敬愛する能楽師・藪先生への手紙
ご無沙汰しております。今年も押し迫ってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。当方、名古屋での生活も四ヶ月になり、生活のペースもできてまいりました。金沢時代に習った仕舞と謡のうち、十数曲習った謡だけは、当時の稽古の録音に合わせて、ときどき自宅で唸っております。
さて、さる十月には、名古屋の御園座で先生ご夫妻にお目にかかることができ、かつ、ご馳走になりました。ありがとうございました。また、かの名人、Tさんとも初めて親しくお話しでき、四人で楽しいひと時を過ごすことができました。重ねて御礼申し上げます。
お送りいただいている篁宝誌を毎号楽しく拝見しております。先日、過去の篁宝誌をざっと見てみましたが、写真家の渡会さんが撮影された先生の演能の写真が大変見事なものだということにあらためて気づきました。どの演目のどの場面においても、藪先生の型は指先にまでよく神経が行き渡っていて、隙がありません。そうした型の完成度の高さと場面の緊張感を、渡会さんの写真は的確に捉えています。小生には、一瞬を捉える写真家の技は奇跡のように感じられます。演能の感想を文章で記すことは、後でゆっくり振り返りながらできます(とはいえ、感覚の鮮度が落ちないうちに記しておかないと、臨場感のある感想文は書けません)が、写真は、文章と違って、その場の一瞬を捉えなければなりません。その瞬間はもう二度と反復されないのです。
写真家が能楽師の技の見事さを時間の流れの中からスパッと切り取る秘訣は何なのでしょうか? 彼はその演目の細部まで通暁したうえで撮影に臨むのでしょうか? 彼は能楽師の動きの最も美しい場面をどうやって察知するのでしょうか? 渡会さんの写真を拝見していて、藪先生の型の美しさにあらためて心動かされると同時に、こうした疑問が沸いてきた次第です。
年末のお忙しいところ、このような雑文をお送りして恐縮です。来年もますます先生がご活躍されることを心よりお祈り申し上げます。
平成一八年一二月二七日