夢をあきらめないで―M君への手紙
拝啓
先日は、お目にかかれてよかったです。発展途上の企業の財務担当役員として君が日頃接している各銀行の特色や仕振りを聞けたのはたいへん参考になりました。正月はいかがお過ごしですか?
僕は、今年の正月は実家へも帰省せず、自宅で静かに過ごしています。毎年この季節は故郷に帰って旧友たちに会うのを楽しみにしていましたが、今年ばかりは、昨年末、勤め先銀行が一時国有化されることになり、どうもそういう気分になれません。といっても、ひどく落ち込んでいるわけではありません。むしろ、これを機会に自分を見つめる時があってもいいのではないか、いやもっと積極的に、自分を自省する時間を作りたい、という気分なのです。
さて、まず、当行出身者でもある君に、今回の当行国有化についての僕の感想を述べさせて下さい。僕は、ここ一年半の間に当行がとってきた再建策(海外撤退、関連ノンバンクの処理、頭取無給をはじめとする役職員の年俸大幅削減といった邦銀初の抜本的リストラと、その後の金融界の提携ブームの嚆矢となったバンカーストラストとの提携)や、その中で自分たちのチームが果たしてきた役割(デリバティブや各種財務コンサルティングを通じての顧客維持の努力)は決して間違っていなかったと思っていますし、また、悔いもありません。若い人たちも本当によくやってくれました。
当行はよくやったが、しかし、不良債権は余りに重過ぎた。いくら税効果会計を使って引き当てを十分積んだとしても、根治するにはまだ相当の時間がかかるでしょう。この際、国有化のプロセスの中で不良債権を処理していただいて、次のステップを踏み出す機会が与えられるなら、その方がすっきりします。
当行にとっては不満を残した、強制的な国有化という今回の行政の処置も、二十一世紀に向けて力強い少数の銀行に集約化してゆくという日本の国益に資するならば、やむを得ないことだと考えます。むしろ、政治や行政は、一昨年に金融危機が起こった時に即座にこうした行動に出るべきだったのではないか、とさえ思います。そうすれば、拓銀や長銀の時のように、地域経済に大きなダメージを与えたり、企業価値を減耗させたりすることもなかったのではないか。行政への不満は言うまい。「最後の将軍」徳川慶喜が、大政奉還のうえ、あえて朝敵の汚名を被っても「自重」したことを思い出そう。組織が瓦解するような見苦しいことにならないよう「名誉ある撤退」を堂々と役職員が足並みを揃えてやりたいものだと思います。
それにしても、K会長の最後の行内メール(それは「皆さんと一緒に、この六年あまり心血を注いできましたが、今はそれを誇らしく思い出します。」という言葉で締めくくられています)やT頭取の堂々たる記者会見を見るにつけ、最後に良き経営者を戴けてよかったと思っています。
もしもう一度民間銀行として再出発できるなら、今度こそ当行はユニークな日本型インベストメントバンクを目指すべきだと思います。考えてみれば、当行は実は昔からそれを目指していたはずです。小粒だがピリッと辛い存在、優秀な人材とリベラルな社風。そうした企業として、当行は、総力戦ではさほど強い銀行ではありませんでしたが、ゲリラ戦ではめっぽう強い銀行でした。設立間もないロンドンの証券子会社がいきなり政府保証債の主幹事を獲得したり、海外有力ボロワーへの円ローンの主要な供給者になったり、CP市場で主要マーケットメーカーになったり、日本が資本供給国になったことを踏まえた長期ヴィジョンに基づくALM運営で大いに収益をあげたり、「デリバティブのことはあの銀行に聞け」との声望をとったり、一般債権流動化や不良債権流動化でパイオニアの地位を築いたり、ここ二年の資金繰り逼迫をとてつもない営業の底力で跳ね返したり…。
企業を単に売買の対象物であると考え、企業と従業員たる自分との間に距離を置く考えもあるでしょう。しかし、自分がその中で教わり鍛えられ、失敗もしたが時には誇らしい成果も挙げた、そんな自己実現の場であった企業の運命に対し、それほど冷淡でいられるでしょうか?
