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「古典派からメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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私の「謡・仕舞」稽古日誌(二〇〇三年)

 

事始め

 この度、さる人のお誘いで、能を習い始めました。能は謡から入る方法と仕舞から入る方法がありますが、小生はもともと能を音楽として聞くのが好きでしたので、謡から習うことにしました。師匠は当地金沢の宝生流能楽師、薮俊彦先生です。金沢は、前田家が宝生流の能を保護したことから、明治以降も宝生流の能が盛んで、「空から謡が降ってくる」街と言われてきました。今ではかつての勢いはないようですが、それでも伝統は引き継がれており、若い女性も含め、能を習う人が結構いらっしゃるようです。

 最初は、京の五條大橋での弁慶と牛若丸の出会いを描いた物語「橋弁慶」を習い始めました。先生の「コク」のある声と比べて、ただ棒読みをしているような程度なのですが、思い切り大きな声を出すなどという機会は日常生活で少なくなっているだけに、大声で謡うのは気持ちが良いものです。

平成一四(二〇〇二)年一二月八日

 

能舞台デビュー

 先週、小生の謡の師である藪俊彦先生の社中「篁宝会(こうほうかい)」の例会がありましたが、その際、多くの達人に混じって、何と小生が素謡で「橋弁慶」の牛若丸を謡う機会を持たせていただきました。大勢の先輩方の地謡を背に、県立能楽堂の能舞台にデビュー(?)した次第です。弁慶役(シテ)のMさん、従者役(ツレ)のEさん、それに牛若丸役(子方)の小生の三人で謡ったのですが、舞台での緊張感は想像以上でした。しかし先輩方の堂々たる地謡に支えられて何とか無事に謡い終えました。弁慶役のMさんは、小生より半年ほど長く習っておられ、節回しなどもかなり熟達しておられます。従者役のEさんは小生とほぼ同時期に入門された方で、ふたりとも小生と同じく金沢の宝生能に惹かれて謡を習っている転勤族です。さる二六日は小生の満四七歳の誕生日でしたが、いい記念になりました。

平成一五(二〇〇三)四月二九日

 

初めての発表会

 きょう日曜日は、薮先生の社中「篁宝会(こうほうかい)」の春の大会があり、小生も「土蜘(つちぐも)」の連吟で出演させていただきました。謡の出来はともかく、紋付き袴を着るのは気分が引き締まっていいな、と思いました。多分結婚式以来の紋付き袴だと思います。

平成一五(二〇〇三)五月二五日

 

緑樹 影沈んで…

 小生の謡の稽古も先週から三曲目に入りました。今度の曲は「竹生島」で、春うららかな琵琶湖を舞台に、竹生島の弁才天の気高く美しい「天女の舞い」と、衆生済度を志す龍神の豪快な「舞働き」とが対照的に演じられる、祝祭的な気分の曲です。作者は不明(金春禅竹との説あり)ですが、この曲も詞が素晴らしいのです。まさに「声に出して読みたい日本語」です。

 緑樹 影沈んで

 魚 木に登る景色あり

 月 海上に浮かんでは

 兎も波を走るか

 面白の浦の景色や

このへんの名文句は、小生の下手な「謡」ならぬ「唸り」では味わいもありませんが、我が師匠のほれぼれするような発声によると、魚が木に登り兎が波を走る湖の幻影が本当に目に浮かんでくるのです。

 先日乗ったタクシーの年配の運転手さんが、自分の若い頃はそこら辺の職人の親分が近くの若者を集めて謡を教えていたそうで、その運転手さんも五、六番は習ったそうです。また、立命館大学で教えている遠い親戚に当たるおばさまから先週いただいたメールに、彼女も昔は仕舞と謡を習っていたとありました。こうした「生活に息づいた古典文化」を取り戻すことはできないでしょうか。古典は何も教科書でばかり習うものではありません。生活の中に生きて伝承される古典文化こそ、私たちの体に染み込み、知らず知らずのうちに心の栄養になるものだと小生は考えます。

平成一五(二〇〇三)六月八日

 

「小袖曾我」の夏

 さる水曜日に、謡の稽古で初めて藪先生のご自宅へうかがいました。先生がお稽古なさる桧張りの能舞台やお茶室を見せていただき、帰りには冷茶までごちそうになりました。今回から、曾我兄弟の仇討ちにまつわる母子の情愛を描いた「小袖曾我」という曲を習い始めました。「小袖曾我」はメロディの乗りが良く、特に最後の曾我兄弟が舞う場面以降は名調子です。作曲者(節付けをした人)の技量を感じます。帰り道、セミの大合唱の中、頭には曾我兄弟が颯爽たる狩姿で謡う謡が鳴り響いていました。

平成一五(二〇〇三)八月一六日

 

