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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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私の「謡・仕舞」稽古日誌(二〇〇五年)

 

 

「鞍馬天狗」と「経政」で能楽堂の舞台に

 

 今日は「篁宝会」の新年会があり、小生も素謡「鞍馬天狗」と仕舞「経政クセ」で能楽堂の舞台に立つ機会をいただきました。「鞍馬天狗」では、後場のシテ(大天狗)を謡いましたが、この部分は、シテと地謡の掛け合いによる日本各地の天狗の紹介から、黄石公に兵法伝授を受けるために公の落とした履(くつ)を穿かせる屈辱に耐えた張良の故事のシテ語りを経て、大天狗が牛若丸に加護を約束する最後のノリのいい結末に至るまで、テンポや節回しが非常に変化に富んで面白い曲です。小生も、諸先輩のしっかりした子方と地謡に支えられて、とても気持ち良く謡うことが出来ました。終わった後、大先輩のお一人から「いい謡だったよ。よく勉強している。」と誉められましたが、直前に先生の謡った録音を聞き直すと、何気なく謡われているように見えても、微妙な音程や強弱やテンポの変化に細心の注意が払われているのが改めてわかり、まだまだ未知未経験の部分が多いな、と感じて本番に臨んだ次第でした。まあ今回はそういう謡の奥深さの一端がわかったことを収穫としましょう。

 

 さて、この「鞍馬天狗」という曲、小生が子どもの頃テレビで放映していた、「杉作、さらばじゃ」と白馬に乗って去って行く、着流しに頭巾を被った「正義の味方、鞍馬天狗のおじさん」の話ではありません(こんなことを書くと年齢が知れますね(^_^;))。幼年期に京都の北、鞍馬寺に預けられた牛若丸(後の源義経)が、花見の宴で大天狗に巡り合い、この大天狗に愛され兵法の奥義を伝授され将来の加護を約束されるという、謎めいて童話的な話です。鞍馬の大天狗は、幼い牛若丸が将来平家を追討するべき宿命にあることを見抜き、彼を見守ってゆくというわけです。それは、能に数多い一連の「義経もの」の、いわば話の発端ともいうべき曲です。たまたま今日のNHK大河ドラマ「義経」では、ちょうど平家に囚われた常盤御前と牛若丸の母子が、平家の御曹司たちと親しく交わる場面が出てきましたが、能「鞍馬天狗」の冒頭でも、牛若丸は平家の稚児たちといっしょに花見に出かけます。大河ドラマでも次回あたりに鞍馬の大天狗などという仮想の怪物が登場するのでしょうか? この辺はテレビドラマ製作者の想像力と構想力の見せ所なのでしょう。

 

 仕舞「経政クセ」は、一ヵ所、四足で後ろに下がるところを五足にした失敗があり、また、舞台の広さを効果的に使えているかどうか、心もとないものでしたが、或る大先輩は「うまくなったね。」とおっしゃって下さいました。また別の方からは、いくつかアドバイスをいただきました。ありがたいことです。「篁宝会」は、親子や夫婦で習っておられる方が何人もいらっしゃいます。ご夫婦でいたわりながら仕舞や謡に精進されている姿は微笑ましくもうらやましいと感じます。特にKさんご夫妻のおしどり夫婦ぶりは素敵です。今日も、ご主人の謡で奥様が「藤栄」の独鼓(ソロで太鼓を打つこと)を演じられました。

平成一七(二〇〇五)年一月一六日

 

 

謡は「紅葉狩」、仕舞は「嵐山」を始める

 

 小生の謡と仕舞の稽古は次の曲に入り、謡は「紅葉狩」、仕舞は「嵐山」をやることになりました。「紅葉狩」は、上臈に化けた鬼女が、平家の武将、平維茂(これもち)を酒色でたぶらかしてまんまと眠らせますが、八幡八幡宮の神の助けにより正気に戻った維茂がついには鬼女を退治するというお話です。幽玄とか情念の昇華とかいった気難しい趣は無く、劇的で爽快な鬼退治を見て楽しむ曲です。しかしそうは言っても能ですから、単なる鬼退治芝居ではなく、詞章はしっとりした錦秋の映像をイメージさせる美しい作りをしています。謡って楽しい凝った詞章だと感じます。「嵐山」については、一昨年金沢定例能で鑑賞した記録(「私の能楽メモ(二〇〇三年)」中の「満開の桜の幻影」)を参照して下さい。仕舞は曲の最後、シテの蔵王権現が衆生済度の誓いを現して豪快に舞う部分です。能では「飛び出」と称する目の飛び出た面をつけ、勇壮な神であることを現します。仕舞は大きな動きも含んだダイナミックなもので、先日初めて習った時は、先生の動きに全くついて行けず、只もたもたしていました。何とか次回までにビデオを見ながら独習して一通りはできるようにしたいと思います。

