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「古典派からのメッセージ・2009年〜2020年」目次へ戻る
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安倍政権のウィルス対応について

 

【冷笑主義のジャーナリストと日本の政治システム】

プレジデント・オンライン(七月二十一日配信)に掲載された元木昌彦氏の「GoTo、アベノマスク愚策で国民を翻弄する『陰の総理』今井氏の末路」と題するルポを読んだ。官邸内の権力争い、手柄争いで伸していた今井尚哉首相補佐官が、ウィルス対策で打ち出した政策が相次いで世論の不評を買い、追いつめられている、というような内容だ。

 

書き手の元木昌彦という人は、「フライデー」や「週刊現代」の編集長を歴任したジャーナリストである由。経歴からも明らかだが、この手のルポライターやジャーナリストと称する人たちは、冷笑主義者、皮肉主義者であり、歪んだ権力願望を持っていることが多い。大衆の下品な覗き趣味や権力者や成功者に対する大衆の歪んだ嫉妬心に媚びて、権力者や成功者のスキャンダルを暴いて大衆を満足させることを業にしている。彼らは、正確な事実を冷静に伝えようとするのではなく、大衆に媚びるために、権力者や成功者を醜い姿で描くために事実を脚色し、誇張して書くのが得意であり、そうした作文を恥ずかしいとも思わない人たちであることが多い。

 

私は、今井補佐官がどんな権力欲を持っているのか、とか、今井補佐官と菅官房長官が仲違いしているのかどうか、といった憶測には興味がない。官邸スタッフがどういう働きをしようが、官邸が関与する意思決定は、すべて安倍首相の責任と権限でなされるのが現行の行政制度の建て付けであり、かつては族議員のボスが大臣になって個別利益を差配していた弊害を反省して、首相に権限を集中し、官邸スタッフを充実させて、日本もようやく、他の議員内閣制の国々並みに、首相の指導力が発揮できるようになったのである。ウィルス対策についても、政策判断の結果責任は、すべて安倍首相が負うのであり、私たち国民は、政策判断の裏話を詮索する必要はなく、安倍首相に結果責任を問い、納得のいく説明を求めればいいのである。

 

官邸スタッフにどんなに立派で能力が高い人を揃えても、運悪く政策判断の結果が悪ければ、首相は評価されないのであり、官邸スタッフがどんなに悪辣で能力が低くても、運よくいい結果が出れば、首相は評価されるべきである。政治は「結果」がすべてであり、「私なりに頑張りました」などという「プロセス(経過)」についての言い訳は通用しない。

 

そこで、今回のウィルスに対して安倍首相がこれまで打ってきた政策について、首相自身の「総括」と菅官房長官の「補足」を聞いたうえで、その「結果」を評価してみたい。「月刊Hanada」二〇二〇年九月号に、花田紀凱編集長が両名別々に行ったインタビューが載っていたので、それを紹介しつつ、私の感想を述べたい。

 

【クルーズ船対応】

第一の焦点は、集団感染が発生し、横浜港に停泊したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」への対応である。当初、日本政府の対応は、ニューヨーク・タイムズが「船内での隔離は過去に例を見ない失敗に終わった」と断じるなど、海外メディアから厳しい批判を受けた。しかし、最終的には、死者は十三人、致死率は二%程度に収まり、災厄は最小限に抑えられたとの世界的な評価に転じている。

安部首相は次のように述べている。

 

どの国が責任をもって対応に当たるのかという世界的なルールが一切無い中で、人道的見地から、もちろん日本人乗客も大勢おられたということを考慮して、横浜港で引き受けました。船内での個室管理など前例の無い対応で様々なご批判をいただきましたが、専門家や医療従事者、自衛隊員の皆さんなど最前線の懸命な頑張り、まさにオールジャパンで対応しました。

 

菅官房長官はさらに詳細に次のように経緯を語っている。

 

 …翌二月四日に検査して、その夜に最初の結果が出ると、何と三十一人中十人が陽性。大変なことになったと思いました。

 クルーズ船には、乗組員と乗客合わせて三千七百人が乗っています。これだけの人数をホテルや公務員宿舎ですぐに受け入れられませんから、とにかく降ろさないで対応するしかなかった。たとえ陽性者の割合が三分の一より少なかったとしても、国内での感染拡大の恐れもあります。

