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日本政治の歴史的、世界的な立ち位置を確認する書

―野中尚人著「自民党政治の終わり」を読む―
(第五回)

 

 

V.感想など(続き)

 

 

5.明快な説明能力を持つ政治リーダーの調達

 

最後に、Dの「政治リーダーの説明責任の明確化」の問題について考えてみたい。これは明快な説明能力を持つ政治リーダー調達の問題である。先進民主諸国では、政治指導者の調達はどのようにされているのだろうか。

 

まず、日本と同じ議院内閣制度を採るイギリスについて、齋藤健は次のように述べる。「イギリスでは、公共事業は地方政府の事業ということになっており、中央の議員が、選挙区への公共事業誘致などの利益誘導の見返りに票集めを依頼する、というような余地はない。代わりに、国会議員は外交政策、経済政策、福祉政策など国家レベルの政策に集中する仕組みになっている。日本のように、与野党問わず公共事業の箇所付けに奔走するという姿はない。したがってイギリスの国会議員は、国レベルの政策についてのアイディアの善し悪し、その実現能力などで評価されることになる。また実際の選挙においても、情実が入り込む余地をなるべく排除し、人物本位、政策本位の候補者選定プロセスとなるように、例えば、生まれ故郷からの立候補を禁じるなどの知恵が絞られている。政党サイドとしても、有為な人材を当選させるため、確実に当選できる選挙区を与えるということさえ行う。その結果、選挙区を何回も変えるということが現実にある。選挙資金も、きわめて限られた額でまかなえるようになっており、優秀でやる気さえあれば、誰にでも政治家への道が開かれる。」[31] 二〇世紀初頭に、ジェームス・ブライスも「近代民主政治」で述べているように、イギリスでは、地方の利害を中央へ持ち込む「地方主義」の弊害を避けるため、国と地方の役割は画然と区別されている。国会議員に問われる能力は純粋に国政レベルの政策立案、遂行能力である。政党における人材調達にも充分に意が払われているようである。日本の政治指導者調達を考える上でも参考にすべき点はありそうである。

 

政治指導者の調達ルートのひとつとして、官僚が挙げられる。齋藤健によれば、フランスでは、政党がしばしば、ENA(国立行政学院)出身の若手の官僚の中から、特に将来が嘱望される人材に目を付ける。そして、必ず当選できる選挙区を割り当てて三〇代で当選させ、四〇代で閣僚にし、五〇代では大統領や首相をねらえる人材に育て上げるシステムが機能している、という。この間、官僚は、当選すれば出向という形で議員になることができ、落選すれば公務員に戻れる。前大統領のジャック・シラクもENA出身で、三〇歳で当時のポンピドー大統領の目にとまり、三五歳で初当選、四二歳でジスカール・デスタン大統領の下で首相に就任、四四歳の時に自ら政党を創設して総裁になり、大統領には苦節三回の挑戦の末、六三歳で就任している。[32]  また、本書の著者は、別論文で、日仏の高級官僚のキャリア比較(特に政治との境界領域での両国官僚の相違)を通じて、首相を中心とする執政中枢の大きな総合調整機能やリーダーシップ機能のあり方を考察している。フランスでは、各省大臣官房が既に政治領域に入っており、政治に転進しても官僚の身分が保障されるなど、官僚が政治指導者調達の有力なルートとして位置付けられ、首相が官僚組織を駆使して総合調整できる体制になっている、とされる。[33] 

 

