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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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福田恒存歿後十年記念講演会にて

 

 現代文化会議の主催した「福田恒存歿後十年記念講演会」に出かけた。十年前に没した福田恒存についての講演会が今生きる人々をどの程度動員できるのか、観客が少なくガラガラかもしれないな、と、不安を抱きつつ東京・竹橋の科学技術館の地下講堂に入ると、意外や、ほぼ満席に近い状態で、しかもかなりの熱気につつまれていた。聴衆の大半は僕より年長のシニア層だが、若い男女の姿も所々に見え、講演中一生懸命ノートをとる女子学生らしき二人連れもいた。国文科で福田恒存を専攻しているのだろうか。

 文藝春秋が福田全集を絶版にしてしまった今、この偉大なモラリストが日々忘れられるとしたら、日本国民は大切なものを失うことになる。今日の講演会がもしガラガラの状態だとしたら、既に日本国民は福田を忘れつつあるということだろう。しかしこの聴衆の多さと熱気、まずは一安心である。今日集まった人たちは福田ファンだろうから、少なくともこの人たちは福田の価値を周囲に語り伝えてゆくことだろう。彼の発言は万人に記憶されるべきであり、彼の著書は古典として永遠に受け継がれてゆくべきである。僕はそう確信する。


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 さて、講演会は、はじめに主催者である現代文化会議のメンバーから挨拶があり、次いで、福田の肉声による未発表の講演のテープが流された。この「幻の講演」のタイトルは「近代人の資格」であった。西欧が作り上げた近代社会は様々な矛盾をはらんでいるが、精神の超近代を求めるには、近代を呪い忌避するのではなく、「近代人に徹することで近代に抵抗する」ことが近代人の資格である、という趣旨だったと思う。

 福田は、近代が称揚する様々な価値観が実は非常に消極的な価値観であると指摘する。例えば「自由」について言えば、「自由」は常に「〜からの自由(貧困から自由、抑圧からの自由等々)」という形をとる。自由になったら何をしたいのか、という積極的な価値観を含んでいない。「平等」や「平和」も同様で、これら近代の価値観は、マイナスの状態をゼロにすることを目指す標語なのであって、マイナスが取り除かれた後、積極的にどんなプラスの価値を実現したいのかを述べていないのである。つまり積極的な「目的」ではなく単に「手段」に過ぎないはずの「自由」や「平等」や「平和」が目的化してしまったのが近代の矛盾なのである。人々は、人生にプラスの価値を見出そうと努力するのではなく、マイナスの状態を何とか除去しようとする。そして自分のマイナス状態をゼロにしようとするのみならず、他人のプラスをゼロにせんとして「足を引っ張る」精神の傾向が顕著になる。こうして近代は人々を絶対的な孤独に追い込む。

 私たちは精神の超近代を求めなければならない。しかしそれは、近代を否定して得られるのではない。矛盾を矛盾と知りつつ、近代的思考に徹することでこそ、近代に抵抗できるのだ、と福田は述べる。この点、福田は復古主義者でもなく、ロマン主義者でもない。徹底的な現実主義者だと言えよう。ただ、それは、消極的、手段的な近代の人生観に留まることを潔しとせず、積極的な人生観を希求する激しい情熱に燃えた現実主義なのである。福田には、常に、理想の人間像への熱烈な憧れがあり、人間を超えた存在を畏怖し希求する強い意志がある。僕はこの「幻の講演」を聞いて、改めてそう感じた。


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 さて、その後、脚本家・山田太一氏が「一読者として」と題して講演された。山田太一氏と福田恒存―この意外な取り合わせが僕の興味を強く惹いた。山田太一氏は、人間の生きざまを照射したようなテレビドラマの脚本を数々書いておられる優れた脚本家である。「男たちの旅路」シリーズ、「岸辺のアルバム」、「ふぞろいの林檎たち」シリーズ、「冬構え」といった番組が代表作である。山田氏は、講演の冒頭で、福田はその真価に値する評価を受けていないと強く感じ、福田を世間に顕彰したい志からこの講演を引き受けた、とおっしゃった。また、ちくま文庫から一昨年再出版された福田著「私の幸福論」の帯に推薦文を寄せたのも同じ志からとのことであった。では山田氏は「一読者として」福田の何に惹かれたのか。

 山田氏は、福田の人となりを、「深々と自分にも人々にもあきらめ果て、寛大になっている人」であると描写する。しかしそうした厭世家なら数多くいるし、その哀感を描く作家やエッセイストもまた多い。しかし福田はここから出発し発言を始める。反対意見を容易に想像できつつ、或いは「現代かな遣いの安易への傾き」をよくよくわかりつつ、なお、正かな正漢字の合理性を説いて止まない。また、気分左翼的言論が支配する中で、冷静かつ雄渾に、「正論」を、これでもかこれでもかと説く。深々とした自分や周囲へのあきらめ―にもかかわらず福田はくじけない。むしろそこから出発する。そこが並の厭世家や処世家と異なる福田の生き方である、と山田氏はその魅力を語る。

