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真夏の夜のヘンデル

 

 ヘンデルのオペラの良さは一にも二にもアリアの素晴らしさにあり、それは通俗美と紙一重のところで人間の崇高さを表現している。陶酔感の中でα波が飛び交い、聴き手を深く癒す音楽である。特にソプラノのアリアではその効果が著しい。当時のカストラート(去勢された男性の高音歌手)たちは、これら「ソプラノで」と指定された曲をどんな力強い歌い方で歌ったのだろうか? 想像しただけでめまいがするほどの陶酔感である。

 さる七月一九日にバッハ・コレギウム・ジャパンのヘンデルの演奏会に行った時も、オペラ作曲家ヘンデルの素晴らしさを再認識することになった。この演奏会のプログラムは主に宗教音楽であり、特に、埋もれていた資料の中から一昨年「発見」された、イタリア時代の若い頃の作品「グロリア」が注目の的であった。

 これら宗教曲では、一定の節度を必要とするだけに、アリアもはじめのうちは「抑え気味のオペラアリア」といった感じであるが、曲が進むに連れてだんだんヘンデルの筆は走り、最後の方は完全に華やかなオペラの一節になってしまっていた。特に詩編第一〇九番「主はわが主に言い給いぬ」(HWV二三二番)は、ソロありデュエットありフーガあり、かつ、合唱のありとあらゆる技巧を惜しげも無くつぎ込んだ、聴衆へのサービス精神たっぷりな曲であった。この曲はアマチュアの合唱団には演奏が至難と思われた。

 ヘンデルと比べるとバッハは音楽の作りが生真面目で、劇的要素には乏しい。生演奏で聴くなら一般にはバッハよりヘンデルの方が楽しめる。モーツァルトはヘンデルが大好きで、ヘンデルの曲を何曲も「当世風」に編曲している。二人とも劇音楽の天才であり、モーツァルトがヘンデルに惚れたのもそうした素養の共鳴によるのだろう。

 真夏の夜にはヘンデルが似つかわしい。

平成一四(二〇〇二)年七月一九日