僕は敢えて、徳川時代の武士が自分の属する藩にしたように、また、戦後のビジネスマンが自分の属する企業にそうしてきたように、共同体としての企業を信じ、そこに自らの生きざまを投影させてきた日本人の伝統的感性が、脈々と僕の中にも生きていることを告白しよう。そして涙と共に愛すべき「うちの銀行」にレクイエムを送ろう。もちろん、日本の企業も時代の変化に適応して変わるべきところは変えてゆかねばなりません。企業戦略はより鮮明に示さなければなりませんし、経営の透明性や専門性はもっと高めなければなりませんし、結果についての責任はより厳格に問われるようにならなければなりません。日本の企業は新しい時代のために新しい「和魂洋才」を模索しなければならない。しかし、僕は、企業は、値ざや稼ぎのために株式をすぐ売り払うかもしれない存在である「株主」のため「だけ」にあるのではなく、取引先や従業員や地域社会や日本経済全体のためのものであり、短期的な利益のみを追求する存在でなく、中長期的な戦略で動く存在でなければならないと信じています。その基本は忘れてはいけないと思います。
さて、当面、当行行員にとって、不安材料は絶えません。これからも雇用が維持されるのか、国有化でどんな営業ができるのか、その間人材と優良顧客が流出して組織が「空洞化」しまうのではないか、早期に民間銀行として再出発できるのか、その場合、今の自分が携わっている業務は必要とされるのか等々。青雲の志を抱いて当行に入ってきた若い人たちの心情を思うと、今回の事態がいかに重いものか、心が痛みます。未来ある若い人は、もっと別の世界で生きて行こうとするのもよいでしょう。僕は敢えて引きとめはしません。しかし、当行で働くことに引き続き意義を感じてくれる人たちも多いのです。当行は、国有化された時点では、収益もあがっていたし、資金繰りも余裕があったので、不良債権さえなければ当行は生き延びてゆけるのだ、という自信が役職員の間では充溢しており、敗北者の暗さはあまり感じられません。むしろ、お客様から取引を継続するからがんばれ、と励ましの言葉をもらったことなどが、行内メールに次々と流れてきます。中には、行員でカネを出し合って当行を買い取ってしまおうというような勇ましい発言さえ見られます。
そういう人たちの為に、僕が果さなければならない責務は、当行の斯業務の価値を維持することです。当行のデリバティブ業務は、近年の当行の格付低下で様々な制約を受け、また人材の流出もありましたが、それでもまだ、フロント(ディーリングと営業)、ミドル(リスク管理)、バック(事務、法務)、R&D(商品開発、数理)の各部門いずれも相当の実力を残しています。ALMと連携して安定的に収益を挙げているディーリング部門、優れたニーズ把握力とそれに基づく「かゆいところに手が届く」サービスを提供している営業部門、外部監査のお墨付きも得たレベルの高いリスク管理部門、外部からの受託事務も請け負うノウハウを持つ事務・法務部門、高度な数理解析力と新規分野に対する柔軟な対応力を有する商品開発部門…。これら各部門一体としての市場価値は相当高いものがあると思います。この価値をなんとしても守りぬくこと、これが僕の当面の課題です。
岡村孝子の歌「夢をあきらめないで」が僕の心に染みてきます。
あなたの夢を
熱く生きる瞳が好きだわ
負けないように
悔やまぬようにあなたらしく
輝いてね
あなたの夢を
あきらめないで熱く生きる瞳が好きだわ
あなたが選ぶ全てのものを
遠くにいて信じている
僕は最近、西暦二〇五〇年まで生きたいという妄想を抱くようになりました。二十一世紀の半ばまで生きて二十一世紀がどんな時代になっているのか見届けたいという気持ちからです。その時僕は九十四歳ですから、生きていられる確率は高くありませんが、でも、不可能ではありません。新年ですから、こういった、あながち実現不可能ではない「夢」をみてみるのも面白いのではないでしょうか。
今年も、昨年に引き続き、自分らしい生き方を模索する一年にしたいと思っておりますので、よろしくつきあってやって下さい。また、君の近況なども聞かせて下さい。
(一九九九年一月一日)