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「古典派からのメッセージ・2009年〜2010年」目次へ戻る
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世論応答と専門知の相克―鳩山政権の金融行政をめぐって(第八回)

 

 

三つの政策事案の検証結果

 

1.「政治主導」の実態は、「大臣支配」というべきものであった。

 

三つの政策事案の検証から明らかになったのは、現政権の金融行政が、いわば「大臣支配」といった性格を帯びていることである。亀井大臣は、自ら関心を持つ@「中小企業金融円滑化法」制定とA「改定貸金業法見直し」を自在に主導し結論付け、関心の低いB国際的な規制強化の動きへの対応は副大臣以下に委ねてきた。

 

亀井が強引ともいえるやり方で自ら望むように政策決定できているのは、彼の政治家としての資質による面もあろうが、むしろ、

 

@参議院における国民新党のPivotal Party(かなめ政党)という位置、

A与党内政策決定ルール(与党内民主政治)の未確立、

B野党の政策チェック機能劣化、

C「政治主導」慣れした金融庁官僚の「もの申さぬ」性格、

 

といった、政権交代に伴う諸制度(ゲームのルール)の変化をフルに活用した、したたかな政治行動と見るべきである。亀井は、豊富な政治経験から、大臣が決めたことを覆す「制度」(ルール)が事実上存在しないことを見抜いた上で自在に行動しているのである。上記要因のうち、A〜Cについては次項以下で改めて説明したい。@は、国民新党の議員6名を加えないと民主党が参議院で過半数を確保できない状況を言う。民主党の閣僚が亀井に強くものを言えない大きな理由は@にある。

 

@の状況を維持することは亀井の最大の目標となっている。したがって、亀井の政策関心は、常に、来る2010年7月の参議院選挙を意識したものになっている。中小企業金融円滑化法は、亀井をはじめ国民新党の議員たちの支持基盤である地方の中小企業への得点稼ぎである。彼は、自分の地元の中小企業関係者が自殺したことを引き合いに出して、この政策が重要であると訴え、[1] 国会でも「たとえ一割でも、困った人がいれば対応するのが政治だ」と答弁し、中小企業者の世論に応えようとしている。

 

一方、貸金業法見直しでは、亀井は、改正貸金業法が国会の全会一致で成立した経緯にこだわり、連立している社民党の福島党首の意向にも配慮して、完全実施の結論に固執した。これは「強欲なサラ金」への世論の厳しい眼差しを意識すると同時に、三党連立のスキームに亀裂を生じさせて参議院選挙を不利にしないためである。しかし貸金業者への規制強化は、中小企業者の資金繰りには悪影響がある。それについて亀井は、「政府系金融機関や民間金融機関がきちんと融資するのが基本。そういうところに行くべき人が高利のサラ金で借りている」と繰り返し主張している。[2] ここでは、「普通の金融機関が低利で貸せ」という(貸出の経済合理性は無視した)世論受けする主張によって政策矛盾を糊塗しているのである。

 

2.多くの与党議員が参与する「政治主導」は建前に過ぎず、与党内での政策検討プロセスは未確立。野党である自民党の政策チェック機能も発揮されていない。

 

 現政権は、三つの事案において、政務三役が原案を作成し、与党政策会議を経て、閣僚委員会、閣議へ上げてゆく「政治主導」の形をとることを建前とした。政権の建前としては、多くの与党議員が参与して原案を作成し討議しながら(党内民主政治を保ちながら)政策策定することが想定されていた。

 

 しかし実際は、原案作成に与党議員たちが関与できたのか疑問であり、中小企業金融円滑化法、貸金業法見直し、国際的規制強化に対応した国内体制整備のいずれにおいても、事案の経緯を熟知している官僚のサポートを得て、大塚、田村が原案を作成したものと推定される。大塚や田村の果たした役割を振り返ると、中小企業金融円滑化法の制定過程では、大臣の「衝撃発言」から始まった案件を、大臣の意図も汲みつつ現実的な落とし所に着地させた。貸金業法見直しでは、外部の専門知を活かして経済合理的判断へと大臣を誘導することなく、政策矛盾をきたしている大臣に従順に従った。国際的規制対応では、大臣から権限委任されて既定路線を淡々とこなした。このように、副大臣や政務官は、大臣の設定したテーマを効率よくこなす官僚機構の一部に過ぎなくなっている。

