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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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小さな政府と真の民主主義へ

 

 小泉首相は「構造改革」を説いているが、その中身は必ずしも明確ではない。「構造」などというわかりにくい言葉を使わずに「政治・行政の改革」と言うべきであり、その中身は、以下に紹介する、政治評論家の屋山太郎氏の論文に明快に書かれている(「学士会報」平成一五年七月一日号(tェ四一))。論点ごとに引用しつつ(以下の「 」内は引用文)、小生の意見も付記して、今の日本に必要な政治・行政の改革とは何かを具体的に考えてみたい。

 

@政権交代は必要

「政権交代が行なわれるようになると、あらゆる改革はあっという間に行なわれるはずだ。何しろ既得権にしがみつく業界団体に、反対党が引導を渡すことは簡単だからだ。例えば、日本医師会は自民党に取り付いて、選挙の行方を左右するほどの権勢を誇っているが、民主党が政権に就けば、医師会のわがままや自己保全など、むしり取るのはわけもない。」

 確かに、経済特区での医療の株式会社方式による運営実験に露骨にかつ強烈に反対する日本医師会の傲慢さは腹立たしい。尊敬すべき医者も数多いことを承知の上であえて言えば、特権にあぐらをかいただけのエリート意識にとらわれた医者と言う人種を小生は好きになれない。医療や福祉の分野に資本主義の規律は不可欠であると考える。日本医師会という最悪の業界団体の言うことは聞かないことを党是に掲げる政党があれば小生も支持したい。医師会に代表されるような、自民党と行政官僚に癒着した業界団体を政治や行政の意思決定から排除するためには、確かに政権交代が望ましい(ただしそれは「日本の政治の論点」に書いた通り、主義主張に基づいた政党群に再編された中での選択でありたい)。

 

A国営事業の民営化は必要

「国鉄は七分割されてJRになった。人員は四十万人が十八万人になり、八千億円の赤字垂れ流しが逆に税金を二、三千億円払うほどになった。JR技術陣が最も痛快がるのは車輌についてだ。国鉄時代、車輌の注文は、設計も建設も各車輌メーカーに台数から価格まで随意契約で注文していた。これを変えるとなると、車輌メーカーの背景の政治家が介入してきて資材局長のクビが飛んだと言う。JRに切り替わった途端、技術陣は車輌の注文を競争入札に変えた。すると車輌の価格は実に四割も下がり、そのおかげで車輌メーカーも国際競争力を回復し、輸出競争に打って出ることにまでなったと言う。」

「日本道路公団は、建設施設協会と人的に結びついて、何百社もの企業とファミリー関係を結んでいる。国鉄ファミリー二千社、電電ファミリー二千社の運命はどうなったか。合理化しろとか倹約しろと言う間に、競争の波に飲まれて自然淘汰され、整理されてしまったのだ。」

「物事には潮時というものがある。社会の発展段階に応じて、国が建設し企業の形を成した所で民間に払い下げる。明治時代から、官営八幡製鉄所が一九一〇年に民間になったように、カネのある財閥に払い下げられた企業はいくらでもある。

 いま、日本道路公団が民営化反対などと叫んでいるのは、社会の発展段階に逆らって、効率が悪くても古いままで居させてくれと言っているようなものだ。明治の官僚や企業家は、そういう官から民への転換の潮時を実に良く見極めており、素早かった。その日本人の眼力が狂ったのは、官の事業を政治家が配分し、恩を売ることによって票を得ることを政治家が覚えたからだ。」

「一三〇年前にできた郵便貯金は、民の零細資金を集めた民族資本の資金源だった。この郵貯に加え、簡保や年金の資金も集めて財政投融資制度(財投)を作り、このカネで、本来税金で構築すべき高速道路や橋まで作った。いわば、政府は、利子のついたカネで毎年四十兆円の『事業』をやっており、その残高は五百兆円にも及ぶ。かつてはその中から大赤字の国鉄への貸出もやっていた。本四架橋には三兆八千億円も使ったが、その利子は年に千三百億円。通行料は年に九百億円しか入らないから、毎年四百億円もの赤字である。財投はまさに武士の商法で儲かったためしがない。