深夜十二時に、危機管理監、厚労大臣、国交大臣ほか、関係者二十人ほどをホテルに集めて会議を開きすぐに基本方針を決定しました。陽性の人を直ちに船から降ろし、病院に入院させる。それ以外は下船させずに船内で個室管理すると決め、実行に移したのです。…(中略)…

PCR検査体制も三千七百人には到底足りないので、最初に症状のある人、次に八十歳以上、七十歳以上と順に検査してゆきました。高齢者が重症化しやすいと言われる中で、七十歳以上が乗客の約半数を占めていたため、急ぐ必要がありました。

 検査が一通り終わり、降ろす段階に移ります。陰性で二週間経過した日本人を下船させ、帰宅するのに、公共交通機関を利用していただいたのですが、この対応についてメディアが批判しました。私は「公共交通機関利用の判断は間違ったか」とも思いました。しかし専門家の先生方によれば、武漢からの便で帰国した人の分析を踏まえれば、二週間の観察期間で症状が出ず、検査結果が陰性の人は公共交通機関で帰宅させて差し支えないとの見解でした。…(中略)…帰宅された方たちに対して、厚労省から毎日、健康確認を行って、結果的には大丈夫でした。…(中略)…

 自衛隊には、乗客に高齢者が多い中で必要な医薬品を届けるなど、早い段階から対応してもらっていました。私は災害時の自衛隊の対応能力をよく知っていましたから。今回も、自衛隊の働きぶりは本当に大したものでした。

 

以上の安部首相と菅官房長官の発言を聞く限り、クルーズ船をめぐる対応の結果は評価すべきものであり、対応に重大な瑕疵があったとは思えない。しかし運もよかった。たとえ自衛隊の応援も得て船内できめ細かな対応ができていても、船内の集団感染の勢いがもっと強かったら、手遅れとなって大勢の死者が出たかも知れない。もしそうした結果になっていたら、国内外(特に乗客の多い国のメディア)から厳しい批判を受けたことだろう。

 

 また、菅官房長官も「そこが今回の事案で最も厳しい瞬間でした」と振り返っているように、陰性と診断され下船させた日本人を公共交通機関で帰宅させた結果、それらの人々を基点にして国内の感染が爆発的に広がるような事態が発生していたら、安倍首相の責任は免れなかっただろう。

 

【全国一斉休校】

第二の焦点として、二月二十七日に安倍首相が要請した全国一斉休校がある。この対応について、安倍首相は次のように述べている。

 

未知のウィルスとの闘いですから、危機管理の要諦として、状況が詳らかではない当初の段階では、大きく構えた対策を講じなければならないと考えていました。その中で、万が一にも学校の中で感染拡大を起こしてはならない。「学生を含む若い人たちが重症化するリスクは低いのではないか」と言われていましたが、私はあの時、万が一を考えなければならないと思いました。千葉県市川市のスポーツジムで感染が確認され、市内の教職員四人がそのジムに通っていたとの情報も入っていましたから、早期に決断しなければならないと判断し、全国で一斉休校の措置をとりました。

あとからみれば、あの一斉休校が国民の行動変容にもつながっていった側面もあったと思います。国際的にも日本が先頭をきった取り組みでありましたから、ここでも様々なご批判をいただきましたが、その後、イギリスをはじめ多くの国々も一斉休校の措置を講じました。

 

 私の実感でも、この一斉休校要請は出方が唐突な感じがしたものの、「国民の行動変容」を促す効果があったと感じる。その意味では、一定の成果があったと評価すべきであろう。しかし、これも「市民の衛生意識の高さ、政府などからの行動変容の要請に対する協力度合いの高さ」(安倍首相)に依存した結果であり、政策だけの成果ではない。しかもこれにはいまだに釈然としないことも多い。なぜ学校なのか、なぜ緊急事態宣言ではなかったのか、その後に出された緊急事態宣言が遅すぎたのではないか、「大きく構えた対策」として一斉休校要請がベストなのか、といった疑問が沸くが、それらに対しては、安倍首相から必ずしも明確な説明がなされていないように感じる。敢えて解釈すれば、重症化しないと言われ油断している若者への警鐘効果や子を持つ母親層への影響の大きさによって国民の行動変容効果が高くなったのかも知れない。このあたりは、社会心理学者の国際比較を伴う実証研究を俟ちたい。