戦前から戦後の一九九〇年代初頭まで、日本においても、上級官僚から政治家へ転身するという形での政治指導者調達のルートがあった。戦後間もない時代の吉田茂や芦田均ら外交官出身、高度成長時代の池田勇人や佐藤栄作ら経済・運輸官僚出身の首相に代表されるように、官僚出身者が政治指導者の大きなウェイトを占めていた。今後の日本でこのような、或いはフランスのような可能性はあるのだろうか。日本の官僚は政治との関係の変化に対応してそのタイプが大きく変化してきた。一九六〇年代までの官僚は、政治から超然として国家を指導しようとする「古典的官僚」ないしは「国士型官僚」であり、一九七〇年代以降、日本的な多元的民主政治が定着すると共に、政治家が政策形成に関与するのを容認し、政治や利益団体との交渉や取引を積極的に行う「政治的官僚」ないし「調整型官僚」が主流となった。しかし調整型官僚は、政治や利益団体との接触の中で公私混同の危険にさらされ、一九九〇年代には官僚の不祥事が相次いで発覚、激しい官僚叩きに遭うことになった。このことが官僚に自らの役割の見直しを迫ることになり、官僚の自律性を守るために、政治が決定したことを淡々とこなす、必要最小限の仕事だけをしようという「吏員型官僚」へと官僚像が萎縮していると言われる。[34] M.ウェーバーは、官僚は非党派的で服従的でなければならず、逆に政治家は党派性、闘争、激情がその本領であり、政治指導者は自分の行為の責任を自分一人で負う存在であるとし、「官吏として倫理的に極めて優れた人間は、政治家に向かない人間、特に政治的な意味で無責任な人間である」と述べている。[35] ウェーバーの官僚イメージは近年の日本の吏員型官僚に近く、もしウェーバーの述べるところが正しいとすれば、日本では官僚からの優れた政治指導者は望みがたいということになろう。宮澤喜一以降、官僚出身の首相が出現していないのはこのことを示唆しているのかもしれない。

 

今日の日本の政官関係は、フランスのそれとは異なってきており、かつ社会的条件も異なるため、フランスと同様の「主要な政治指導者の官僚からの選抜」がシステムとして機能するとは思えない。一方、近年、若手・中堅の官僚が地方自治体の首長や中央政界の政治家に転ずる動きが活発である。これは、かつてのように国士型官僚または調整型官僚として大成して政界で名を挙げて政治家に転ずるのではなく、吏員型官僚としての役割に限界を感じて、若いうちに政治家に転じようとする動きである。これら転職組官僚が政治指導者調達ルートとして有効に機能するのか、官僚からの転職組であることに政治家としてどのようなメリットがあるのか、「最良の官僚は最悪の政治家である」という先のウェーバーの見解は克服されるのか、今後の成果によって評価されることになろう。

 

地方自治体の首長から中央に抜擢するのも政治指導者調達の有力なルートである。アメリカでは州知事が大統領になるケースは多い。この場合は、自治体首長としての力量は既に試されており、いわば、一次審査は済んでいると見なされ得る。しかし、アメリカの大統領選では、さらに厳しく候補者の人品骨柄がチェックされる。齋藤健の著書を参考に、大統領選における指導者選抜の厳しいプロセスを見ると、以下の通りである。アメリカ大統領選は、予備選も含めて一年間に亘る長期戦である。州レベルでの党の候補者選出過程で次第に勝利を収め、最後に全国レベルの党の候補として認定を受け、対立党の候補者との決戦に臨む。その間、リーダーとしてのヴィジョンを訴え続けなければならない。それはワシントンの議会政治の発想からは生まれてこない、全国レベルの公共の利益に訴える斬新なヴィジョンでなければならない。「この間、候補者は多くのスキャンダル攻撃を受け、ありとあらゆる厳しい政策論争に耐えねばならない。その結果、一見ポピュリズムに見えるような候補者が当選することになっても、このような一年間の全米規模での激烈な戦いに耐えて勝利を獲得できる者は、最低限のリーダーとしての資格は備えていると考えられよう。」[36] 一国のトップに立つには、単に地方自治体で経験を積んだだけでは足りないのである。

 

民主政治は選挙でリーダーを選びさえすればうまく機能するわけではない。今まで見てきたイギリス、フランス、アメリカの例でもわかるように、民主政治におけるリーダーは厳しい競争に晒しよく鍛錬して調達すべきであることが、これらの国々では強く意識されている。齋藤健は、「欧米諸国では、民主政治には限界があることを明確に意識した上で、それをうまく補完するようにしたたかに対応している。彼らが政治のリーダーシップという場合には、それにふさわしい人間が政治に登場する仕組みとセットになっているのがよくわかる」[37] と述べる。

