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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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伝統の継承

 

 若い人たちの伝統離れが言われて久しい。しかし、いつぞやNHKテレビでやっていたが、現代でも宮内庁楽部に入って雅楽師を志す若い人がいる。また、僕の知る人で、東大工学部を卒業した後、能の世界を継ぐことを決意し、宝生流の家元に住み込んで能楽師を目指している若者がいる。彼らは厳しく格式高い伝統芸術の世界の修行に耐え、その奥義を体得しようと力を振り絞っている。幸い雅楽や能楽は現代にも通じる普遍的な美学を持っている。海外での評価も高まっており、新作雅楽や新作能も作られている。伝統と時代の葛藤を経て変容しつつも、これらの芸術は生命を新たにしてゆくことだろう。若き雅楽師や能楽師たちの血と汗と涙はきっと報いられると信ずる。

 また、僕の中学時代の同級生で仏師になったH君という人がいる。仏師などどいう職業が今でもあることを皆さんご存知ですか? 彼はコンクリートの仏像を作るのではない。運慶、快慶以来の伝統工法で、お寺からの注文で新作の仏像を作ったり、また古い仏像を修復したりすることを業としているのである。何年か前にH君が作った仏像の写真集を見たことがある。仏像というと、法隆寺の百済観音や広隆寺の弥勒菩薩のように、風雪を経て色褪せた古さが尊ばれがちだが、H君の新作仏はもちろん色鮮やかである。その瑞々しさは、仏像の美しさということの僕の固定観念を打ち壊してくれた。昔の人々が畏敬して止まなかった仏像の美しさとは、色褪せた美ではなく、生れたばかりの眩く瑞々しい美しさだったのだ。僕は、彼の仏像の写真集を見て、古人が初めて仏像を見た時の感動をようやく共有できた思いがした。

 雅楽や能楽にしろ、仏像にしろ、若い人の伝統への鋭敏な感性は死んではいない。知識や情報としてではなく、それらの素晴らしさを「実感」させるような良き教育がなされれば、その感性はもっと呼び覚ますことさえできると思う。

平成一六(二〇〇四)年一〇月一七日