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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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銀行家の矜持

 

 銀行家が持つべき矜持(きょうじ)とは何であろうか。一言で言えば「ウォームハートとクールヘッド」に尽きるのではないだろうか。まず、銀行家が「二十一世紀の日本のリーディング・カンパニーを育てたい」という使命感や情熱を持つことは大切だ。つまり「ウォームハート」である。この熱い使命感の無い、単に銭勘定が上手なだけのバンカーは、真の意味で世間の信頼や尊敬を集めることはできまい。

 しかし同時に、我々は、使命感やヒロイズムに酔ってはいけない。第二、第三のソニーやホンダを育てるといった言葉は甘美である。しかし、企業を育てた銀行が、最初からその企業の「資質」と「将来性」を鋭く見抜き、担保に依存せずに大胆に貸出をしただろうか。銀行の「企業を見る目」はそんなに万能なのだろうか。我々は、冷静に自分の判断力を自省し、企業が成長するにはいろいろな偶然や幸運があったことを忘れてはならない。盛田昭夫氏や本田宗一郎氏のような人に「ここで融資を受けられなければわが社は破滅する」と訴えられて「わかりました、私の責任で貸しましょう」と周囲の反対を押し切って貸出をした銀行家がいた一方で、一九九〇年代のバブルの崩壊過程で、不動産業者から同じ懇請を受けて「バンカー」気取りで追い貸しをして銀行の不良債権の傷口を致命的に広げてしまった先輩もいたのだ。

 事業とは不確実なものであり、一銀行家がその成否を簡単に見抜けるものではない。初期のソニーやホンダに貸した銀行家もバブルの最終局面で不動産業者に追い貸しした銀行家も区別は無い、とまでは言わないが、前者が後者に転落する可能性は常にある。銀行家は何よりも「クールヘッド」を維持しなければならない。

 この「冷静さ」に関連して、我々が維持しなければならないもうひとつの矜持に、「地味に、堅実に、裏方に徹すること」がある。銀行は、事業家を、金融や情報といった手段で裏から支える存在である。銀行業はそれ自体で付加価値を生む産業ではない。付加価値を生むのは事業家である。根源的な付加価値を生まない銀行業の利益率は決して高くない。信用という無形の財産によって預金という名の他人からの「借入」を大量にしないと成り立たない産業なのである。大数の法則に従ってポートフォリオを管理することが銀行業の本質であり、「地味に、堅実に」運営することが基本である。銀行が世間の表に出る時というのは、不祥事とか破綻とか、ロクなことではない。我々は、目立たぬように、事業家の「裏方」に徹する賢明さを維持すべきである。

 以上のような「冷静さ」と「堅実さ」を持っていれば、時流に便乗してマスコミが行う銀行批判にも動じることはないだろう。マスコミというのは、貸し渋り批判の一方で不良債権の処理不足を詰(なじ)るような矛盾した言論に何の羞恥も感じない程度の存在なのである。我々は、マスコミの無節操を冷徹に観察し、そうした批判に一喜一憂すること無く、かつ、言い訳がましいことを言わず、堂々と銀行業の王道を歩めばいいのである。

平成一五(二〇〇三)年九月一一日