平成一七(二〇〇五)年二月一三日

 

 

均整とれた型の美をめざして

 

 今、小生は「嵐山」の仕舞を習っていますが、稽古することがだんだん面白くなってきました。能の仕舞にアドリブは無く、いかに「型」の均整が取れていて美しく見えるかがポイントですから、完成度を高める努力には際限がないと言えましょう。素人は素人なりに、その完成度が高まってゆくプロセスが楽しくなってきたわけです。しかし問題は稽古の場所です。能舞台と同寸の稽古場があればいいのですが、そんな訳にゆかず、マンションの四畳半程のスペースで、ごそごそもそもそと動くのが精一杯です。思いっきり廻り返しをするわけにもいきません。そこで、能楽堂へ稽古に行って師匠の前で舞うと、全く勝手が違って焦ることしばしばです。しかし師匠によれば、どんなに小さなスペースでもそれなりに完成度の高い動きは可能だとのことで、現に四畳半の中での「猩々」の仕舞を見せていただいたこともあります。「型の美」を求めてさらに精進したいと思います。

平成一七(二〇〇五)年三月一二日

 

 

素謡「羽衣」シテを謡う

 

 先週の「篁宝会」の例会で素謡「羽衣」のシテをさせていただきました。素謡というのは、舞台での演舞はしませんが、役回りを決めて能の台本を全曲通して謡うことです。「羽衣」のシテはもちろん天女ですから、優雅さと神々しさを兼ね備えた謡い方をしなければなりません。始まる前はかなり緊張していましたが、実際に曲が始まり、ワキ(漁師)を謡う大先輩のこなれた謡を聞いているうちに腹も据わってきて、わりと冷静に稽古の時の留意点を意識しつつ謡えたのではないかと思います。

 

 この日の例会では、他にも、素謡と仕舞が数曲ずつ謡い舞われ、諸先輩方の日頃の鍛練の成果が師匠の前で披露されました。それらの謡や仕舞を拝見していて気づいたのは、謡では、単なる流麗な美声ではなく、コクというか骨というか筋というか、そういうものが感じられる謡が能らしい謡い方だということ。また仕舞では、舞姿が美しく見えるためには、一種独特のリズム感というかノリの良さというか、そういうセンスが必要だということを感じました。

 

 習ったことのある曲の地謡(=シテやワキの背後で謡う斉唱団)に参加するのも楽しいことです。この日も「鞍馬天狗」の素謡があったのでその地謡に加わらせていただきました。例会は、宝生流のエンディング・テーマ曲とも言うべき「五雲」を全員で謡ってお開きになります。「五雲」は七五調のこんな詞章です―

 

  五雲のゆかり尽きせじと 結ぶ契りの友垣や

  謡うも舞ふも宝生の 流れ久しき栄えかな 流れ久しき栄えかな

 

平成一七(二〇〇五)年三月二一日

 

 

金沢定例能に出演

 

 黄金週間中に、石川県立能楽堂で金沢定例能があり、遊びに来ていた家族と見に行きました。この日のプログラムの冒頭に、前座として、我が薮俊彦先生の社中メンバーによる素謡「雲林院」があり、何と、小生も厚かましくも地謡で出演させていただいたのです。地謡は上手(じょうず)が後列に坐って謡をリードする仕組みなので、小生のような経験浅い者は当然最前列に坐って謡いましたが、家族は小生が最前列で登場したのでびっくりしたようです。この日演じられた能「高野(こうや)物狂」が素晴らしかったので、感想を「『高野物狂』―その爽やかさと清々しさ」と題して書き記しました。ご覧ください。

平成一七(二〇〇五)年五月一日

 

 

「企画もの」発表会を楽しむ

 