 

【アベノマスクの需給緩和効果】

第三の焦点として、「アベノマスク」の効果について取り上げたい。これは、全世帯にガーゼ製の布マスクを二枚ずつ配布するもので、四月一日の新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で安倍首相が実施を表明、四月中旬から六月にかけて全国に配布された。

四六六億円の予算措置を伴うアベノマスクに対しては、「もっと先にすべきことがある」等の批判や揶揄が多かった。

 まずは安倍首相の説明を聞こう。

 

 布マスクの配布に関しましては、マスク需要の急増によるマスク不足が特に医療現場で深刻化していました。国内生産も増やしましたが、医療機関への供給を優先する中で、薬局などでは開店と同時にマスクが売り切れるといった状況が続いていました。

 こうした中で、使い捨てではなく、洗えば何度でも使える布マスクが届けば安心してもらえますし、何よりも急増したマスク需要の抑制にもつながります。そのため、まず介護施設や障碍者福祉施設、全国の小中学校に布マスクの配布を開始しました。さらに一億枚以上の確保が見込まれたため、すべての住所への配布を行うこととしたものです。…(中略)…

 国内でマスク増産に協力してくださっているユニ・チャームの高原社長も、使い捨てマスクだけだと拡大したマスク需要には追い付かないが、この布マスクと併用していただくことで需給をバランスさせることができると(おっしゃ)っていました。布マスク配布の一定効果は間違いなくあったんだろうと思います。

 配布を発表した当初、多くのご批判を受けたのですが、例えばその直後に、米国のCDC(疾病予防管理センター)も、感染拡大を防ぐ観点から、布マスク着用を全国民に推奨する方針を明らかにしました。シンガポールやフランスのパリなどでも、実際に全住民に布マスクを配布し始めました。引き続き、国民の理解を得られるよう努力をしていかなければならないと思っています。

 

安部首相が述べているように、アベノマスクの目的は、マスク需給逼迫を緩和することであり、その政策効果を評価するには、布マスクの全戸配布にマスク需給を緩和する効果があったかどうかを測定すればよい。そして可能ならば、マスク需給緩和策として他の手段、政策と費用対効果を比較できればもっといいだろう。

 

「月刊Hanada」の花田編集長によれば、アベノマスクが配布され始めた四月中旬から、ネット販売で暴騰していた価格が下落に転じた。これは「在庫速報.com」などのデータから明らかだという。この価格下落を受け、売り惜しみしていた卸売り業者が在庫を放出し始め、タピオカ店など、ドラッグストアやスーパー以外の諸業態で次々にマスクの販売が始まった。一方、ドラッグストアやスーパーのマスク供給は、七月現在でもなお、ウィルス発生前の水準に回復していないが、店頭の品薄は解消されつつあり、過剰な需要が抑制された。つまり、アベノマスクはマスク供給を増やし過剰需要を抑制する効果があったのではないか、と花田氏は観察している。

 

 一方、菅官房長官は、マスクをはじめ医療物資調達のために、官庁横断の組織化に腐心した経緯を詳しく語っている。要点をかいつまんで紹介すると、はじめに厚労省に十名の「マスク班」を組織したが、マスクの八割が中国からの輸入であり、国内ルートでの調達はすぐ隘路に入った。そのため、経産省を「マスク班」に巻き込み、国内メーカーに補助金を出してシャープなどが製造し始めた。次に地方自治体の備蓄しているマスクを放出させるために総務省からも「マスク班」に人を出させ、大学病院を所管する文科省や物資の廃棄に関係する環境省も入れて、「マスク班」は五つの省から最大で百二十人体制になった。菅氏は言う:−

 

マスクのように、全体がきちんと回る流れを、私が監督して作っています。マスク以外にも、例えばPCR検査体制の拡充があります。…(中略)…行政の縦割りを打破するためにどうすればいいか、和泉洋人補佐官を責任者に充て、私は全体を見て指示を出すようにしているのです。国家安全保障局も巻き込むことによって、以前と比べ、しっかり対応できる体制になってきたと思います。

