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「古典派からメッセージ・2007年〜2008年」目次へ戻る
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平成一九(二〇〇七)年の手帳から

 

 

〔四月〕T

三重県伊賀方面で、四月に、震度五クラスの地震が発生したとき、亀山城の石垣が一部崩落したが、崩れたのは戦後に修復したところだけで、昔からの石垣は崩れなかったという。かつての築城技術の確かさには感心させられることがある。

 

〔四月〕U&〔一二月〕

四月、デンソーの中国人社員が設計データを大規模に持ち出した事件が発覚した。同じ頃に、中国人妻を持つ自衛隊員がイージス艦情報を持ち出していた事件もあった。中国のなりふり構わぬ「技術盗み出し」には官民ともに大いに警戒を要する。中国とはそういう国なのである。年末に訪中した福田首相はじめ政府要人は、かの国の歓待にたぶらかされてはいけない。

 

〔八月〕

名古屋市立鶴舞図書館で、我が父方の祖父の叔父に当たる鈴木享市氏について歴史資料を漁った。鈴木氏は、戦中、愛知県内の三つの銀行が戦時政策で合併してできた「東海銀行」の初期の経営を担った人物である。そのうちに時間ができたら彼の事跡をまとめてみたい。鈴木氏はこんな履歴の持ち主である。

明治二七(一八九四)年 豊橋市大村生まれ。愛知四中(現在の時習館高校)、第八高等学校、東京帝国大学法学部卒。

大正八(一九一九)年 日本銀行入行。欧州駐在経験も

昭和一八(一九四三)年 日銀名古屋支店長

同年 東海銀行頭取(東海銀行は昭和一六年に愛知県の三行が合併して出来た銀行)

昭和三四(一九五九)年 同行会長

昭和四四(一九六九)年 死去

 

〔一一月〕

一八世紀後半に活躍したフランスの黒人音楽家、サン=ジョルジュのヴァイオリン協奏曲たち。両端楽章の快活さと中間楽章のメランコリックな短調が対比的で、構築感もいい。

 

〔一二月〕

霞ヶ関に勤めるキャリア官僚、O君と昼食す。当面の問題の対応に追われ、忙しそうだった。一九九〇年代から小泉時代に至るまでの「官僚叩き」で、「国のために」という使命感が揺らぎ、家族や周囲の小世界のことに「生き甲斐」を見いだそうとしているかのようにも見えた。働き甲斐と長期的視野を見失い、その場限りの仕事をこなしているかのようにも見えた。「国のために」というモチベーションを有能な官僚に与え得ぬのは国にとって大きな損失ではないか。

 

平成二〇(二〇〇八)年一月四日