蘇 生
ゲーテの壮年時代を共にし、長男ももうけた女性は、世間的にはおよそゲーテに似つかわしくない、ゲームと酒の好きな女性で、ゲーテの本などまともに読んだこともなかったそうだ。ただしゲーテにとっては「詩を書く女などは真っ平」だったこともあり、家庭的でセクシュアルな彼女を熱愛していた。
「同志愛」ばかりが男女(夫婦)の関係ではない。男と女の関係はもっと多様である。いずれにせよ、ゲーテが一生恋愛を忘れなかったことは、男にとって(多分女にとっても)恋や愛が、いかに生きる上で力になるかを端的に示している。
本物の恋愛がいかに人を生まれ変わらせるか、例えば、如是我聞、こんな話がある。
昔、男と女がいた。女が新卒で入社してきた時、男は既にこの職場に一〇年いた。日本有数の自動車部品メーカーで、男は中堅の技術者として働き盛りであった。妻と三歳の息子、一歳の娘がいた。
女は大学生の時、母を乳癌で亡くしていた。まだ人間として成熟できないで都会で一人暮らしをしていた女にとって、母の死は生きる気力を失わせるのに十分な衝撃だった。職場に入ってからも、女は、頭はいいし、要領もよかったが、時折投げ遣りなところが出てしまった。仕事も、自分の人生も、どうでもいいといった捨て鉢な態度が見えてしまうことがあった。つらいことがあると、女はよく泣いた。女は自己を確立できずに精神の森をさまよっていた。
男は、時々机で泣いている女を守ってやりたいという父性本能、保護本能を激しくかきたてられた。根っからの「技術屋」であった男にとって、こんなことは初めてであった。女は、年長の男への自然な憧れの気持ちをふくらませていた。二人はゆっくり近づき、そして急速に愛するようになった。男も女も自分の人生をすべてさらけ出して語りあった。そして自然に、心も体もひとつになっていった。
男は、強く優しく女を抱き、女はそれを深く受けとめる――男と女の原初の姿で二人は何度も愛し合った。男と女が本当に合一すると必ず起こることが二人にも起こった。二人は話し方や仕草まで互いに深く影響され、似てきたのである。
もちろん、女は、二人に未来がないことを悩み苦しんだ。考えても結論は出ず、苦しんでいると男が現れ、男といれば限りなく広い腕の中で自由になれる――そんなことの繰り返しだった。
しかし、女にとって恋は生命力の燃焼であり、それは理性や常識で押さえつけることができるほど弱々しいものではなかった。
そのころ女が男に宛てた手紙に言う―
「本日は三五歳の誕生日、心からお祝い申し上げます。あなたは私と一〇歳違いなので、カウントしやすいですね。私ももうすぐ二五歳になるのかと思うと、今までと違ってなんとなく緊張を覚えます。これからは『私』という独立した個人として生きていかなくてはいけないな、と。誰かの娘や恋人や部下という従属的な存在ではなく、紛れもない私自身として。
何だか始めから堅苦しくなってしまいましたね。でも、今は何だかそんな気分なのです。真面目に生きていきたいな、という、私にしてはめずらしいくらい、真っすぐな感情です。
それというのも、やっぱりあなたとの出会いによるところが大きいと思います。あなたと出会っていなかったら、私はこんな晴れやかな気持ちで二五回目の誕生日を迎えることもなかったのではないか、と、かなりの確信をもって言うことができます。」
女は本当に明るくなった。そしてもちろん美しくなった。女は、自分の知らなかったもう一人の自分に出会い、そして蘇生した。
男の夫婦は、同い年で、大学の研究室で知り合い、そのまま結婚したが、男女の激しい恋を経ない友達夫婦だった。それでも男は、夫婦というものはこんなものだろうと、男女の世の中を、そして人生を過ごしてきた。男は、自分が依存心を持った中途半端な「男」であることを自覚すらしていなかった。
はじめ、男は、投げ遣りな生き方をし、今にも人生から転落しそうに見えた女を、守ってやりたい、救ってやりたいという衝動から女を愛した。しかし、男はやがて、「一人の男」として「一人の女」である女を純粋に愛するようになった。男は女を限りなく愛しく思った。女といることで、男は、どれほど、諸々の「役割」や「機能」から解放された裸形の自分と向き合うことができたことだろう。男は、自分の心の中にある依頼心や意志の弱さや冷淡さが、暖かな日差しの中で溶けてゆき、勇気とやさしさが内に溢れてくるのを覚えた。
こうして、女が持ち合わせていた広く深い愛の力で、男も蘇生することになった。女と、本物の男女の世の中を過ごすうちに、男も、自分の知らなかったもう一人の自分に出会い、自立心と強さを持った本当に成熟した「男」に成長していった。
男と女の別れは、こんな具合にやってきた。
春には春の 秋には秋の
それぞれの花が咲くように
いつか知らず知らず 君と僕の時計
ふたつの針が時をたがえて
季節が変わるように 恋が逝く
桜散る 桜散る 雪の面影なぞるように
桜散る 桜散る もう君が見えないほど
胸を張ってお行き 僕の愛した人
君が愛したものはすべて
僕も同じように愛してきた
今は無理だけれど いつか年老いたら
君が愛した人を僕も
愛せる そんな日が来るといいね
桜散る 桜散る 思い出を埋め尽くして
桜散る 桜散る もう君が見えないほど
(さだまさし作詞「桜散る」)
(一九九七年一〇月一六日)