今週の日曜日、石川県立能楽堂で「篁宝会」の大会があり、小生も仕舞「嵐山」などで出演させていただきました。仕舞は何とかとちらずには出来ましたが、歩の運びの数を一箇所間違えましたし、最後の所で集中力が切れかかっていい加減な動きになってしまいました。まあこれまでよりは、緊張でガチガチということもなく、少し落ち着いて舞えるようにはなりましたが…。さて、この日は、通常の素謡や仕舞に加えて、番組の大半は、「舞と謡でつづる義経の頃」と題して、源義経を中心に平家物語にちなんだ数多くの曲が、素謡に仕舞を組み込んだ形で演じられました。小生も、義経幼少年期の頃のお話である「鞍馬天狗」と「橋弁慶」の謡を謡わせていただきました。数ある義経ものの中で、小生が習って謡えるのはまだこの二曲だけなのですが、目の前で牛若丸と弁慶の対決の美しい型を見ながら地謡を謡うのは実に楽しいことでした。

 

ちなみに義経を中心とする平家物語に由来する能、どんな曲があるかとこの日の番組表から拾ってみると、「祇王」「熊野(ゆや)」「烏帽子折(えぼしおり)」「熊坂」「俊寛」「頼政」「小督」「巴」「実盛」「敦盛」「箙(えびら)」「経政」「忠度」「藤戸」「八島」「清経」「大原御幸」「千手」「正尊」「船弁慶」「吉野静」「安宅」といった曲が並んでいます。平家物語は本当に数多くの素材を能に提供していますね。それにしても、これだけバラエティに富んだ曲の仕舞と謡をカバーできる藪先生の社中「篁宝会」の皆さんの蓄積と実力は大変なものです。

 

謡に仕舞を組み合わせたこの企画に、小生はまた能という芸能の自在さを教えられました。以前にも、能が「開かれた参加型芸能」であると書きましたが(「私の能楽メモ(二〇〇四年)」の五月二一日の項を是非お読みください)、組み合わせの自在さこそが我々素人でも能の一端を演じて楽しめる秘訣なのです。

 

 発表会が引けた後の懇親会にも加わらせていただき、いつもの和やかで賑やかな場を楽しませていただきました。篁宝会の懇親会が楽しいのは、メンバーの方々の陽気さ、気さくさに負うところが大きいのですが、師匠である藪先生の飾らないお人柄にもよるのです。

平成一七(二〇〇五)年五月二三日

 

 

謡は「経政」、仕舞は「玉葛」へ

 

小生の習っている謡と仕舞は次の曲に入りました。謡は「経政」、仕舞は「玉葛(たまかづら)」です。「経政」は、既にクセの部分の仕舞を習いましたが、今回は全編の謡を習うことにしました。平家の公達のうちで、琵琶の名手だった平経政の亡霊がその弔いの日に現れ、供えられていた懐かしい琵琶の銘器を弾き、合戦で苦しんだ様子を訴えつつ去ってゆくというお話で、風雅な趣味人だったやや内気な青年貴公子を清らかなタッチで描いています。一方、「玉葛」は、源氏物語から素材を採った曲で、世阿弥の娘婿である金春禅竹の作です。仕舞はその最後の部分ですが、「仕舞をやるにはまず謡を覚えよ」との大先輩からのアドヴァイスに従って、まずは謡を暗唱しようと悪戦苦闘しています。禅竹の曲は何ともいえぬ幻想風味が特色ですが、「玉葛」の詞章も旋律(節付け)がきめ細やかに刻まれた美しいものです。この仕舞は、前に習った豪快な神様の舞である「嵐山」とは対照的に、美しい女人が過去の懊悩から解き放たれる様を描いたしっとりした舞です。いろいろなパターンの仕舞を習うと、自分がいろいろな存在に変身できるようで楽しみです。

平成一七(二〇〇五)年七月二日

 

 

正座の限界に挑戦?

 

今週木曜日の「篁宝会」例会で、素謡「実盛」の地謡に参加させていただきました。九月に金沢の別会能で能「実盛」をされる藪先生がシテを謡われましたが、間近に聞く先生の実盛の迫力に身が引き締まりました。今回の例会は能楽堂の舞台を使って行われ、板の間で約四〇分ほど正座して謡いました。正座時間の限界への挑戦です。曲が終わると他の皆さんはさっと立ち上がって舞台から出て行かれましたが、小生は左足の感覚が完全に無くなっており、すぐには立ち上がれず、四つん這いで舞台から退出するという失態です。しかし「実盛」という曲、実際の演能では謡だけではなく舞や所作の時間もありますから、たぶん一時間半以上かかるのではないでしょうか。この間ずっと正座を続ける地謡や笛方の皆さんの修練は並大抵ではないということがわかりました。

