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近況メモ(平成一六[二〇〇四]年四月〜六月)

 

平成一六(二〇〇四)年〜「桜爛漫」から「鶯鳴く山路」へ

四月四日(日)曇り 

 金沢は桜爛漫です。金沢城址も兼六園も広坂通りも、街中いっせいに桜が満開になりました。ちょうど小生が謡の稽古で習っている「田村」という曲に、京都の清水寺本堂の裏手にある満開の地主桜が出てきます。桜を愛でながら、花守の少年(実は坂上田村麻呂の化身)と旅の僧が、蘇東坡の有名な「春夜」という漢詩の一節をいっしょに謡います。

  春宵一刻 値千金

  花に清香あり 月に陰あり

  (春の夜はほんのひとときでも千金に値する。

  花は清らかに香り、月はおぼろに霞む。)

この部分の謡の節回しは、美しいのですがうまく謡うのは難しく、稽古に苦しんでいます。

 さて、桜を詠んだ和歌は数多くありますが、一ノ谷の合戦で戦死した平家の歌人武将、平忠度(ただのり)の、

  行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の主(あるじ)ならまし

は小生の好きな歌のひとつです。

 「行き暮れて」のきっぱりとした最初の五音から、たちまち、日が暮れて宿をとりそこねた旅の僧の姿が浮かんできます。僧は戸惑い、途方に暮れますが、やがて桜の木を見つけ、今宵はその下に仮寝をしようと、「木の下陰を宿とせば」と覚悟を決めます。そして見事に咲いている桜の花に改めて見入って、「花や今宵の主ならまし」と、感謝と祈りを捧げます。この簡潔な歌からは、小生の脳裏に、春の夕暮れの鮮やかな映像と旅の僧の心象風景が浮かんでくるのです。繰り返し声に出して詠むと本当に名調子の歌だと感心します。

 皆さんにとっての「春の歌」は何でしょうか。

 

四月五日(月)快晴 

 春は出会いと別れの季節でもあります。小生の娘も高校三年生の新学期が始まり、いろいろな出会いがあったようです。今日こんなメールが届きました。「新しいクラスはすごくいいメンバーだと思うよ! まぁうるさい人もいるんだけど、仲よくできそうな人、高一の時に同じクラスだった子が多いよ。みんな出来る子ばっかりなので良い刺激になりそうです。担任の先生は、中学バレーボール部顧問の体育の先生でした。高三持つのは初めてだから進学についてあんまり詳しくないと思うけど、良い先生だと思うよ♪

 

四月一八日(日)晴れ 

 すっかり初夏の陽気になりました。通勤で通る金沢駅西口の通称「五〇メートル道路」の銀杏(いちょう)並木にも薄緑の若葉が芽吹いています。このところ北陸地方には珍しいほど乾燥した晴天が続いています。先週は期初の部店長会議などで東京に出張していましたが、帰りの特急「はくたか」からは、金沢よりずっと雪の多い越後湯沢から直江津あたりで花盛りの桜を見ることが出来ました。遠くにはまだ雪を頂く谷川山系の白色、近くにはもう雪の融けた山々の緑色を背景に、桜の薄桃色の冴えた色合いが印象的でした。今年の桜の見納めでしょうか。

 

四月二五日(日)晴れ 

 今日は好天に惹かれて自転車で目的も定めず外出してみました。足の向くまま、のどやかに流れる浅野川を渡り、東山のレトロな民家街を通って、卯辰山を息を切らせながらどんどん上って行きます。やがて民家も見えなくなり、鶯(うぐいす)が鳴く山路を行くと、忽然と「卯辰山工芸工房」の清楚な建物が現れました。卯辰山工芸工房は、九谷焼などの工芸品の展示をしているだけでなく、陶芸、漆器、金工など伝統工芸の後継者の育成もし、工芸関係者の交流の場でもあります。中には茶室があり、疲れた体を休めるには最高でした。

 

五月一日(土)晴れ 

 連休の前半は好天が続いていますね。さる二九日(祝日、昭和天皇誕生日)、快晴に誘われて石川県立美術館へ出かけました。広坂の県立図書館の奥にある旧中村邸から兼六園方面へ森の中の急な上り坂があります。辰巳用水の分水が滝となって落ち、ちょっとした森林浴を楽しめる遊歩道です。紅葉(もみじ)の柔らかな若葉が漏れ入る陽光に映えて輝いていました(写真)。

県立美術館はその森の小道を上りきったところにあります。今そこで、「日本の四季―春夏の風物―」という特別展示をやっています。江戸時代の絵画と工芸品の名品を鑑賞し、そこに描かれた春夏の風物を楽しもうという企画です。地元の名品を中心に、東京や関西の名だたる品々も展示されており、二時間ほどかけて見てまわりましたが、何度も味わいたい品が数多くあり、見飽きませんでした。