 

以上は、アベノマスクには、マスクの需要と供給の双方に働きかけて需給を緩和させる効果があり、菅官房長官の官庁横断の「マスク班」には、マスクの供給を増やす効果がある可能性を示唆している。私も、アベノマスクはマスクの需給緩和に一定の効果があったと思う。マスメディアに煽動されてアベノマスクを冷笑と揶揄の対象としてしか捉えない態度は、非科学的で不公平である。アベノマスクにはマスク需給緩和の効果があったのか。ミクロ経済学者の格好の実証研究の題材になるだろう。

 

【経済対策全般】

 次に、経済対策をみてゆこう。今回のウィルスが経済に及ぼすショックは、リーマンショックを上回り、百年に一度の危機であるとも言われる。経済学者や政治家の中には、消費税の減税を実施すべきとの意見を唱える人もいる。また、実際にイギリスなど、消費税減税を行った国もある。しかし安倍首相は、現金給付を大々的に行うことを優先し、消費税減税を行わない方針である。安倍首相の説明を聞こう。

 

今回、二度に亘る補正予算を早期に成立させました。事業規模二百三十兆円、GDPの四割に上る世界最大の対策を実施しています。また、第二次補正予算を組むにあたり、麻生財務大臣と日本銀行の黒田総裁が会談を行い、政府・日本銀行で異例の共同談話を発表しました。いわば、政府と日本銀行が連合軍となって、あらゆる手立てを尽くしてこの危機を乗り越えていくという宣言をしたわけです。…(中略)…

消費税については、急速に高齢化が進む中において、若者からお年寄りまですべての世代が安心できる社会保障を構築していくためにはどうしても必要な財源であり、既に幼児教育の無償化、真に支援が必要な高等教育の無償化もスタートしています。…(中略)…消費税減税について、私は考えていません。非常に思い切った給付を実行していますから。例えば、実質無利子・無担保、元本最大五年据え置きのローンも十六兆円支払われており、持続可能給付金に関しましても…(中略)…二百十九万件、二兆九千億円の給付を既に実施しています。

 

今回のような感染症による経済ショックに対して、現金の給付と消費税の減税は、費用対効果や困窮者配慮や副作用の可能性といった点を比較した場合、どちらが望ましいのだろうか。これは、マクロ経済学者の格好の実証研究のテーマとなろう。

 

私はどちらかと言えば「財政タカ派」なので、まず消費税減税については、首相と同様、目的的に導入されている消費税に手を付けるのは反対である。また現金給付については、ある程度の現金給付は緊急措置としてやむを得ないが、例えば信用保証協会の保証などは、期限と範囲を定めてできるだけ早く店仕舞いすべきである。リーマンショックや九〇年代の金融危機の時もそうだったが、信用保証協会の保証は金融機関の目利き能力を劣化させかねない「麻薬」的副作用がある。安倍首相の「GDPの四割に上る世界最大の対策を実施しています」などということは、自慢げに言うべきでもないと思う。財政を痛めることは、将来世代からの略奪であることを我々は忘れてはならない。

 

自由主義的立場の経済学者からは、新陳代謝作用による産業構造改革の機会とすべきだとの主張もあり、これにも一理あると思う。例えば、七月十八日付日本経済新聞の「大機小機」で「玄波」氏は、こう述べる。

 

 中にはコロナ前から売り上げが少ない割に収益力や生産性が低く、経営不振が続いてきた企業もある。それでも各種規制に守られるなどして存続してきた例があり、ゾンビ企業などと称されることもある。

コロナ禍の新常態により経済や社会の状況は大きく変わり、今後も元に戻るものではない。将来を展望すれば、日本は原状回復にとどまらず、長年の課題である構造改革を断行する好機である。経営が非効率な企業に代わって、日本経済の新たな担い手となる企業が育っていく新陳代謝が必要である。…(中略)…

