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名古屋金融市場について―本当に「名古屋金利」ゆえ銀行は儲からないか?

 

 

 名古屋支店に来て半年が経過した。愛知・岐阜・三重三県と静岡県西部(遠江)を所管する我が名古屋支店から見て、東海地方の金融市場はどのような特色があるのか、経験を踏まえて考えてみたい。

 

 

名古屋金融市場への疑問

 

まず、名古屋に来て驚いたのは、どの全国銀行の名古屋支店長さんも、地元地方銀行や信用金庫の頭取、理事長さん方も、「この地域は貸出金利が低くて儲からない。昔からある程度そうだったが、近年特に競争が激しくなり、一層利鞘が取れなくなった。」と嘆いていらっしゃることだ。当地域は、トヨタ自動車に典型的に見られるように、もともと企業も個人も借金に慎重であった。今でも、某べンチャー企業の社長の「夢」が、株式公開ではなく無借金経営だと聞いて、さすがに小生も苦笑したことがある。「名古屋金利」と呼ばれる低金利の淵源は深いのである。それに加えての近年の競争激化の原因は、この地域で最大シェアを持っていた東海銀行が二〇〇二年に三和銀行に統合されて価格主導者が不在となる一方、近年の当地域の経済成長と設備投資の伸びを見て、近隣はじめ各地の金融機関が重点地域として当地域(とりわけ愛知県)に営業攻勢をかけていることにある。

 

昨今の貸出競争の激しさを物語る金利引き上げ交渉の現場の様子を紹介しよう。昨春と今年二月に日銀の政策金利引き上げがあり、短期市場金利は上昇し、預金金利はそれにスライドして引き上げられている。一方、貸出金利の引き上げは当地域では金融機関の思うようには進んでいない。金融機関にとって十数年ぶりの不慣れな短期プライムレート引き上げ交渉では、強い立場の債務者企業の交渉力に負けて、各金融機関とも疑心暗鬼の横にらみになって利上げできないケースが多い。以前なら東海銀行が率先して利上げし他の金融機関が追随する市場秩序があったが、現在は無秩序状態となっている。業界紙によれば、愛知県のトップ地銀である名古屋銀行の短プラ引き上げ追随率は全国地銀平均の半分程度と推定されている(「金融財政事情」二〇〇七年三月二六日号一七頁)。

 

現在、名古屋には四〇もの銀行(うち東海三県の地元地銀は九行)が本支店を構えているほか、我が所管地域には三〇を超える信用金庫(そのうち資金量一兆円を超える信金が五つもある)が存在し、それ以外にも農林系統金融機関(とりわけ愛知県信連は資金量四兆円を超え地元地銀九行のどれより大きい)や政府系金融機関や郵便局も軒を並べている。これら金融機関は、そのトップたちが嘆いているように、赤字、不採算をかこっているのか? そんなに儲からないなら、なぜ撤退や統合をしないのか? 歴史的には、京都銀行のように早い時期に名古屋から撤退した銀行もある。しかしそれは例外中の例外であって、競争が激しくなったと言われるここ数年では、小規模な金融機関以外で撤退・統合した金融機関はない。なぜか? 好景気の名古屋で撤退や統合に走ったのでは世間に恥ずかしいと見栄を張ってがんばっているだけなのか? これら金融機関は合理的な経営判断をしていないのだろうか?

 

 こうした疑問に答え、名古屋金融市場の実態を把握するために、@東海地方に拠点を置く金融機関は儲かっているのか、いないのか、A「名古屋金利」と言われる低い貸出金利や低利鞘の実態はどうなのか、Bその実態は経済合理的なものかどうか、といった諸点について検証してみたい。もし名古屋金融市場が不合理なものならば、早晩金融機関の再編や撤退が生じてもおかしくはないだろう。まず、東海三県に本店を置く地元地方銀行と信用金庫について日銀名古屋支店が調査・分析した経営データに基づいて@〜Bを検証してみる。次に、全国銀行などの名古屋支店の実態については、支店単体のデータというものが通常入手できないので、小生がお付き合いしている各銀行の支店長さんたちとの会話からの印象で推論することとする。