 「言論も人生も無意味である。人は偶然に生れ偶然に死ぬ。しかしそれなら意味ある人生を創ればいいではないか。人間はそうして劇を創ったのではないか。劇的なるもの、それこそ人生である。」これが福田の人生へのメッセージである。「宿命と死からこそ人間の個性が創られる。」これが福田の人生観である。「日本のチェホフでありたい。」これが福田の希望であった。山田氏のこうした言葉は、僕が何となく福田の魅力と感じていたことを、実に的確に表現していた。僕が何故福田にこだわるのか、これをまさに言い当ててくれた。僕は山田氏の講演を聞いていて、そんな充実感に満たされていた。


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 次に西尾幹二氏の講演「福田恒存の哲学」があった(以下の「 」中は、特に断り無き限りは西尾氏の言葉ないしはその要約)。その中から、僕が惹かれたいくつかの点についてメモ風に記してみたい。第一点は、現代も気分左翼的言論の亡霊が跋扈しているとの指摘。気分左翼的知識人または進歩派知識人の言論が無意味になっていることは既に論壇では共有されている。にもかかわらず、論壇で既に実証によって常識となっていること(例えば、第一次教科書問題で文部省が「侵略」を「進出」と書き換えさせたなどという事実は無いことや、従軍慰安婦の強制連行などという事実も無かったこと)がマスメディア、政治・行政には浸透せずに、朝日新聞の言論には今だに事実であったかのように出て来る。日本は、気分左翼、気分進歩派の金縛りに遭ったまま、中国に謝り続け、左翼的な報道と政策に沈溺している。「はじめはアメリカの占領軍が日本人を弱体化するための言論統制だったのを、革新派が受け継いで、マスメディアや政治・行政を金縛りにしてしまい、今もその呪縛は解けていない。」と西尾氏は指摘する。確かにそうだ。久米宏や筑紫哲也などといったキャスターは典型的な反体制正義感ぶった気分左翼だ。そうしたキャスターを使い続けるマスコミの硬直ぶりは救い難いものがある。

 第二点は、ロレンスの黙示録論が厳しく抉り出した「弱者のゆがんだ権力欲、ねじれた復讐心」が、近代日本の知識人に通底していること。これは福田がしばしば指摘していることだが、西尾氏は、その点では、戦前の大正教養派知識人と戦後の気分左翼知識人には連続性があると指摘し、戦前の知識階級のあり方にも疑問符を投げかける。

「戦前の日本の帝国大学には軍事学が無かった。イギリスでは最高の知識人が国際情報戦、つまりスパイ活動に挺身している。そして彼らに爵位が与えられる。日本の帝国大学の雰囲気はこれと正反対。自らが自らの責任で国家を担おうという気概は無く、反体制のポーズや政治への皮肉な冷笑により高慢な選民意識を抱き、気概の無い自分の空虚を教養主義で煙に巻くだけの存在だった。何が『三太郎の日記』か。何が『出家とその弟子』か。」

「知識人の社会的関心は、日本の現状をいつも皮肉に批判することであり、自らが国家を担おうとする昂然たる気概、責任感を持っていない。こうした知識人の脱社会心理や反体制心理は、明治中期から昭和期に至り、さらに戦後の丸山真男から最近の網野善彦まで綿々と続く。」

こうした知識人たちに対し、福田は、「彼らの人間としての心の卑しさ、現実に勝てない者が知識で勝とうとする弱者のねじくれた心理を見て、それを貴族的精神で徹底的に排撃した」のである。僕は、真に貴族的精神を持った近代日本の知識人の代表は福田と小林秀雄だと言いたい。

 青白く高踏的な自意識を持つ芸術至上主義や純粋な学問などというものは、現実逃避でしかないのに、「体制派」だとか「主人持ち」であると批判されることに脅えるのが知識人の虚栄である。西尾氏は自らの活動を「主人持ち」だと言いきってはばからない。

「たとえば私は今『新しい歴史教科書』の運動に携わっていますが、これは主人持ちということになるわけでしょう。日本列島に住む住民とその文化を愛し、日本の国の歴史を正道に戻そうとする全体的な意志というものを重んじる、その一翼を担い、その一端に列しているということは、主人持ちですね。いいじゃないですか。主人持ちでけっこうではないのか。主人のいない純粋芸術派の弱さ、純粋学問の虚しさになぜ彼ら知識人は目を醒まそうとしないのか。」