秋の発表会

 二一日(日)は、薮先生の社中「篁宝会(こうほうかい)」の秋の発表会が能楽堂であり、小生も「小袖曾我」の連吟で出演させていただきました。謡もまだ満足に出来ませんが、どうせ紋付き袴を着けて舞台に出るのなら、謡より仕舞で出た方がかっこいいな、などと勝手に思いました。

 発表会の後、十人ほどのお仲間で打ち上げをやろうということになり、小生も厚かましく加わらせていただきました。この打ち上げは本当に賑やかで和気藹々として楽しいものでした。八〇歳を超えた方から二〇歳代の人まで、また、能のキャリアも、小生のようにまだ一年にもならない者からもう何十年とやっておられる方まで、まさに老若男女、素人から大ベテランまで、同じ道を志し能を愛する人たちの、分け隔て無い心温まる集いに感激しました。

平成一五(二〇〇三)九月二三日

 

目立ちたくて(?)仕舞も始める

 「どうせ紋付き袴を着けて舞台に出るのなら、仕舞で出た方がかっこいいな。」という思いがふくらんでいたところへ、藪先生のホームページの管理人をされているUさんから、

「どうぞ、なさって下さい、仕舞。男の方が紋付袴で舞われる姿は、かっこいーです。ぜひ舞って下さい。応援致します。宝生流仕舞集のビデオ、宜しかったらお貸しいたします。本も安いものではありませんので、お貸ししても宜しいです。習われるなら、お気軽にお申し付けください。」

という親切極まりないメールをいただき、

「きょうは、仕舞のビデオと本をお貸しいただき、ありがとうございました。何とか金沢に居る間に『高砂』くらいは舞えるようになりたいと念じ、次回から謡ともども習うことにしました。本当にありがとうございました。」

という返事をしてしまい、さらにUさんから追い打ちで、

「どういたしまして。金沢にいらっしゃる間に少しでも多く本舞台で地謡をバックに舞われて素敵な思い出ができると良いですね。かっこいー舞姿を拝見できる日を楽しみにしています。(にっこり)」

とのメールをいただいてしまい、ついに今月から、謡に加えて、仕舞も習うことになりました。

 最初の題材は、能「高砂」の最後の部分です。能は「歌舞劇」と言われるように、謡と仕舞が重要な要素です。稽古では、まず、自然体の柔らかい姿勢、スムーズな足の運び、扇の正しい扱いなどを教わっていますが、初心者の小生にとっては、どれも大変難しく感じられ、悪戦苦闘中です。しかし、先人たちが築いてきた、良き「身体の型」の伝統の末席に連なることができることは小生の大きな喜びです。

 斎藤孝氏は、「身体感覚を取り戻す」(NHKブックス)の中で、腰と肚(はら)の座りを重視した日本の伝統的「自然体」を、日常生活の中から生まれた身体文化として称揚し、近年次第にこの文化が消滅しつつあることに危惧を示しておられます。戦後、「型にはめるのは良くない。制約の無いことが『自由』だ」という思想がはびこり、正しい姿勢ということをやかましく言わなくなったせいでしょう。しかし、斎藤氏もおっしゃるように、どんな芸術も、そして私たちの生活も、適切な制約や抵抗が無いと「自由」は充実しません。「型」の無い「自由」は単なる放縦にすぎず、そこから生命の充実は生まれますまい。

 小生は、少年時代、相撲をとって遊んだ世代ですから、まだ、腰肚を据える文化がかろうじて体に残っていると思います。仕舞を習うことでこの身体文化を確実に我が物にしたいと考えています。そしてついでにかっこいい仕舞を人様に披露できたら良いのですが…(結局目立ちたいのが習う動機か?? f^_^; )。

平成一五(二〇〇三)一〇月一九日

 

仕舞に苦戦

 小生の仕舞「高砂」の稽古は三回を終えましたが、なかなか上達しません。先生は「誰でもそんなに早くできるようになるものではないですよ。」とおっしゃって下さいますが、何だか要領の悪い自分に自己嫌悪です。しかし、正しい姿勢とか正しいお辞儀の仕方とかを学ぶことが出来ることは幸福です。一方、謡の方は「小袖曾我」を終え、五曲目の「鵜飼」の稽古が始まりました。この曲も台本を読むとなかなか面白そうで、一度実際の演能を見てみたい曲です。

平成一五(二〇〇三)一一月九日

 

着付けに挑戦

 今日は、近所に着物の着付け教室があったので、紋付き、袴を自分で着られるようになろうと、習いに行きました。男の着物は要すれば帯の絞め方に尽きるのですが、小生の不器用な手先では中々うまく帯を締めたり袴の紐を結んだりできず、悪戦苦闘しましたが、これも仕舞と一緒で、何度も繰り返して体で慣れ覚えるしかないなと思いました。

平成一五(二〇〇三)一二月二七日