楠木建・杉浦泰『逆・タイムマシン経営論』を勧める
楠木建・杉浦泰『逆・タイムマシン経営論』(日経BP、2020年)を読む。いちいち腑に落ちること多し。AI(人工知能)、DX(デジタル・トランスフォーメーション)、サブスク(サブスクリプション)…といった先端的な技術やビジネスモデルについての情報が「流行り言葉」となって飛び交うのは、いつの時代も同じである。筆者たちによれば、それらの言葉が無意味だとは言わないが「旬の言説は必ずと言っていいほどその時代のステレオタイプ的なものの見方に侵されています。情報の受け手の思考や判断にもバイアスがかかり、現実の仕事においてしばしば意思決定を狂わせる――本書の関心は、この『同時代性の罠』にあります」ということだ。この問題意識がいい。これに私も大いに共感する。
筆者たちは、十年から数十年前の「近過去」の経済雑誌の記事を紐解いて、その当時の流行りがなぜその後顧みられなくなったのか、その当時の経営者の多くがなぜ流行に乗って誤った意思決定に走ったか、そしてごく一部の経営者は、どのように冷静に自社の「戦略ストーリー」の中に最先端技術や最新ビジネスモデルを組み込むことによって成功を勝ち得たのかをケーススタディしている。
筆者たちによれば、「同時代性の罠」は三種類ある。第一に、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)といったどんな企業にも即効性がありそうに思える「飛び道具の罠」、第二に、今こそ社会が激変する時代だと思い込む「激動期の罠」、第三に、時間的または空間的に自分に身近な世界が悪く見え、遠くの世界が理想化される「遠近歪曲の罠」である。
目次から、さらに具体的に内容例を紹介しておくと、第一の「飛び道具の罠」については、「『飛び道具サプライヤー』の心理と論理」とか「『飛び道具トラップ』のメカニズム」といった見出しが筆者たちの関心の在り処を示している。第二の「激動期の罠」については、「技術の非連続性と人間の連続性」「激動を錯覚させる『テンゼロ論』」「ビジネスに『革命』はない」といった見出しが目を引く。そして第三の「遠近歪曲の罠」については、「『シリコンバレー礼賛』に見る遠近歪曲」「人口は増えても減っても『諸悪の根源』」「海外スターCEOの評価に見る遠近歪曲」といった興味を惹かれるタイトルが目に付く。
私は、筆者たちのケース分析の多くに深く頷かされた。しかし、企業経営や競争の本質を突いているこの本は、経済論壇からは無視ないし黙殺されるのではないか。というのは、著者たちは、その意図の如何に関わらず、経済ジャーナリズムが「いかに軽薄なものか」を炙り出してしまったからだ。たぶん経済ジャーナリストたちは、図星を当てられて苦々しく思い、この本を無きものにするだろう。逆に言うと、よくこの内容が日経BPから出版されたものだ。いずれにせよ、これは日夜現実世界と格闘しているビジネスパーソンたちや将来その世界に入ってゆく覚悟をしなければならない大学生たちにとっては、とても勉強になる本である。
ただし、紙面の不足からか、成功事例のいくつかについて、なぜ成功したかの因果の詳細が書き切れていない事例や、住友銀行のマッキンゼーのコンサル採用の事例のように、それが成功と位置付けられているのか判然としない(たぶんそうではないだろうが、そうなると、コンサル活用の成功事例は挙がっていないことになる)など、舌足らずと感じられるところが何か所かあったことは申し添えておく。
令和3(2021)年1月3日