一方、現代の保守言論人も「学問や文化で死ねるか?」との問いに答えられない人が多い。「自らが国家を担おうとする昂然たる気概、責任感」を持たず、手を汚す覚悟に欠けているのである。「気の利いた言葉だけ気安く語って、現実を変えようとする激しい意志が無い。福田と同じような言論が出てはいるけれども、福田が激しく現実を変えようとしたあの実践の情熱が無い点では気分左翼たちと同じである。」この西尾氏の指摘も的を得ている。保守言論人は、真に現実を変えたいなら、もっと激しい情熱と責任感を持つべきである。

 第三の点は、マスコミや政治や言論が良くならないのは、社会の基礎単位たる家庭が悪くなっているからである、との指摘。現代の家庭は、「家事」という生産活動を家庭からできるだけ省き、消費の享受を追求したが、果たしてそれで家庭生活が充実したのか。「女房が亭主の着物を仕立てることで夫婦のつきあいが成り立つ」というのに、「(以下は福田恒存「消費ブームを論ず」より引用)今日では夫婦生活の目的は精神的な理解にあるとか性生活にあるとか、そんなことを考えて、夫婦水入らずの二人きりの生活を欲し、家庭内のあらゆる生産手段を雑用として最小限に切り捨て合理化して、その後に何が残ったか。お互いに相手に付き合うよすがも失ってしまったではないか。」

生産を手段としてのみ考え、消費を目的にしてしまったことで日本の家庭は悪くなってしまったのである。これは僕にとっても手痛い指摘だった。日本の家庭の精神的な豊かさは、家事という名の家庭の中の生産活動によるところが大きかったのだ。現に夫婦で家業を営んでいる家庭では、生産共同体としての精神的絆が保たれているように思われる。夫が外で働き妻が家事をする分業家庭であっても、家事を意味ある生産活動と考えるべきだったのである。我が夫婦のあり方を振り返っても、家事をただ省略することばかり考えていた。その浅はかさが僕の身に沁みた、手痛い指摘だった。

 第四の点は、福田の「日本人たるを基礎にした近代の徹底」の姿勢への共感。福田は「自分はカトリックの無免許運転だ」と語ったこともあり、カトリックに共感を寄せていた。また、西洋の「文明」だけをつまみ食いするのではなく、西洋の「精神」「魂」の本質を理解しまた対決すべきだとも述べ、近代人であることを徹底するところからこそ日本文化による西洋の超克も始まる、と常々語っていた。その意味で福田は「西洋的意識の人、純粋自我の自立人」だった。しかし、上記の家庭論にも見られるように、「生活者としての日本人の暮らし方への、はっきりした地に足のついた信頼」を、西尾氏は福田の文章に感じとる。

「そこには惟神(かんながら)へのことさらの求道は無い。しかし日本人としての信仰心が無かったとは言えまい。神道における信仰とはそういうものだろう。結局、福田は、日本の生活文化を愛し、祖先を崇拝し、歴史を畏敬した日本人であり、日本の神々の信仰者なのである。」

日本の神々の信仰者、などと言われると地下の福田は苦笑いするかもしれない。しかし、福田の言論の基礎は「生活者としての日本文化への信頼」にあることは間違い無いと僕も思う。

 最後に、西尾氏の講演で僕が一番感動したのは、西尾氏が師である福田から何とか独立して自己を確立しようとした苦闘のドラマである。西尾氏は若い頃、文体をなぞるほどの福田の忠実な弟子だった。西尾氏はこんな美しい告白をされた。

「私は、生き方としての、人間のあり方としての福田恒存から、豊かな養分を無意識に身に浴びて、多感な二十六歳頃から三十代後半への歳月を、いつも先生を意識しつつ過したように思います。」

そこから西尾氏が自己確立して行く葛藤が実に率直に告白され、僕は感動した。また、そこで語られた、訪ねてきた弟子たちと一緒に自宅の風呂に入ってご機嫌な福田の姿もまた、鋭く切れるような言論を実践し続けてきたこの人の、僕の知らなかった人間的な一面として、涙が出るほどいとおしいものに感じられた。


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 さて、西尾氏の講演は、あまりの能弁・力説のため、予定時間を大幅に超過して十九時近くになり、僕は家族との約束があったため、十四時半から始まったこの充実した講演会を、残念ながら途中で去らねばならなかった。予定では西尾氏の講演の後、座談会が組まれており、最後までつきあっていたら、一体何時になったことだろう。しかし武道館の脇を抜けて夜道を九段下の駅まで歩いた僕は、福田恒存を愛する人たちがあんなにも多くいたのだという新鮮な驚きと喜びで満たされていた。

平成一六(二〇〇四)年一一月二〇日

 

(追記)上記講演を基にした西尾幹二氏の文章が「諸君!」平成一七(二〇〇五)年二月号に掲載されました。ご一読をお勧めします。