 

現在の与党政策会議には意思決定機能が無く、政務三役以外の与党政治家が個別の金融行政に関与することは困難である。しかも副大臣や政務官が官僚化している現状では、大臣の意思決定に影響を及ぼす仕組みは与党内に存在しなくなる。貸金業法見直しについては、民主党内にも規制強化への慎重論が多く、議論も紛糾したようであるが、結局、大臣の権限をチェックできなかった。

 

中小企業金融円滑化法の国会審議では、野党である自民党も精彩を欠いた。審議欠席や委員長解任動議の提出も効果的な「抵抗」にはならず、野党としての自民党の「所作」が未確立であることが露呈した。

 

3.官僚機構は、新政権の路線転換や新政策にも忠実かつ迅速に対応した。

 

中小企業金融円滑化法について、大塚は国会答弁で端的に「この法案作成に当たっては、(中略)政務三役だけではとても対応し切れませんので、金融庁長官以下、事務方の皆さんの本当に昼夜を惜しまずの努力の結果、こうした形になっております」[3]  と述べ、また、亀井大臣も、「脱官僚」を掲げる民主党とは一線を画し、常に、官僚をうまく使うことが政治家の役割だと述べている。

金融庁官僚が政権交代にスムーズに対応できたのは、このように、政務三役が官僚の専門知を活用する必要に迫られたことや官僚排除的でない組織マネジメントのスタイルを採ったことにもよるが、1998年に大蔵省から分離されて以来、小泉政権の竹中平蔵大臣らの強力な「政治主導」のもとで「政治と世論への鋭敏な応答力」を身につけ、政治に対する従属的姿勢が身についていたことにもよると思われる。

 

貸金業法見直しの際も、政務三役が総量規制の負の影響を考慮しない方向に傾こうとすることに反対して、金融庁官僚が積極的に「ご注進」をした形跡はない。世論応答の政治主導で実現した2006年の法改正の経緯を熟知していた官僚たちにとっては、予定通りの全面実施方針が覆ることは厄介であり、それを恐れたため粛々と政務三役に協力したのであろう。

 

一方、バーゼル銀行監督委員会など、最近の国際会議で金融庁長官らが積極的に国益を主張していることは注目される。佐藤隆文前長官は、博士論文[4] で、自己資本規制のpro-cyclicality(景気変動を増幅する性質)の問題を日本の経験から指摘しているが、日本の経験は国際的にも説得力があるに違いない。

 

4.審議会等は停止された。

 

自民党政権時代、貸金業の問題は、「貸金業制度等についての懇談会」(2005年3月〜2006年8月)や「多重債務者対策本部有識者会議」(2007年1月〜 )において、利害関係者や有識者からの意見を聴取して専門知の立場から調査し意見具申することになっていた。国際的な規制強化への対応についても、「金融審議会」の「基本問題懇談会」で継続的に議論されていた。

 

しかし、民主党は、審議会等が「官僚主導の隠れ蓑」になっていたとして、政権に就いた直後に各省庁の審議会の大半を停止した。貸金業法見直しでは、それに代わり、PT事務局会議が広範なヒアリングを実施し、専門知確保の手段として機能し得ることを示した。しかしこのヒアリング結果がPT座長試案や大臣の意思決定に反映されたとは言い難い。専門知が真剣に顧慮されないなら、事務局ヒアリングは、単にプロセス透明化を装うための政務三役の「隠れ蓑」になってしまう。審議会プロセスが欠如する分だけ、透明性、正統性をどう確保するか(専門知の検証をどう確認するか)を説明する責任が政務三役にはある。

 

5.中小企業金融円滑化法と貸金業法見直しとでは政策効果が矛盾する。

 

中小企業金融円滑化法を主導した亀井大臣は、貸金業法見直しにおいては、資金需要ある中小企業者に対して悪影響をもたらすような矛盾した政策判断を示した。この矛盾した政策判断は、現政権での大臣の権限の強さ(与野党や官僚機構からの牽制の効きにくさに加え、審議会停止による専門知注入の機会減少)が、経済合理性を無視して矛盾した個別政策を生みやすくする可能性を示唆している。