 絵画では、枝がピンと伸びた早春の梅を描いた谷文晁の「梅図屏風」が印象的でしたし、有名な「洛中洛外図屏風」をはじめとする、祭礼や花見や雨宿りなどを題材に人々の生活を描いた絵がどれもとても生き生きとしており、江戸時代の人々が画面から飛び出して声をかけてきそうな勢いに感じられました。とりわけ、会津藩御用絵師だった加藤遠澤の「四季耕作図巻」は、農村の四季を描く画家の目線がとても暖かく共感に満ちており、黒色尉の面を着けた翁が舞う姿もユーモラスに描かれています。また「浅野川四季風景之図」では、金沢を流れる浅野川に沿って人々の暮らし振りが描かれており、上流では花見の宴を張る人々、中流では釣りや漁をする人々、下流では浅野川大橋付近での祭りの情景が描かれ、当時の金沢の人々が今と同じように生活を楽しんでいた様子がうかがえます。

 工芸品では、野々村仁清の「色絵梅花図平水指」や尾形乾山の「染付銹絵杜若図茶碗」といった名品の色彩の玄妙なること、いつまで見ていても眺め飽きません。また、古九谷焼の数々の、黄色、緑色、藍色の組み合わせの素朴とも現代的とも見える大胆さも印象的です。さらに、蛍を描いた蒔絵の硯箱、唐草紋の蒔絵の見台、柑橘類をモチーフにした蒔絵の盆なども、こんな品々を使って暮らせたら幸せだろうなと思うような逸品でした。

 

平成一六(二〇〇四)年〜「白躑躅(つつじ)」から「戻り梅雨」へ

五月二日(日)晴れ 

 さる四月二六日は小生の満四八歳の誕生日でした。妻からは電話が、娘からはメールが入り、一応忘れられていないことがわかり、ホッとしました (^-^)v

 今日、香林坊の裏を流れる鞍月用水付近を通りかかった時、格子戸のかかった昔ながらの落ち着いた家の軒下に、清楚な白い花を咲かせている植物を二つ見つけました。ひとつは躑躅(つつじ)とすぐわかりましたが、もうひとつが何なのかわかりません。高さ一メートルほどの低潅木で、一センチにも満たない小さな白い花がたくさん集まって直径数センチの球形の花序を形成しています。その花序が枝に沿って連なっています。葉は濃緑色の長円形です。あまりに可憐で気になったので、本屋に飛び込んで植物図鑑で探すと、「小手毬(こてまり)」という花だとわかりました(写真)。なるほど、小さな白い手毬そのものです。初夏にふさわしい清々しい白い花をつけた躑躅と小手毬。それらを軒先に植えて通行人を楽しませているこの家の主の心映えに感謝したことでした。


五月八日(土)晴れ 

 連休はいかがお過ごしでしたか? さる五月六日は我が夫婦の結婚二十周年でした。短いようで長い二十年です。来年には娘も高校を卒業しますので、これからが夫婦で向かい合う時間が長くなるのでしょう。人生まだ半ばの我が夫婦です。この結婚二十周年と我が母の快気祝を兼ねて、西三河の山中にある猿投(さなげ)温泉に、父母と我が夫婦、娘の五人で行きました。

 猿投という珍しい地名の起源について娘から質問があったので、ネットで調べると、日本書紀の記述に行き当たりました。日本書紀にあるのは次のようなお話です。

「古代日本の英雄、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父君である景行天皇のお気に入りの猿が不祥事を起こし、天皇が憎んで海に投げ、その猿は今の猿投山に逃げた。後の戦さの時、三河の国からひとりの壮士が来て天皇に味方した。その壮士が実はかの猿の化身で、天皇に可愛がられた恩返しに来たのだった云々。」

 つまり景行天皇が投げた猿が逃げた山なので猿投山というわけです。でも別の史料によると「さなげ」はもともと「狭投」と書いたとのこと。そうすると、埼玉県の「狭山」と同じように、地形か何かが起源でしょう。

 さて、今日は、東山の宇多須神社近くにある風流なお宅へお招きを受け、能のお仲間方とゆっくりとお昼をいただきながら語り合うひとときを過ごしました。香を焚き染めた「和の空間」は癒し効果抜群です。そこで、藪先生の月報にいつもウィットに富んだ随筆を書かれている大先輩からいろいろ興味深いお話を伺いました。そこへ師範格の先輩も来られ、仕舞のアドバイスを受けたりしました。小生のような転勤族がこれほど地元の老若男女の方々と親しくおつきあいできるのも、この風流なお宅の主のおかげです。

 

五月一六日(日)雨 

 米どころである北陸地方の田園地帯では、ちょうど田植えが終わって、田んぼに稲の苗がきれいに並んでいます。各地の神社ではこの季節、さまざまな祭礼が行なわれ、高岡の御車山(みくるまやま)祭や、七尾の青栢(せいはく)祭や、小松のお旅祭のように、巨大な山車(だし)が出る賑やかな祭りが多いのです。昨日は、そうした初夏の祭礼のひとつ、金沢港にほど近い大野湊神社の春季例祭に出かけました。

