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娘の置き手紙

 

 某月某日、妻と、教育や家庭のことについて、つい激しく言い争いをしてしまった。翌日、会社から帰ると、小学六年生の娘のこんな手紙が置いてあった。

「CDプレイヤー貸してくれてありがとう。おかげで助かりました。実は音楽鑑賞が学校の宿題だったもので…。

 私は明日から海の家に行きます。その間に(お母さんにも言っときましたが)くれぐれもけんかしないで下さい。相手が『ちほう症の老人』とか『幼児』とか心で思えば、多分苦にはならない(と思います)よっ。

 私も学校で色んなコトがあります。モチロン悩みはつきものです。ヒトの気持ちはどうにも動かしようがありません。そんなコトで大いに悩ませていただきましたっ。

 お父さんも、お母さんのコトとかですごく悩んでいると思う。お母さん、頭固いから(かつ忘れっぽいから)ねぇ。でも、お父さんのイイ所も、お母さんのイイ所もわかってる娘でありたいです。『幸せ』に向かって『心の闇』から抜け出してみませんか?

P.S.

 本当はCDプレイヤーのお礼を書く筈だったのに、余計なことまで書いちゃってスミマセン。気にさわるコトまで書いたかもしれないけど、一応これでも私、お父さんのコト、(少しは)わかってるつもりだから!

 

 娘よ! 君にはいろいろ心配させて申し訳ないと思っています。でも、お父さんは、子供を競争へ駆り立てるような親は大嫌いです。子供というのは天からの授かり物です。子供は親の所有物でもペットでもなく、親の虚栄心を満たす道具でもありません。子供は一人前の人間にして社会へ送り出されるべき、社会からの大切な預かり物です。お母さんには、このことが、いつまでたってもわからないようなのです。有名私立学校へ入学させるだとかいうことにお父さんは反対です。いろいろな素性、職業の人の子供がいる普通の公立学校へ行って、誰とでも分け隔てなく友達になれる子供であってほしいのです。

 例えばピアニストにするといったような特殊な分野の英才教育も、果たしてその親に音楽の才能を見抜く眼力があるのか、よくよく自省してみるべきです。大バッハでさえ、長男のフリーデマンに期待をかけすぎて、結局フリーデマンの人格形成に大きな傷をつけてしまいました。それほど、才能を発見し育てるということは難しいことなのです。

 娘よ! 君の四人のお祖父さんやお祖母さんたちは、皆、賢明な人たちでした。お父さんやお母さんは本当に伸び伸びと楽しく子供時代を過ごしてきました。君のお祖父さんやお祖母さんたちは、お父さんやお母さんに、勉強しろとか人に負けるななどと口やかましく言ったことは殆どありませんでした。ただ、学校から帰ったらすぐカバンから持ち物を出して父兄に宛てた書類はすぐ渡すこと、うがいと手洗いを必ずすること、宿題だけはきちんとやること、といったことを教えてくれただけです。要は、規則正しさやルールの遵守といった「正しい生活習慣」を身につけさせることに心を配ってくれたのです。これは子供にとってとても大切なことです。親の役割とは、知識や特殊技能を身につけさせることではなく、子供が社会に出て困らないような、基礎的な体力、気力や生活習慣、礼儀作法、人への思いやりを教え、身につけさせることに尽きると思います。何故、こんな常識的なことがわからなくなっている母親が増えてしまったのでしょうか?

 娘よ! お父さんは君を信頼しています。君は感受性豊かだし、好奇心も旺盛で、頭の回転も早い。お父さんは君が毎日、新聞をじっくり読んでいる姿に驚いています。お父さんが子供の時は新聞など読んだこともなかったから…。いろいろな社会の出来事に関心を持つのはいいことです。君に必要なのは、もう少し基礎体力をつけること(それでも以前と比べれば風邪もひかなくなりましたが)と、規則正しい生活習慣を身につけることです。そして、人に打ち克つ人よりも、人に愛される人になってほしい。それさえできれば、あとは自分の信ずるところに従って生きて行けばいい。二十一世紀は君たちの時代なのだから。

(一九九八年一〇月一〇日)