中国などを含めたグローバルな競争に生き残れないとの危機意識は多くの産業関係者が抱いているIT化に対応できない非効率企業は市場からの退出を迫られるという覚悟も必要だ。歴史を振り返れば、昭和恐慌を契機に日本経済は軽工業中心から重化学工業中心へと構造転換を果たし、戦後の経済発展の礎となった。長期政権のレガシーを活用し、今こそ新たな日本の産業像を示すべきだ。

生活関連産業は多くの労働者を抱え、雇用の吸収力が高い特徴をもつ。外国人労働者も含めて、これまで景気変動の調整弁ともいえる役目を果たしてきた。産業の裾野が広いだけに選挙投票の観点から政治力があり、政治においてポピュリズムの面から重視されやすい。

 

小売業、飲食業、観光関連産業などの事業者数の多さは投票数の多さであり、政治パワーの源泉であるが、ただ存続を保証するだけの人気取り的支援ではなく、IT装備も含めた環境対応力を身につけさせるように事業者に促し「力ある企業を残し育てる」ような政府の支援策が望ましいと私も思う。

 

金融機関の中小企業に対する資金繰り支援も、将来性がない場合にはいたずらに借金を増やすよりも円滑な廃業を促したほうが望ましい場合もある。「すべての中小企業を守る」のではなく「すべての残るべき中小企業を守る」ための冷徹な目利きが金融機関には求められる。

「月刊Hanada」九月号で、安倍首相は、次のようにも述べている。

 

 コロナ時代、その先の未来を見据えながら、新たな社会像、国家像を大胆に構想し、未来投資会議を拡大した新たな会議の場において、ポストコロナの新しい日本の建設を進めてゆきたいと思っています。

 

この「新しい社会像、新しい国家像」の提示を期待して待つとともに、日本人皆がこれを考え、議論してゆきたいものだ。

 

【特別給付金と所得・資産のガラス張り化】

 さて、経済対策の内、当面の生活資金支援として、当初、収入が大きく減った困窮世帯に対象を絞った三十万円の支給が決定されたが、公明党の強い申し入れによって、一律十万円の支給へ変更された。これについての安倍首相の見解は次のようなものである。

 

 最終的な判断は、私自身が与党の皆さんと相談して決めました。…(中略)…現金三十万円の給付を決めたあと、緊急事態宣言が全国に発出されました。さらに、その期間を一か月延長せざるを得ない状況となった。

 そんな中で、「国民が一丸となってこの国難を乗り切ってゆこう」という気持ちの醸成と、「政府もしっかりと支援していきます」という強い決意を国民の皆様に伝えてゆく。その意味において、国民一律十万円の給付に変更をしました。あの判断は本当によかったと思っています。

 

この発言を額面通り受け取れば、「過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ」(『論語』学而第一)を実践したということなのだろう。しかし、収入が大きく減った困窮世帯に現金給付の対象を絞って三十万円支給するのと、全世帯一律十万円支給するのと、どちらが経済的に意味があるのか、これも経済学者にとって検証すべき研究テーマとなろう。安倍首相の言うような国民の一体感醸成効果があったのかどうかも含めると、社会学者の実証テーマにもなるだろう。

 

私は、東洋経済オンライン(二〇二〇年七月二八日)に掲載された権丈善一慶應義塾大学教授の「日本の社会保障、どこが世界的潮流と違うのか―カンヌ受賞作に見るデジタル化と所得捕捉―」という論説に強く共感する。権丈氏は次のように述べる。

 

最近のイギリスにおける「即時的情報(Real Time Information)計画」をはじめ、以前からアメリカの社会保障番号などが整備されてきた状況を考えれば、国民の所得、生活の状態を国が把握できていないということが、今や先進国の中の日本の際だった特徴になりつつある。

日本では、住民税非課税世帯であるかどうかの情報くらいしか国側からはわかっておらず、今回の新型コロナウイルスが襲った国民の生活を、政策として支えようにも誰が本当に困っているのか、残念ながらよくわからないのである。

タックス・クレジット(給付付き税額控除)のような就労福祉を行うためには、所得の随時捕捉は必要であるから、それを行う国では、そうしたインフラの整備が進められてきた。だからそうした国々は、国民の所得情報を用いて給付対象を識別し、要望を待たずに連絡する「プッシュ型支援」を実行できる。このインフラがあったからこそ、今回のコロナ禍では、所得に応じて支援に濃淡をつけることもできていた。