 この神社の春季例祭では、江戸時代初期から四百年に亘って、絶えること無く「神事能」が奉納されています。この日も、金沢能楽界のプロに地元の金石(かないわ)宝生会の方々が加わって、能二番のほか、狂言、仕舞、素謡などが演じられました。神社の能舞台で演じられる番組を、境内に設えられた客席から観るのですが、祭りとあって、境内は食べ物やオモチャなどの屋台が所狭しと並び、子供たちの喚声や大人たちの和やかな会話で大賑わいです。見物人もじっと能舞台を見ている人は少なく、食べたり飲んだり写真を撮ったり、出たり入ったりしながらの観能です。いつもの能楽堂での静寂な空間での能とは全く違うのですが、庶民の楽しみでもあった古の能のありようが彷彿としてくるような良い光景だな、と思いました。


大野湊神社の演能

五月三〇日(日)雨 

 もう梅雨入りでしょうか、金沢は蒸し暑い日が続くようになりました。朝夕徒歩通勤を続けていますが、これ以上暑くなると無理かもしれません。歩いた方が楽しいので頑張れるところまで頑張ろうと思います。

 

六月六日(日)薄曇り 

 先週は「舞いと踊り」の一週間でした。まず、小生の仕舞の稽古が、三曲目の「猩々(しょうじょう)」に入りました。一方、「踊り」の方は、今週末に催される金沢百万石祭りの踊り流しに小生の勤務先銀行の有志で参加することになったため、その練習に参加したものです。中央体育館で地元の人たちに混じって手拭い代りのタオルを振り振り汗を流しました。踊りは「いいね金沢」と「金沢ホーヤネ」(ホーヤネというのは「そうだね」というほどの意味の金沢言葉です)という二曲の「現代民謡」です。昔の盆踊りを懐かしく思い出しました。職場に、学生時代「民舞」をやっていた男がおり、彼の手つき腰の振り方はさすが出色で、周囲のおばさんたちの注目を集め、その場のアイドルと化していました。

 

六月一三日(日)晴れ 

 今日の金沢はカラッとした快晴になりました。気温も二二度程度で過し易い好日です。梅雨の中休みでしょうか。さて、昨日は、我が母校、愛知県立岡崎高校の同窓会に出席しました。毎年開かれているこの同窓会、小生は卒業以来不義理をしてきましたが、今年は我々の卒業年次(昭和五〇年卒)が幹事ということもあり、幾人かの旧友と連れ立って出かけた次第です。母校最寄りの名鉄東岡崎駅も昔日とあまり変わっておらず、時が止ったかのようです。会場に入るやいなや、そこはもう三十年前の教室です。卒業以来の友あり、大学時代も共に過して我が青春物語に欠かせぬ男あり、年賀状だけは遣り取りしてきた「じゃれ友達」あり、永く行方不明になっていた、一年生の時に互いの家を行き来してガキ遊びした男あり、不思議な母性で小生を励まし続けてくれた女性あり、深き恋の思い出刻まれし女性あり…。不思議なのは、五分もしゃべっていると、彼らの当時の性格、性情のありよう、物事への反応の仕方などがまざまざと蘇ってくることです。人間性の基礎的な部分は、十七、八歳以降、あまり変わらないのかも知れませんね。

 この日は、夕方、金沢百万石祭りの踊り流しに職場で参加することになっていたため、一四時頃には会場を後にしましたが、つくづく感じたのは、小生は、当時も今日も、この人たちに支えられ、見守られているということです。これは小生だけでなく、この日出席した皆が感じたことでしょう。旧友たちとの得難い出会いの場は、小生に、さらに向上心を持って日常生活に回帰するための大きなエネルギーを与えてくれたのでした。

 なお、当時の雰囲気の一端を書いた文章もご参照下さい(「青春回想―友Yへの手紙」)。

 また、この日、母校コーラス部諸君の見事な演奏も披露されました。彼らは、来月、ドイツのブレーメンでの世界合唱オリンピックに三連覇を賭けて出場するそうです。たいしたものです。この日披露された、柴田南雄作曲の、追分節をヒューチャーしたカノンのような教会音楽のような雰囲気の曲も、包容力ある堂々たる演奏で聞かせてくれました。

 

六月二六日(土)小雨 

 今週半ばの台風六号とともに、梅雨が戻ってきました。さて、先々週の高校の同窓会で、何人かの旧友にこのウェブページをお知らせしたところ、いろいろと暖かい励ましのメールなどをいただきました。ありがとうございます。

 先週から今週にかけては二度ばかり東京に出張があり、打ち合せや取引先訪問の傍ら、高校三年生の娘の父兄面談などもこなしてきました。担任の若い男の先生の進学準備についての知識・情報には敬服しましたが、進学テクニックもさることながら、子どもにとっては、そろそろ将来何者でありたいのか、真剣に考えることが大切だと思います。小生は、あまり子どもを型に嵌めるのは好きではありません。ただ、子どもが一人前になれるように、自分で人生を開拓できるように、生きる力を与えてやることは親の大事な務めだと考えます。今回帰省時に、娘に、バレーボール部を三年生の夏までやり通したことを誉めてやりましたが、もう少し娘の人生に積極的に関ってやらなければいけないかな、とも感じました。

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