ある人物でなければならない。そしてそういう企業文化を育てなければならない。他社株転換債のオプションが行使されないように満期近くに対象銘柄を売りに売って株価を急落させるといったような、一部の外資系証券会社がやっている悪どい商法を、銀行は決して行ってはならない。

平成一三(二〇〇一)年五月二六日

 

特殊法人の大整理

 今日の日経新聞に、国の財政投融資の運用先である特殊法人の大半(住宅金融公庫、道路公団など)が新規借入をしないと元利金を返済できない不健全な財務状態にあるとのレポートが紹介されていました。さもありなん、と思いました。小泉首相の持論である郵便貯金の民営化は、川下たる特殊法人の大整理をも伴うべきでしょう。

平成一三(二〇〇一)年五月二六日

 

官僚的腐敗

 相対するお客様の顔を見ないで隣席の社長を見て話をする日本のビジネスマンが多いという。昔、僕の上司にS課長という人が居た。取引先の重役を大勢お招きした接待ゴルフ会の事務局を務めていた僕は、一八ホール終えて上がってきたS課長に「今日のゴルフ会はどうでしたか」と尋ねた。もちろん、お客様が喜んでくださるようないい雰囲気だったか確認したかったのである。ところがS課長曰く「前半は六九で好調だったが、後半崩れたよ云々…」何と彼は自分や上司のゴルフの調子について滔々と話し出したのである。顧客志向どころではない。このような内部ばかりに目が向いた官僚的腐敗を追放しなければ企業は亡びる。

平成一三(二〇〇一)年六月一三日

 

小人数の良さ

 僕の勤務先銀行は役職員の数が約一五〇〇人で、メガバンクの二〇分の一程度の規模である。ここでは、人事異動の際、行員の家庭事情をできるだけ考慮している。特に親の面倒をみなければならない人を親元から離すような人事は原則としてしない。メガバンクではこうはいかないだろう。小人数だからこそ、行員の家庭事情まで把握可能なのであり、こういう木目細かい配慮ができるのである。

平成一三(二〇〇一)年六月一三日

 

Kさんの教え

 この人が部長だった時、課長だった僕は、目標管理の大切さ、人事評価の厳密さの重要性を教えられた。五段階評価の真ん中を中心に点をつけるように指導を受けた。その頃我が社の評点つけは、おおむね五段階であっても上位二段階に評価が集中しがちであった。また、その期の活動から生じる、リスク・経費控除後の現在価値ベースの収益を評価の基準にすべきことも教わった。

平成一三(二〇〇一)年七月三一日

 

心の故郷

 今週は、小生の勤め先銀行を中途退社して様々な領域で活躍している人たちと会う機会がありました。ありがたいのは、みんな、いまだに我が行を故郷と感じ、陰日なたに我が行を応援してくれていることです。彼等のためにも、一日も早く銀行再生の歩みを確かなものにしたいと念ずる次第です。

平成一三(二〇〇一)年九月一日

 

真剣勝負

 人事の仕事で辛いのは、諸々の事情で戦略的分野に充分な人的資源を投入できない時です。今週も、今がまさに旬の仕事をしているH君から、早急に人を付けて欲しいと強く懇請を受けました。H君の触れると切れるような真剣な仕事への意気込みは素晴らしく、小生も適正な人的資源配分への真剣勝負を心に誓いました。

平成一三(二〇〇一)年九月八日

 

文化産業への支援

 アニメ制作や映画配給といった業種に対し、その作品ごとにファイナンスを付ける、「コンテンツ・ファイナンス」を当行が展開し始めた。これは、日本文化の得意分野で国際的に通用する業種―日下公人氏の言う「文化産業」―への支援であり、当行の特色ある業務の一つになり得る。こうした新金融技法は、三〇代前半の若い人たちのアイディアで始まったものである。若い人のこうした自主的で創造的な新規業務展開を伸ばす企業風土をこれからも維持発展させて行きたい。

平成一三(二〇〇一)年一〇月二〇日