 

結論

 

鳩山政権の金融行政は、いわば「大臣支配」といった性格を帯びている。それは、参議院における国民新党の位置、与党内民主政治プロセスの未確立、野党の政策チェック機能劣化、金融庁官僚の従属的性格、といった制度的要因によっている。

 

「大臣支配」は、「政治主導」の一つのあり方であり、本来は権限を持たない「族議員」が事実上の政策決定権限を持った「55年体制」との比較で言えば、大臣が所管業務について「責任を取らされる以上、政策を立案するうえで、必要十分な権力を与えられることは道理にかなったこと」[5] であり、「権力を保持している政治家に責任を問うのが民主政治の基本である。」[6] その意味で権力の所在と責任の所在の一致は望ましいことである。

 

しかし、金融行政における「大臣支配」は、大臣の世論応答的政策決定に対する専門知による検証がされず、経済合理性を欠いた政策決定がなされるリスクを孕む。大臣の政策決定の目的が目先の選挙(世論応答)に偏れば、様々な政策矛盾を生じ得る。

 

 現政権の金融行政には、世論応答と専門知の相克に折り合いをつける制度(ルール)が未確立である。個別利益の代弁者としてではなく金融の専門家としての与党議員が参与して政策主導するのが民主党の本来構想した「政治主導」だったが、その意味での「政治主導」の制度(ルール)は確立されていない。また、野党としての自民党の政策チェック能力を高めることも求められる。「大臣支配」に加え「与党専門家の政策チェック」「野党の政策チェック」が「政権交代時代」に求められる「政治主導」の要件である。官僚や外部専門家の専門知を透明度の高い形で活用する制度(ルール)も確立されるべきである。

 

「大臣支配」の状況においては、金融の現代的課題に通暁し、かつ、世論応答への鋭敏性や柔軟性も兼ね備えた人材が政務三役の中に不可欠である。だが、日本の政治家には、金融のみならず科学技術、知的財産権など長期的国益に関わる政策の専門家が乏しい。これは選挙のあり方や候補者リクルートメントに起因する部分も大きいと思われ、例えば参議院議員に長期的国益に関わる専門性を担わせることも考えられるが、制度をすぐに変えることはできない。政治家に適材が見出せなければ、非議員の専門家を政務三役や常勤顧問として登用する政治的任用も検討すべきであろう。

 

 放送大学学長の石弘光氏は、民主党政権に対し、「専門家の知を活用せよ」と、以下のように注文をつけている。

 

 政策決定にあたり、政治主導で何でも仕切れるというのは、やはり傲慢ではないか。それには政治家自身が専門的知識を十分に持ち、それを生かして政策立案に優れた才能を発揮するとの前提がなくてはならない。(中略)

 

 思うに、ごく一部の人を除けば政治家の大半は、正規に経済学などの学問体系を専門的に習得したわけではない。政治家として優れた資質はあるとしても、かかる意味で政策に関し専門家とはいえない。だから個別の分野で自分のしたい施策を設計できても、一国全体を見渡した政策論として、整合性をとって批判に耐えうる政策プログラムを企画・立案できないのだ。それを補うには、政党として政策の企画・立案を組織的に行う機関をつくる必要がある。 (中略)

 

 一般的にいって、日本では欧米のような政策プロフェッショナルが育っていない。それはある程度の学問的業績があり、政策形成にも行政的手腕を発揮でき、政治的な活動もいとわない人材である。米国のブルッキングス研究所やアメリカン・エンタープライズ研究所などには、こうした人材はいくらでもいる。そして民主、共和両党の政策ブレーンとして、時の政権の政策形成に貢献している。日本でも、民間でこうした研究所を立ち上げ、本格的な政策プロフェッショナルを育成するのが望ましいが、こうした機運はこれまで醸成されてこなかった。それどころか、民主党が2005年に立ち上げたシンクタンク「公共政策プラットフォーム(プラトン)」、2006年に設立された自民党傘下の「シンクタンク2005・日本」はどちらも昨年活動中止に追い込まれた。

 

