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「古典派からのメッセージ・2009年〜2010年」目次へ戻る
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東日本大震災と金融機関

 

 

二月十一日のNHKスペシャル「『魚の町』は守れるか―密着気仙沼信金の二百日」にいたく感動。東日本大震災の被害からの再建を目指す地元企業を支えようと格闘する気仙沼信金の融資の現場にまさに密着取材した熱いレポートでした。東京の有名店にフカヒレを納入していた水産物加工業者は、津波で工場を喪失し既存債務三億円に加え再建にはさらに四億円が必要となります。メインバンクに融資を謝絶され困り果てた社長が信金に飛び込み、信金の審査担当理事や融資担当者と一緒に悪戦苦闘します。また、地元の漁業を支える造船業者は、既存融資をこの信金に押し付けようとする銀行の行動に翻弄され、信金マンたちとともに困難な状況を打開しようとします。

 

小生が感動したのは、気仙沼信金の審査担当理事や融資担当者たちの「ウォームハートとクールヘッド」です。彼らはこの局面で地元企業を支えるのは自分たちしかいないという「熱い気持ち」と「使命感」を持っています。それはテレビ画面に映し出される彼らの真剣な表情や瞳の輝きにはっきりと現れています。しかしこの信金自身が震災に遭い支店のいくつかを喪失しているのです。しかも地元企業は震災で廃業する事業主も多く信金の貸出金ポートフォリオは劣化し自己資本がどんどん毀損する中で、やみくもに貸出を増やすわけにはいきません。真に必要で返済の目途があるカネしか出すわけにはいきません。しかしこの不確実な局面で返済の目途を見極めるのは至難です。審査担当理事や融資担当者たちは七転八倒してディレンマに苦しみます。貸すか貸さざるべきか判断の困難さに加え、逃げようとする他行との交渉に彼らがいかに神経をすり減らしているか、テレビ画面に映し出される表情を見ていると、かつて銀行業務を経験した身としては胃が痛むほどです。

 

水産加工業者向け融資は、日本政策金融公庫と協調融資を組むことで何とかクリアします。同公庫の担当者が信金を訪問する日には、融資担当者らが応接室の掃除までして神経を配ります。この信金としては異例な多額の無担保融資を実行することについて理事長の了解を取り付けた審査担当の羽賀理事が「自分は腹を据えた」と融資担当者に語った時の吹っ切れた爽やかな表情は忘れられません。何とか地元企業を救いたいという一念が、いろいろな工夫を生み、苦しい交渉を進めさせ、血のにじむようなぎりぎりの判断を導き出したのです。

しかし、この番組で紹介されたいくつかの事例はうまくいった事例ですが、恐らくこの何倍かのうまくいかなかった事例があって廃業に追い込まれた事業者も多かったのではないかと想像すると胸が痛みます。

 

 

<フェイスブックでの友人たちとのやりとり>

T氏コメント:

もちろん事業内容は重要だが、事業を担う経営者の資質にかかるとおもう。直近では、行政が中小企業に緊急融資する事業も有るようだが、貸すべき経営者を選別するのは難しいと担当者に聞いたことがある。本業を見極められるバンカーが増え、眠れる企業家をたくさん発掘してほしい。

 

小生のレス:

どんな困難な時も政府の出動は最小限にすべきだというのが小生の信念です。困難になれば政府が助けてくれるというような思いが国民の間に広がっている国では起業家は現れません。気仙沼信金のように、地域振興と返済可能性をぎりぎり天秤にかけて判断することが本物の融資です。政府が出動すると、「まあ返って来なくてもいいか」になり、限りなくたるんだ社会になります。銀行がクールヘッドを忘れてはいけません。参考までにhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ubukata/20030911.htmlをご覧ください。

 

I氏コメント:

震災のような大事が起きると、自分のことしか見えない大手銀行の(ほとんどの)行員と、会社の生き残り事態が地域社会および自身の行動と大きく関係がでてくる信金などの行員で、使命感や責任感が全く違うんでしょうね。小さな話ですが、自分や嫁の親から、地元の小さな商店(もちろん値段はスーパーより高いのですが)との関係を大事にしろといわれました。困ったときに必ず助けてくれるのはそういった連中だから、と。

 

小生のレス:

金融論の学問の世界では、銀行が将来性ある企業を発掘できる「目利き」能力のことを「情報生産機能」と言います。情報生産機能は金融庁の「指導」などで身に付くものではありません。失敗経験も含めた経験による暗黙知が何より重要だと思います。行政はリレーションシップ・バンキングといったような机上の空論による余計な「指導」などやめて、もっと地域金融機関の創意工夫に委ねるべきでしょう。

 

東日本大震災の時にA銀行の仙台支店長を務めていたN氏コメント:

震災から数ヶ月当地にいた金融マンとして、何ができたかという差はありますが、大手も、地銀も、信金も、信組も、それぞれが、必死に、そして真摯に、自分たちが出来ることを考えて、行動していました。

震災直後に、本店が被災した石巻信金のある石巻や気仙沼、原発に揺れた、いわき、相馬、福島、郡山、そして、仙台、北は陸前高田から、八戸の沿岸部まで行きましたが、業態を超えて、金融マンは必死に明日を模索して、企業と向き合っていました。

気仙沼信金の方は、本当に立派と思いますが、一方では、語られることの無い、バンカー達の戦い、苦悩もあったことを(まだ、続いていますが)お伝えしておきます。

 

小生のレス:

当時現地におられた金融機関の方々のご苦労は小生の想像を絶するものだと思います。あの番組は、そのほんの一部を伝えているに過ぎませんが、それでも映像となって苦悩する信金マン達の姿を見ると、多少たりともバンカーシップとは何かを考えさせられた次第です。一緒に見ていた家内などは、気仙沼信金の人たちの懊悩する表情を見て「あの人たちはうつ病になってしまうのでは」と心配したほどです。映像の持つ力がよく発揮されたドキュメンタリーだと思いました。

 

H氏コメント:

貴重な情報、有難うございます。その時間は締め切りの仕事に追われていて、拝見するご縁がありませんでしたが、NHKオンデマンド「見逃し番組」で視聴可能のようですので、あとで見てみたいと思います。何せ「H理事」なる人物が登場される様ですので…(笑)。ちなみにこの名字は福島から北の方に多い、と聞いたことがあります。金融は素人ですが、社会論として興味があります。

 

小生のレス:

もうオンラインで視聴できるのですね。ご覧になってない方々にもお勧めします。話は変わりますが、『文藝春秋』三月号に、白川日銀総裁のインタビュー記事が載っています。二点ほど大変興味深かったのでご紹介します。

第一点は、大震災の時の日銀の対応が、膨大な量の傷んだ紙幣の交換といった作業も含めて非常に秩序だっていたことです。危機管理の意識がよく組織に行き渡っていたことを感じさせます(もし白川総裁が述べている通りだとすれば、ですが)。

第二点は、日本の「失われた十年」は特殊なケースだと思われていたが、現在先進国では日本の経験から学ぼうと言う機運が高まっているというコメント。そして「にもかかわらず、日本では今でも、海外での議論を借用する思考様式から抜け出せていない」との指摘です。経済学、金融論の世界はとりわけこの「借用」が学問の主流になっています。日本は自分の経験を一般化、理論化して世界に問うステージに来ていることを日本のメディアやオピニオン・リーダーたちは自覚すべきだと思った次第です(自分に対してもそう言い聞かせつつ)。

平成二十四(二〇一二)年二月十二日〜二十日