平成一七(二〇〇五)年七月二三日

 

 

生命の旺溢を感じる夏

 

 今日の午後、謡と仕舞の稽古で藪先生のご自宅に伺いました。今は、謡も「玉葛」、仕舞も「玉葛」のキリの部分を習っています。仕舞の方は、何とか一通り手順を覚えたので、今日は先生に見ていただいて型の不十分なところをご指摘いただきました。正しく美しい型をつくるには、木目の粗い材木をきれいに磨くような鍛練が必要です。今日は先生が普段稽古で使われる舞台で舞わせていただいたのですが、やはり舞台で舞うと臨場感があって緊張もしますが気分がいいものです。先生のご自宅の玄関には、来月シテをされる能「実盛」の舞い姿の絵が掲げてありました。また、お茶室には、源氏物語の夕顔の巻にちなんだ絵の掛け軸が掛けてありました。夕顔の君が薫物(たきもの)の匂いの沁み込んだ白い扇に夕顔の花を載せて源氏に渡すのですが、その絵は、扇に夕顔の蔓(つる)が絡み付いた姿が描かれています。いわば夕顔の君の内面の情念を描出した生々しい絵なのですが、雅びな「はかなさ」をも感じさせる上品な絵でした。

 

 帰りに、ひときわにぎやかなセミの声が聞こえたので、そちらへ歩いて行ってみると、「薮田神社」という神社でした。この神社の境内に無数のアブラセミが生息していたのです。驚いたことに、多数のセミの抜け殻が木の葉の端に鈴のように連なっています。こんな風景は初めて見ました。この抜け殻群といい、耳もつんざける様な猛烈な大合唱といい、セミが短い命を燃やし尽くそうとするエネルギーの旺溢(おういつ)にしばし呆然としてしまいました。

平成一七(二〇〇五)年八月七日

 

 

加賀宝生に感謝!

 

残暑厳しい日が続きますが、空の色はだいぶ深くなり、郊外に出ると栗の木にたわわに緑色の毬(イガ)が実っているのが目につきます。また昨日山間の道を車で通っていると、既に薄(ススキ)の穂群が黄金色に伸びているのを見つけました。昨夜は旧暦文月(七月)の朧月夜の満月も見え、季節は着実に秋に向かっています。さて、小生、人事異動で九月から東京に戻ることになりました。二年一一か月を過ごした金沢ともお別れの時が来ました。家族や友人との何回かの旅行をはじめ、生活や文化を楽しむことができたのは本当に幸せでした。金沢や北陸の風土と人々に心から感謝します。謡と仕舞の稽古も今週の木曜日がとりあえず中締めになりました。謡は「玉葛」の中入りまで済みましたが、藪先生から「曲の途中までにしておけばまた習い始めることもあるでしょうから」と言われ、またいつか加賀宝生に再会しようと決意を新たにしました。謡はこの曲を入れて十一番を習いました。また、仕舞は、今習っている「玉葛」キリを入れて七番を習ったことになります。

平成一七(二〇〇五)年八月二〇日

 

 

最後の最上の送別会

 

東京での仕事は始まりましたが、まだ引越しができていません。九月三日にはいったん金沢に戻り、四日に金沢能楽会の別会能を拝見し、その夜、藪先生がご自宅で催していただいた送別会に出かけました。お世話になった先輩方や同じ日に稽古に来ていらっしゃるおなじみの方々や九谷焼の陶芸家・谷敷さんら、十人ほどお集まりいただきました。藪先生には、演能のあとのお疲れのところを心温まる送別会を催していただき、心から感謝申し上げます。ちょうど宝生流宗家に住み込み修行中の先生のご長男も帰省しておられ、お能の世界に入った経緯など、興味深いお話をお聞きしました。食事の後、先生のお茶室でおもてなしを受けました。庭に向かって開けたくつろいだ感じの素敵なお茶室でした。最後に小生が今習っている「玉葛」の仕舞を披露させていただきました。金沢での最後の最上の思い出となる夜でした。お集まりいただいた皆様にも心からお礼申し上げます。東京にも藪先生に加賀宝生を習った輩(ともがら)が何人かいらっしゃいますので、一度集まる機会を作りたいと思います。

平成一七(二〇〇五)年九月一〇日