 

 

名古屋金融市場の実態

 

 まず、東海三県に本店を置く金融機関は儲かっているのか。結論から言えばイエスである。利益面でも財務面でも、東海三県の地銀や信金は全国の同業者と比べて遜色ないどころか、全国平均を上回る利益を挙げ、不良債権比率など財務体質も全国平均より概して手堅い。これらは金融機関の開示財務諸表を比較すれば一目瞭然である。

 

次に、「名古屋金利」の実態はどうか。東海三県に本店を置く金融機関の貸出金利や利鞘は全国平均と比べて高いのか低いのか、低いとすればどの程度か。日銀調査によれば、二〇〇五年一二月時点で、地元第一地銀の貸出約定金利は全国平均を0.141%下回っており、二〇〇六年一二月ではこの差が0.149%に広がっている。また、地元第二地銀では、同時点の全国平均との差は、0.424%→0.428%とやはり拡大している。さらに、信用金庫では、同時点の全国平均との差は、0.451%→0.514%と顕著に拡大している。預金と貸出との金利差、つまり利鞘はどうだろうか。これも日銀調査を時系列で追ってみると、時期によって多少の違いはあるが、概して言えば地銀で約0.2%、信金で約0.5%全国平均より低い。やはり「名古屋金利」は厳然と存在するのだ。0.2%の利鞘の差がどのくらい金融機関の利益に影響するのか。例えばさきほどの名古屋銀行の約二兆円の貸出金規模に0.2%を掛けると、年間四〇億円の差である。同行の二〇〇六年三月期の経常利益が一四三億円であることを考えると、0.2%のハンディは決して小さくない。まして信金の0.5%のハンディはとても大きい。

 

 では、利鞘は全国平均より目立って低いのに、なぜ当地の金融機関は全国平均以上の利益を出しかつ財務体質も健全なのか? この矛盾した結果を説明できる合理的な理由がなければならない。考え得る理由として、@貸出預金の利鞘以外の業務で全国平均を凌駕する高い収益を挙げている、つまり「収益多様化仮説」、A人件費や物件費などの経費率が全国平均よりも格段に低い、つまり「ローコスト経営仮説」、B当地の貸出先の信用力が高く貸し倒れ引当等の信用コスト率が格段に低い、つまり「低信用リスク仮説」が挙げられる。各仮説を検証してみよう。

 

 まず@の「収益多様化仮説」である。確かに金融自由化によって、有価証券の売買や各種手数料収益など、金融機関の収益機会は多様化している。当地の金融機関も、シンジケート・ローンの組成、PFIの取り組み、デリバティブ業務の推進、事業継承の支援やM&Aの斡旋、取引先の中国等海外進出の支援、個人向け国債や投資信託の販売などに取り組んでいるし、小生の勤務先銀行などは、こうした地銀や信金の収益機会多様化をお手伝いすることを業務のひとつにしている。しかし現実には、貸出預金以外の分野は地銀や信金においてはまだ限界的であり、人材などの経営資源投入比率も低い。金融機関の開示財務諸表を見る限り、当地の金融機関が特段「役務取引等収益」で全国平均を凌駕するような数値は見あたらないのである。従ってこの仮説は棄却される。

 

 次にAの「ローコスト経営仮説」だが、金融機関の開示財務諸表で当地を全国平均と比べても、人件費や物件費などの経費率は特段低くはない。この仮説も当たらない。

 

 

ローリスク・ローリターンの合理的な市場

 