 日本で米国流のシンクタンクが育たない最大の理由は、官僚機構自体が政策決定の担い手として政治家を支え、時には主導したからだ。この結果、改めて日本では欧米のように、政策プロフェッショナルに頼る必要がなかった。民主党のように脱官僚を標榜し、官僚機構に依存しないというなら、自前の政策形成のためにこのような政策プロフェッショナルを育成し、その力を借りねばなるまい。[7]

 

 シンクタンクの発展を前提にした米国型専門知活用か、主には官僚組織に蓄積された知識を活用する英国型専門知活用か、政治は専門知を自覚的に使い分ける必要があるだろう。専門知活用の問題は、政官関係をどうデザインするかという課題とも重なる。民主党政権がことさらに「脱官僚」と力むのは、従来は官僚機構が自民党と一体であったという官僚の「党派性」への警戒があったからでもあろう。今後政権交代慣れして、官僚に党派性は無く中立だという前提が政官に共有されれば、英国型の政官関係が確立されるかもしれない。また、幹部官僚の党派性をはじめから容認するならば、官僚組織の外に専門知を求め、幹部人事を政治的任用で当てる米国型政官関係へ進む選択肢もあるだろう。

 

平成二十二(二〇一〇)年五月十五日

 

 

【参考1】連立理論と国民新党の影響力の源泉

<連立理論の一般均衡モデル>

各政党の重みづけを選挙で得られた「議席数」で表し、勝利連合を形成するための閾値(threshold)を「議会の過半数」として、諸政党間の政権獲得競争をモデル化したもの

<政治家の行動目的による連立理論の分類>

A.政権追求モデル

・政治家の行動目的を「政権の獲得」と仮定するモデル

・最小勝利連合(minimal winning coalition) を合理的とする

・要(かなめ)政党(pivotal party)の役割

   【例1】

政党

議席数

最小勝利連合の組み合わせ

A

40

A+B=65

B

25

A+C=60

C

20

A+D+E=55

D

10

B+C+D=55

E

5

 

 

合計

100

4通り

【例2】

 

 

 

政党

議席数

最小勝利連合の組み合わせ

A

49

A+B=98

B

49

A+C=50

C

1

B+C=50

合計

99

3通り

【参院】

 

 

 

政党

議席数

最小勝利連合の組み合わせ
(
「その他」は野党とする)

A民主

116

A+B=188

B自民

72

A+C=137

C公明

21

A+D=123

D共産

7

A+E=122

E国民新

6

A+F+G122

F社民

5

 

 

Gみんな

1

 

 

その他

14

 

 

合計

242

5通り

 

B.政策追求モデル

・政治家の行動目的を「政策の実現」と仮定するモデル

・隣接最小勝利連合(minimal connected winning coalition)を合理的とする

・多次元モデル(portfolio allocation model)の構成も可能:

例えば、加藤・レイヴァー・シェプスリー(1996)「日本における連立政権の形成」『レヴァイアサン』Vol.19:pp63-85

 

 

【参考2】連立の実際

議院内閣制をとる32カ国で5種類の内閣が政権の座にあった期間の割合

(1945年〜19966)

内閣の種類

全内閣

除く最小勝利単独内閣

 

(%)

(%)

最小勝利単独内閣

37.1

最小勝利連立内閣

24.7

39.3

少数単独内閣

11.4

18.1

少数連立内閣

5.8

9.2

過大内閣

21.0

33.4

合計

100.0

100.0

(出所)Lijphart,Arend(1999) "Patterns of Democracy" Yale University Press

邦訳(2005)「民主主義対民主主義」勁草書房、p.80

 

 

 

 

 



[1] 金融庁ホームページの2009929日亀井大臣の記者会見記録より

[2] 例えば、金融庁ホームページの20091217日亀井大臣の記者会見記録(雑誌・フリーの記者向け)の後半での週刊ダイヤモンド記者への回答

[3] 第173回国会・参議院財政金融委員会(20091126日)会議録より

[4] 佐藤隆文(2003年)「信用秩序政策の再編」名古屋大学国際経済動態研究センター叢書9、第6章

[5] 竹中治堅(2006年)「首相支配―日本政治の変貌」中央公論新社、257258

[6] 同上書、258

[7] 「政策決定過程 鳩山政権への注文(中)」〜「日本経済新聞」2010225日の「経済教室」