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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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「源氏物語」読書メモ(二〇〇四年)

 

事始め

 このところ、福田恒存全集と平行して、源氏物語を少しずつ読み進めています。今は、全部で五十四帖ある源氏の第七帖「紅葉賀(もみじが)」を読んでいるところです。能では源氏を背景にした曲が多く(「野宮」「半蔀」「葵上」など)、能を見たり舞ったりしているうちに、源氏物語を読んでみようという気になったのです。小生が読んでいる岩波文庫版では、主語などが補われており、何とか原文で筋書きを追えます。例えば:

「…[源氏が]よろづの御よそひ、何くれと珍しき様に調じ出で給ひつつ、[左大臣の]御息子の君たち、ただ[源氏の]御宿直所の宮仕へを務め給ふ。」(第二帖「帚木」より)

といった具合です。尤もどうしても判読できない時は瀬戸内寂聴さんの現代語訳などを参照しています。実は学生の頃、谷崎潤一郎の訳した源氏に挑戦したのですが、原文の味わいを維持しようとした谷崎源氏は手強くて、「桐壷源氏」で終わってしまった経験があります。また、少女漫画に源氏があったのでそれにも手をつけてみましたが、人物が皆同じ顔形に見えてしまい(笑)、これもすぐ挫折した経験もあります。原文に挑んでいる今回は何とか最後までたどり着きたいと念じています。

 源氏物語との縁といえば、当時中学生だった娘の夏休みの宿題の材料にするために、名古屋の徳川美術館に源氏物語絵巻を見に行ったことがあります。その時、絵の美しさもさることながら、場面を説明した詞を記した紙と文字の美しさに驚いた記憶があります。また、NHKで、源氏物語絵巻を描かれた当時の姿に復元しようというプロジェクトを紹介した番組を見たこともあります。復元された絵巻の色彩の鮮やかさに目を奪われたことを覚えています。

平成一六(二〇〇四)年一一月一九日

 

青春の彷徨

 小生がこれまで読んだ第一帖から第七帖では、主に源氏が十七歳から十九歳に至る時期の出来事を描いていますが、亡き母の面影を宿す藤壷への満たされぬ思いを紛らわすため、乱脈に人妻(=空蝉)や友人の元恋人(=夕顔)に手を出したり、果てはロリコン(=紫の上)に進んだりする、光源氏の青春の恋の彷徨が描かれています。紫式部は男の性(さが)というものをよくわかっている人だと感心しきりです。

平成一六(二〇〇四)年一一月一九日

 

物語が先か、歌が先か

源氏物語は、物語が先か、歌が先か。伊勢物語は、まず歌(或いは一連の歌)があって、それにふさわしい筋書きを作者が作り出すという形で出来上がった物語と思われる。源氏には、筋書きがまず作られて物語の必然から歌が詠まれたと思われる箇所と、一連の歌がまずあって、紫式部がそれに合わせてストーリーを作ったと思われる箇所がある。後者の例として、第七帖「紅葉賀」の後半で、大年増女の「内侍のすけ」が光源氏に懸想する話が出てくるが、これなどは、全体のストーリーの展開とはあまり係り無い挿話のようであり、伊勢と同じように、いくつかの関連した歌を材料にしてストーリーが作り上げられたような趣が感じられる。

平成一六(二〇〇四)年一一月二六日

 

ハイティーンの恋

 「源氏物語」のはじめの八帖は光源氏が十代後半の物語である。そこには、十代の恋の苦しいまでの切なさと焦がれとが描かれている。例えば、見初めた夕顔になかなか思うように逢えない光源氏の心の苦しさを紫式部は次のように描く。

「人目を思(おぼ)して隔て置き給ふ夜な夜ななどは、いと忍び難く苦しきまでに思(おぼ)え給へば…(=人目を考えて逢わずに過される夜な夜ななどは、とても我慢がおできにならず、苦しいまでに焦がれられますので…)」(「夕顔」より)

 確かに十代の恋は「いと忍び難く苦しきまでにおぼえ」ることが多いのである。また、相手を大切にいとほしく思う十代の純粋な気持ちが、次のようなふとした描写から立ち上ってくる。これは、憧れの女性、藤壷から返しの歌をもらった時の光源氏の様子である。

「かやうの方さへ、たどたどしからず、人の朝廷(みかど)まで思ほしやられる御后言葉の、かねても、と、ほほゑまれて、持経のやうにひき広げて見居給へり。(=藤壷がこういう方面にさえ暗からず、異朝のことまで思いやられた歌をお詠みになったというのは、今から后宮の貫禄を備えておいでになるのだ、と、思うにつけても微笑まれて、その御文を、肌身離さず持っている有り難い経文のように広げて見ていらっしゃるのでした。)」(「紅葉賀」より)

 藤壷の手紙を「持経のやうにひき広げて見居」る源氏の気持ち、僕には実によくわかる。これらの表現は、自分のハイティーンの頃を思い出しても、実に的確に青春の恋の心情を描いていると思う。

平成一六(二〇〇四)年一二月某日

 

光源氏とゲーテ

 男の女に対する好みにはさまざまであるが、大きく分けると、自分が女をリードし育てることに生きがいを感じる男と、むしろ女のリーダーシップに身を委ね女を補佐することに生きがいを感じる男とに分けられると思う。一般的には前者の男の方が多いと思われるが、優れた男で後者も少なからず居る。例えば、英国のサッチャー元首相のご主人や女性宇宙飛行士の向井千秋さんのご主人はこういうタイプの方なのであろう。

 源氏物語「帚木」の巻には「雨夜の品定め」と称せられる、若い貴公子たちの女性談義が記されているが、光源氏自身の好みは明らかに前者である。つまり、女を守り育てる父性愛を発揮するタイプであり、自立した気性の強い女よりも「可愛い」女が好きなのである。年端も行かぬ紫の上を預かって養育するという行為にその好みは端的に表れているし、「夕顔」の巻では、はっきりこう言っている。

「はかなびたるこそ、女はらうたけれ。かしこく人に靡かぬ、いと心づき無きわざなれ。(=はかなく頼り無さそうに見えるのが、女は愛らしいものなのだ。賢(さか)しくて、人の言うことを聞かないのは決して好ましいものではない。)」

ドイツの文豪ゲーテも「詩を書く女などはまっぴら」と言い、この点、源氏と好みが似ていたようだ。

 こんな源氏が、漢詩をバリバリ読み、男に弱いところを見せたくないタイプの正妻、葵上とうまくいくはずもなかった。次の夫婦の会話は悲惨である(「若紫」より)。

(源氏)「耐へ難う患い侍りしを『いかが』とだに訪ひ給はぬこそ、珍しからぬことなれど、なほ恨めしう。(=私は随分ひどく患っていたのですけれど、「病気はどうだったか」ともお尋ねになって下さらないのが、いつものこととはいいながら、私にはやはり恨めしく思われます。)」

(葵上)「訪はぬは、つらきものにやあらん。(=歌にある如く、訪ねないのはつらいものでございましょうか。)」

葵上は、源氏が日頃他の女性を渡り歩いて自分の所にあまり来ないのを皮肉っているのである(しかも古歌を引用して!)。こういう知的気丈夫は源氏の最も嫌うタイプなのである。

平成一六(二〇〇四)年一二月某日