日本を映す鏡としてのイスラム世界(第一回)
イスラム政治・社会の専門家である池内恵(さとし)氏の近著「イスラーム世界の論じ方」は、イスラム世界を鏡として、日本の政治、外交、防衛、メディアの姿を(とりわけ歪んだ部分の姿を)的確に映し出している。そして私たちに日本の国としてのあり方を真剣に考えさせる。池内氏が分析するイスラム世界をめぐる様々な事象から、私が特に考えさせられた主題を取り上げてみたい。
「ヒロシマ」
まず第一に、「ヒロシマ」について。アラブ世界ではアメリカの広島・長崎への原爆投下は、非西洋諸国の反西洋・反米的な民族主義運動の象徴的な素材として取り扱われており、その論理は次のようなものである。
「日本はアメリカの核兵器で破壊し尽くされて敗れた→それによってアメリカに対する怨念を抱き、復讐の機会を窺っている→であるからアメリカは決して日本に核兵器を持たせない→であるから日本人は逆にアメリカに核兵器廃絶を求める戦術を採用して対抗している」[i]
この論理は、アラブの人たちだけではなく世界の多くの国々の一般市民にとって自然に聞こえる、と池内氏は述べる。逆に、「日本は世界唯一の被爆国であるから核兵器を所有せず、世界中から核を廃絶する運動をしている」という「ヒロシマを世界へ」なる反核運動や市民運動の「論理」は、必ずしもアラブはじめ世界の人々に自明とはならない。「アラブ諸国と軍事的対立や征服・被征服の関係になかったという事情は、漠然とした(日本に対する)好意にも結びつくが、同時に軽侮の対象ともなる。残念ながら『平和国家』を『弱腰国家』と見なすリアリズム(現実主義)は、アラブ世界に限らず世界の多くの国に存在する」[ii] のである。「力」による問題解決をあまりにも忌避することは、国際社会では単に「臆病者」と貶(けな)されるだけだ。私たちは、戦後一貫して「一国平和主義」に閉じこもってきたことの是非をアラブの人たちから問われている。
移民政策の困難さ
第二に、移民政策の困難さ。本書を読めば、移民を受け入れるということはいかに困難なことかがよくわかる。欧州におけるイスラム系移民の受け入れには、ドイツの「一時滞在者」モデル、イギリスの「多文化主義」、フランスの「普遍主義」と、受入国の歴史と文化を背景にして様々な対応がなされてきたが、どの国においてもイスラム系住民との軋轢は絶えない。むしろフランスの学校での女子のヴェール着用問題やイギリスでのテロ発生の問題など、軋轢と対立は深まっているかのようでさえある。欧州のイスラム系移民の問題は、少子化による労働力不足対策として移民を受け入れるなら「相当の覚悟を持て」と私たち日本人に強く自覚を促している。
人質問題
第三に、自衛隊のイラク派遣中に生じた日本人人質事件における日本のメディアや左派知識人の歪んだ言説。この部分(第三章「人質にされたもの」)は、二〇〇四年四月に、高遠菜穂子、今井紀明、郡山総一郎の三人がイラクで人質にされ、日本政府がイラク各地の指導者に働きかけた結果、無事に解放された事件を中心に、そうした人質事件の過程で池内氏が各新聞に寄せたリアルタイムでの論評群である。池内氏の正論と左派知識人や朝日新聞を筆頭にした左派メディアの言説とを対比させると、左派の主張の歪みがよくわかる。
対比の一つめは人質事件発生の原因。左派は、人質事件発生原因を、自衛隊派遣によって生じたイラク民衆一般の反日感情だとしたが、池内氏は「イラクにおいては、自衛隊による民生支援活動については期待や歓迎を受けているのが実情である。また、全土において行われた各種の世論調査でも、派遣後も、日本は好意のランキングで筆頭の位置にありつつ、反感の面で上位に位置していない唯一の国であり続けている」[iii] との事実を突き付け、左派の誤りを指摘する。イラク民衆一般に反日感情などはなく、彼らは人質を取るような行為に無条件で賛同しているわけでもないのだ。
対比の二つめ。左派は「自衛隊派遣が事件をもたらした」と断定し、ひたすら「日本政府の責任」を問う議論に誘導しようとした。これに対し、著者は、極めて冷静に、「武装集団による拉致と脅迫は、まずは犯罪とみなすのが通常であり、同調や共感はしないのが当然だろう。犯行勢力の実態を声明や現地の状況から可能な限り推定し、事件がイラク現地の文脈でどのような意味を持つのかを考察すること」が最低限必要な作業である、とする。しかし当時の全国紙の紙面では現地の状況分析など視野の外だった。左派知識人や左派メディアは、日本人が人質にされたことをまさに「人質」にして、自衛隊のイラクからの撤退を日本政府に迫り、自分たちの政治的目的を達成しようとした。彼らのように「正義の装いを凝らしながら、その実、武装集団の武力による威嚇に呼応して勢いづい(て日本政府の自衛隊派遣を責め)た論者が多く現れたことは、日本のメディアと言論空間における国際政治論の深刻な質の低下を露呈した」[iv] のである。
メディアにおける左派言論とは対照的に日本の世論は冷静だった、と池内氏は述べる。各紙の世論調査では、回答者の七割前後が「自衛隊の撤退は拒否する」との小泉首相の判断を支持した。一般の日本人の受け止め方は、「人質が帰ってくるといいね」「政府は人質解放に最大限努力してほしい」「しかしこのタイミングでの自衛隊撤退は良くない。それでは日本人を人質にとって脅せば何でも通ることになってしまう」といった、様々な側面に目配りの利いたものだった、と池内氏は評価する。[v]
一方、池内氏は、政府の対応についても、あるべき姿に照らして批判すべき点を指摘する。ひとつは、小泉首相の「自衛隊撤退はしない」「テロには屈しない」とだけ繰り返すメッセージの貧弱さと危うさについて。池内氏は、アラブ諸国の世論を味方につけるために、日本の立場をもっと雄弁に語るべきだとする。具体的には、「日本の自衛隊はイラク南部のサマーワという小さな町で給水活動や病院・学校の修復などを行っている」「自衛隊は治安維持活動を行っておらず、ひとりのイラク人も殺傷していない」「日本には自衛隊派遣で石油権益を押さえる意図などまったく無い」「日本は(借款や政府援助などによって)アラブの発展と平和に多大な貢献をしてきた。なのにテロの対象となるのは不当である」といった主張をすべきなのである。[vi] 単に「テロに屈しない」とだけ言えば「対テロ戦争を続けてゆく」と受け止められる。自衛隊は建前上も実態上もイラクで対テロ戦争に参加しているわけではない。自衛隊派遣と対テロ戦争が同一視されてしまえば、犯行グループの主張に正当性を与えてしまう。そうではないことを小泉首相はもっとアラブの世論に対して説明すべきなのである。
政府の対応で物足りないとされるもうひとつの点のは、人質事件のたびごとに恒例のように副大臣の派遣・現地対策本部の設置といった「形式主義」がとられることである。もっと実効性ある対応(例えば、外務省の政治任用の職に、国際的に名の通った交渉の専門家を充てること)がとられるべきだ、と池内氏は指摘する。
平成二一(二〇〇九)年二月三日
(続く)