 財投があまりに巨大で民間銀行が圧迫されたため、民間銀行を生き残らせるために護送船団方式で守った。この体制が金融の国際化時代に致命傷になったのである。」

「欧米主要国はすべて郵便貯金を民営化ないし特殊法人化した。日本だけが制度の変更は許さないと言う。もっと効率的な制度への変更はいくらでも考えつく。だが政治家も官僚も、この『借金製造機』の当面の便利さに目が眩んで、金融社会主義国を目指すが如くである。」

 小生も、一民間銀行で働く身として、財投の運用の一部を成す政府系金融機関の貸出行動には辟易させられることが多い。民間で貸出できる普通の中堅企業に市場金利を全く無視した超低金利しかも超長期で貸し出す。これでは、借り手は自分の適正な金利負担を感知できないモラルハザードに陥り、日本にまともな貸出市場など育つはずもない。もちろんこんな貸出は商売としても全く赤字である。産業再生機構なども要らぬお世話である。企業再生こそ純粋に資本の論理に依って行われるべきで、政策意図など入り込む余地は無い。政府系金融機関の役割は、国民経済的に意義あるものの民間にとってはハイリスクでありすぎる事業のみに厳格に限定し、機能も利子補給と保証のみとし、貸出自体は民間が行なうべきである。

 総じて、郵貯、簡保、年金による資金調達から、政府系金融機関の貸出その他の資金運用にいたるまでの、財投全体を民間に払い下げるべきである。

 

B財源を含めて「地方主権」を

「現在、国が集める税金は全体の六割で、地方が集めるのが残り四割である。しかし、実際に使うのは、国が四割で地方が六割である。そこで国は二割を地方に配布している。この二割に当たる部分は実額で二十五兆四千億円である。つまり国はこの二十五兆四千億円で地方自治体をいいように切り回しているのである。

 配布の仕方は、地方交付税、補助金、税源などだが、これをそっくり地方に回す仕組みに切り替えたら、地方は無駄なものを欲しがらなくなるのではないか。」

「国はここ十年以上、景気浮揚策として公共事業をやり続けている。(中略)その中に『港湾事業』というのがある。百億円かかる港湾の半分を国が出す。残り五十億円は起債を認めるから地方が出せという仕組みである。地方が借金をしたくないと言うと、金利の部分は地方交付税で見てやると言う。そうすると百億円の港湾が地元負担わずか十四億円で出来てしまう。しかし元々漁港でもなく、魚河岸とも程遠い所に作った港だから、全く無用の長物で、結局釣り堀にしかならず、福井県では『百億円の釣り堀』と呼ばれている。地元では、自由に使えるカネが十四億円あったらもっと有益に使えただろうにと、官も民も嘆くのである。」

「地方は、もはやこうした干拓、河口堰、ダムといった中央政府主導の事業に反対姿勢を示している。」

「スイスは各地方が集めた税金のうち二十五%を連邦政府に献上する。連邦政府はこの資金で軍隊まで維持しなければならないから、省は七つしか無い。この姿こそ地方分権というより『地方主権』というもので、スイスが民主主義発祥の地と言われる所以である。税金は各地方が独自に使うから、百億円の釣り堀のような無駄が生じようも無い。」

「小泉首相は『地方分権』を叫んで、税源、交付税、補助金の『三位一体』で地方に回せと叫んでいる。たかが二十五兆四千億円の配分にすぎないのだが、中央官僚にとっては、これこそが地方を含めた全政府を支配できる決め手なのである。」

 まさにスイスのように、税は地方が徴収し、中央政府に必要な分だけ献上するのが、民主主義の正しいやり方である。地元のことはすべて地元で仕切るのが民主主義である。健全な地元への誇りこそが健全な国への誇りの基礎である。地方を独り立ちさせないような中央集権、官僚支配は早く終息させるべきであると小生も思う。

平成一五(二〇〇三)年八月二三日