人間の附属物について
僕は漱石の「野分」に出てくる次の言葉に心から共鳴する。
「世は名門を謳歌する。世は富豪を謳歌する。世は博士、学士までをも謳歌する。しかし公正な人格に逢うて地位を無にし、金銭を無にし、もしくはその学力、才芸を無にして人格そのものを尊敬することを解しておらん。人間の根本義たる人格に批判の標準を置かずしてその上皮たる附属物をもって凡てを律しようとする。この附属物と公正なる人格と戦う時、世間は必ずこの附属物に雷同して人格を蹂躪せんと試みる。…(中略)…我はこの人格を維持せんがために生まれたるの外、人世において何等の意義をも認め得ぬ。…」
要は、賞だとかメダルだとか勲章だとかいう類で己れを意識したり価値付けたりするのは馬鹿げたことなのである。このことは我々が直面する大学入試にも言える。OO大学に合格したとか、××大学生であるとか言うことで己れを価値判断してはいけない。少なくともそんなレッテルを自分に貼り付けて暮らすようになったらその人はおしまいである。世間とか名誉とかいう名前だけの空虚に一生引きずられるからである。自分は何の為に大学にゆくのか、自分に本当に大学でしたいことがあるのか、考えるべきである。進学校と言われるこの高校においてさえ、「何の為に?」を真剣に考え、語り合う高校生があまりに少ない。多くの高校生が、良き人生を求めるのではなく、人生の良き附属物を求めているだけに見える。
(一九七四年一月三一日)
夏目漱石(一八六七年〜一九一六年)
明治の文豪。イギリス留学を経験した、豊かな知性と広い学識の持ち主。当時隆盛であった自然主義、耽美派のいずれからも超然とし、人間の意識に潜むエゴイズムを鋭く見つめる独自の文学を打ち建てた。代表作「我が輩は猫である」「三四郎」「明暗」など。また、講演「現代日本の開化」は、日本文明の運命を考察するのに欠かせない視点を提供している。
〈参考にした文献〉
夏目漱石「野分」(筑摩書房:夏目漱石全集2)