 Bの「低信用リスク仮説」が残った。実は、当地の金融機関が低利鞘にもかかわらず全国平均以上のパフォマンスを維持している理由は、低い信用コスト率で説明できるのである。日銀調査によれば、当地の地銀の信用コスト率は、金融危機の年であった一九九八年に約1.0%であったが、同年の全国地銀平均は約2.0%に達している。その後、信用コスト率は低下し、二〇〇五年では当地地銀の数値は0.1%程度であった一方、全国地銀平均は0.4%程度となっている。このように、それまでも全国平均より低かった信用コスト率が、近年の名古屋の好景気でさらに相対的に低くなっているのである。当地の信用コスト率が低い理由は、貸出先の企業も個人も元来借金に慎重であるという伝統に加え、バブルにあまり乗らなかったため企業倒産が比較的少なくて済んだこと、製造業の比率が高く、その製造業がトヨタに代表されるように無借金ないし自己資本比率が著しく高いことなど、財務体質が強い企業に恵まれていることにあると思われる。地域全体として低い信用リスクゆえに、個社別・業種別に充分に分散された貸出ポートフォリオさえ保っていれば、低い利鞘でも金融機関は生きてゆける。名古屋金融市場はローリスク・ローリターンの合理的なマーケットなのである。

 

 

全国銀行も個性があれば儲かる

 

以上の分析で、地元金融機関が「名古屋金利」に苦しみながらも、低い信用コストゆえに全国平均以上に儲かっていることが判明した。では次に、地元金融機関ではない全国銀行の名古屋支店は儲かっているのだろうか? 支店にとってのハンディは、名古屋金融市場のローリスク・ローリターンのメリットを享受しにくいことである。なぜなら、一支店だけでは貸出ポートフォリオの充分な分散は困難だからだ。銀行全体では分散はされても、支店内ではどうしても特定の取引先群に貸出残高は偏重する。貸出先が一社でも倒産したり格付けが低下したときのダメージは大きい。我々名古屋支店は、信用リスクがある程度高いことを前提に、それをカバーできる高い収益を挙げるか、他のコストをうんと下げないとこの市場で儲けることはできない。

 

しかし小生が日頃接している他行の名古屋支店長さんたちの顔色からは、今すぐに名古屋から撤退しなければならないほどの切迫した様子は伺えない。お話を聞くと、皆さんそれなりに儲けていらっしゃるようである。「それなりに」の中身は業態別に以下のようになる。まず、三大メガバンクは、低利鞘の貸出は「入場料」と割り切って、海外関連業務でそれを補っているようだ。当地の企業は世界を股にかけて活躍していることが多い。特に近年は中堅・中小企業でもアジアに積極的に生産拠点等を設けている。メガバンクは地銀や信金ではカバーし切れない国際業務で差別化を図っているようなのだ。低利鞘の名古屋でどうやって稼ぐかについて先に挙げた三つの仮説のうち、ここでは@の「収益多様化仮説」が妥当している。信託銀行では、貸出預金勘定はともかく、信託勘定では全国と遜色ない利益を挙げているケースが多いようである。ここでも、信託という専門性を生かして収益を多様化する@の「収益多様化仮説」で支店経営が成り立っている模様である。小生勤務先銀行も歴代支店長が収益多様化を早くから意識的に実践してきている。なお、全国銀行は地銀等よりも経費率が格段に低いが、それは規模の経済が働く全店合計の話なので、名古屋支店だけでAの「ローコスト経営仮説」が成り立っているかどうかは定かではない。以上は印象論の域を出ないが、要は、地元金融機関の手が届きにくい専門性や個性ある業務で貸出の不採算を補うことができれば、全国銀行の名古屋支店の経営は成り立つのではないだろうか。製造業を中心に産業規模が大きく企業の懐も深い東海地方には、そのポテンシャルは存在するのである。

 

次に、他地域の地方銀行はどうやって名古屋で商売しているのか? これも小生のつきあいの範囲での印象論だが、名古屋で儲けている他地域の地銀は、地元の地縁や紹介による特別な取引先群を持っていることが多いのではないだろうか。それら縁故的な貸出先からは、低信用リスクにもかかわらず比較的高い利鞘を享受できるのかもしれない。

 