 

「明快な説明能力を持つ政治リーダー」には、「首相主導」の制度的枠組みを使いこなし、メディアへのイメージ操縦に長け、国際政治と国内政治を組み合わせて巧みに二層ゲームを演じることが求められる。私たちは小泉純一郎にそれらの素養を見出すことができた。小泉は、政治制度の文脈から言えば、与党や官僚機構への優位が保証された「強い首相」制度に適応できるトップダウンの能力を有していた。郵政民営化や徹底した公共事業の削減といった実現したい価値や実現したい政策目標を明確かつ強力に持っていた。主要な人事は首相自らが決め、大臣ポストを派閥配分する人事や年功序列人事は採らなかった。首相の任期中は大臣や官僚トップなど執政幹部は交代せずに同一メンバーが一体となって首相を支えることを制度は求めているのである。イメージ操縦の観点からは、対メディア戦略をきちんと作り巧みに演じて世論を吸引できる能力が求められるが、この点でも、小泉やその経済担当の副首相とも言うべき竹中平蔵は共に卓抜した才能を示した。その結果、「小泉の勝利 メディアの敗北」とまで言われたのである。国際関係との関わりでは、小泉は国内政治と国際政治をリンクさせ、二層ゲームを巧みに演じた。彼は不良債権処理や郵政民営化を実行するに当たってはアメリカの構造的外圧を使い、また、北朝鮮による拉致問題を浮上させたり靖国参拝を貫いたりすることによって国内保守派の世論の支持を調達することに成功した。一方、アメリカとの親密化を図るために、アフガニスタン、イラクをめぐる対米支援を国内の相当の反対を押し切ってまとめ上げ、国内経済・金融問題でおおむねアメリカの意向に沿った政策を採り続けた。

 

小泉純一郎の後の安倍晋三、福田康夫時代を振り返ると、日本においては、実現したい価値観を強烈に持っている政治家の調達こそ課題であると思われる。それ無しに集権的な制度を構築しても政策的には何も生まれないだろう。一部の政治学者からは、著者が希求する「より集権的な議院内閣制」は、ポピュリストの台頭を促し、制度による「政治の成功」が「戦略や政策の成功」に結びつかないこともあるとの懸念が表明される。[38] しかし、現代日本の政治にとっては、ポピュリズムの脅威よりも、整備されつつある「首相支配」の制度とゲームのルールを使いこなせる権力操作の達人としての「一人前の政治家」を調達できるのか、という初歩的問題の方がはるかに重要であると思われる。ポピュリズムの脅威は、少なくとも小泉純一郎や竹中平蔵並みの権力政治を遂行できる政治家に対して初めて生じるのである。

 

平成二〇(二〇〇八)年一二月二二日

 



[31] 齋藤健「転落の歴史に何を見るか」ちくま新書(二〇〇二年)、p一一四〜一一五

[32] 同上書、p一一五〜一一六

[33] 野中尚人「高級行政官僚の人事システムについての日仏比較と執政中枢論への展望」―日本比較政治学会編「日本政治を比較する」早稲田大学出版部(二〇〇五年)所収

[34] 村松岐夫・伊藤光利・辻中豊「日本の政治〔第二版〕」有斐閣(二〇〇一年)、p二〇三、及び、真渕勝「現代行政分析」放送大学教育振興会(二〇〇四年)、p一五九〜一六二

[35] マックス・ウェーバー(脇圭平訳)「職業としての政治」岩波文庫、p四一

[36] 齋藤健「転落の歴史に何を見るか」ちくま新書(二〇〇二年)、p一一七

[37] 同上書、p一一七

[38] 高安健将「日本における議院内閣制と首相の権力」−「レヴァイアサン」第四二号(二〇〇八年春)所収、p一六三〜一六四