日本には、給付を受ける側からの申し出を待たずにそうしたことができるインフラはない。だから、スピードを要する場合には全員に均一の給付を行うということになってしまい、必要な人には不足しており、そうではなく本来は被害者を支える側にいてしかるべき人にも配られてしまうことになるのである。

しかも広くみんなに配るために、費用は巨額にのぼる。わたくしは昔から「広さの怖さ」と呼んでいるが、とにかく広く配るというのは、みなの想像を超えて巨額が必要になる。一万円を一億二六〇〇万人に配れば一兆二六〇〇億円、十万円ならば十二兆六千億円になる。二〇二〇年度予算における国防費は約五兆三千億円である。

 

権丈氏は、政府のプッシュ型支援が必要な低所得者層の利害に力点を置くはずの左翼政党が、マスメディアとともに、「政府は信用できない、プライバシーを守りたい」と言い続けて、「社会保障という所得再分配政策をスムーズ、かつ効果的に実行するために必須となる」マイナンバーカードの整備・活用に反発することを次のように皮肉っている。

 

富裕層にとっては、この上なく好ましい国民性であろう。彼らにとって、広く国民が政府不信を強めるようなキャンペーンを張っておけば、自分たちの資産やアングラマネーを守ることができる環境だけは、この国ではしっかりと完備されている。

 

私も公明党の平等主義、一律配布による財政の非効率な使い方に怒りを覚える。公明党は、リーマンショック後の対策としての二〇〇九年の定額給付金、一九九八年の日本の金融危機後の地域振興券でも一律配布を推進した「前科」がある。自民党が公明党と連立を組むことによる膨大な「社会的費用」を、私たちは将来世代に負わせ続けている。

 

マイナンバーカードを社会保障と税の一体運営のためのツールに活用するなどはデジタル技術活用のごく初歩である。欧米諸国はずっと先を走っている。プライバシーを理由に国民の所得・資産のガラス張り化をためらっていては、アングラマネーで私腹を増やす悪徳富裕層を喜ばせるだけだ。

 

【為政者としての覚悟】

さて、最後に、このインタビューで印象的だったのは、安部首相と菅官房長官の冷静さ、謙虚さ、後世に評価をゆだねる潔さである。「(メディアや野党などは)批判ばかりで、さすがに嫌になったり、腹が立ったりしませんか」との花田編集長の問いに対して安倍首相は、

 

それは全くありません。成果が出てくればわかっていただけると信じていますから。それと、私の祖父・岸信介が常々言っていたことなのですが、「総理大臣にとって一番肝要なことは、腹を立てないことだ」と(笑)。

 

と答えている。成果が出れば評価されると信じている、という言葉は謙虚でしかも自信も感じられる。

 

一方、「今井尚也首相補佐官サイドとうまくいっていないのでは?」との質問に対して、菅官房長官は、

 

 政策について考え方が違うことは当然ありますよ。けれども、最後は総理が決定します。そこは全くおかしなことにはなっていないと思います。

 

と「大人の受け答え」をしている。また、マスメディアからのバッシングについて菅氏は、

 

 あれこれ言われましたが、政権は権力を有していますから、批判されるのが当たり前です。それに耐えられる体制がなければ長続きしません。よほど覚悟してやらないと、短期政権で終わります。私たちはあまり(マスメディアなどの批判を)気にしないで、やるべきことをやってきただけです。…(中略)…

 (専門家会議のメンバーの中にも)いろいろな発言をされる方がおられるのは当然です。皆さん、よくテレビ出演をされていましたが、個人の意見です。結局、最後に責任を負うのは政権ですから。

 

と受け答えしている。実に冷静で謙虚で、しかも潔く責任を負いながら遠くを見て仕事をしていることが伺われる。こうした安倍首相や菅官房長官の発言が、もっと日常的に目につけば、国民の政府に対する信頼度も高まるだろう。恐らく、主要なマスメディアは、そうなるのを嫌ってインタビューしないのであろう。卑劣な性根である。

 

令和二(二〇二〇)年七月三十一日