最後に、名古屋は排他的か?「よそ者」は排除されて儲からないのではないか? 確かに入り口の敷居はなかなか高い。当地での新規参入は東京などよりハードルは高いと思われる。しかし逆に、この地域の企業は、彼らの間尺に合う条件で付き合う限りは、取引歴が長いことが多い。浮気をしないのである。貸出やその他の提案でショッピングもするが、余程の差がなければ他行へ移らない。個人預金者も同様である。小生勤務先銀行の破綻・一時国有化以前からお付き合いいただいている預金者が大勢いらっしゃるのである。

 

 

名古屋金融市場の今後の課題、展望

 

さて、名古屋金融市場の合理性を検証してきたが、このマーケットの今後の課題として小生が気づく点を述べてみたい。先ほど、ローリスク・ローリターンが成り立つ前提として、「個社別・業種別に充分に分散された貸出ポートフォリオさえ保っていれば」と述べた。まず足下の課題として気になるのは、地元金融機関の不動産業向け貸出の増加である。日銀調査では、既に貸出金に占める不動産業の構成比は地銀で10.2%、信金で14.4%に達している。ポートフォリオ運営としてはそろそろ要注意だろう。しかし、我々が招聘する不動産業種向けシンジケート・ローンへの彼らの対応は相当慎重になってきていることなどからみて、目先の収益のためにやみくもに不動産融資を増やしているという印象はない。名古屋駅前を筆頭に都心部の土地バブルの懸念もあるが、地元金融機関については、従来どおりの冷静で慎重な行動をとっている限り、大きな懸念はなかろう。土地バブルに引っかかるのは土地勘のない「よそ者」の金融機関や不動産業者かもしれない。

 

次に気になるのは、激しい貸出競争がどこまで続くのか、である。地元金融機関は、ここ数年、貸出金の量は増加しているが、資金利益は横ばいないし微減という状態が続いている。メガバンクや他地域金融機関からの攻勢に対して、地元地銀、信金は、「守るべき取引先」を定めて、そういう企業には利鞘ゼロでも対抗しているようであるが、こうした体力消耗戦をいつまで続けられるのか? 信用コストの低さが利鞘の低さに見合っているのか? このままでは、ローリスクにさえ見合わないほどの極端なローリターン市場となるのではないか。そのような不合理な市場の中で、体力の限界を超えた金融機関から順次市場からの退出を余儀なくされるのだろうか。それともどこかで均衡状態となって現勢力が共存し続けるのだろうか。最近発表された地元各金融機関の中期経営計画をみると、どこも貸出金を大幅に増やすとか、拠点を拡大するとかいった意欲的な内容になっているが、こういう量的拡大戦略で本当に中長期的に生き残ってゆけるのだろうか。外部の力も借りながら収益多様化戦略やローコスト戦略を追求する道もあると思うのだが…。

 

また預貸率の問題も難題だ。民間資金余剰の現代日本では、金融機関は集めた預金のうち、貸出で運用できるのは平均すれば60%程度であり、残りは有価証券で運用しなければならない状態にある。運用の巧拙によって大きな収益差が出る。特に小規模金融機関においては、運用規模の中途半端さや市場リスク管理技術の問題など、単独で繰り回すのは難しい。農林系統金融機関のように、農林中金にカネを吸い上げ、そこでグローバル分散投資の投資家として集中運用する方式が参考になろう。今や何でも自前で運営する必要はない。皆で余剰資金を集めれば、グローバルな投資家としての規模と高度な金融技術を確保できる可能性があるのだ。

 

名古屋のオーバー・バンキング問題を解決するには、最終的には「再編」しかないのかもしれない。既に、愛知県の名古屋銀行と岐阜県の十六銀行と三重県の百五銀行はゆるやかな提携関係を構築しているし、旧東海銀行が大株主になっている地銀もある。メガバンクによる地銀系列化というような動きが出てくるのだろうか? また、当地の資金量一兆円を超える信金がいくつかまとまれば、一〇兆円規模のメガ信金が誕生することさえあり得る。再編のきっかけは道州制の進展にあるのかもしれない。

 

平成一九(二〇〇七)年四月七日