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「古典派からのメッセージ・1999年〜2000年編」目次へ戻る
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青春回想―友Yへの手紙

 

 拝啓 その後元気でお過ごしのことと思います。

 さて、先日は僕の書いた雑文集を読んでいただいたうえ、貴重なコメントを付していただき、かつ、家内に娘の教育のアドバイスもしてもらいありがとう。電話でとりあえずお話したとおり、大感激です。本居宣長の擬古文風に言えば「いといとうれし」です。

 思えば、君は僕にとってかけがえのない存在です。人間にとって「第二の誕生」の時期とも言うべき高校時代に君に出会い、深くその影響を受けたことが、現在の僕を形作っていると言っても過言ではありません。君にキャッチアップしようとし、君を模倣しようとしていたのが僕の青春時代だったように思います。

 君の人間としての大きさ、人格の柔らかさ、ユーモアのセンス、リーダーとしての大衆的人気!この独特の人徳は、君と同じように学業成績は常にトップクラスだったけれど大衆的人気のなかった東大型秀才タイプとは対照的でした。君が生徒会長、僕が副会長をしていたことがありましたね。あの時君は、全校生徒の前で、男子の制服を「喪服」と言ってのけるなど、随分大胆な生徒会長でした。生徒指導の先生ににらまれた生徒会長というのは我が母校百年の歴史の中でも珍しいのではないでしょうか。しかし生徒には絶大な人気でしたし、先生にも君のファンは結構いたようです。それというのも、君のそうした若者独特の辛辣な反骨精神が、明るくユーモアあふれる語り口と心の底に流れる義侠心やヒューマニズムにくるまれていたからです。

 あらゆる面で奥手の僕と違って君は早熟の天才でした。君はエッチさにかけても早熟で、同級生の女の子をつきあう対象とはせず、教育実習で来ていた女子大生と文通したりしていましたね。僕に、良い参考書があると言って、物理の参考書の表紙を付けた宇能鴻一郎の小説を渡して、性欲の固まりのような十八歳の高校生が試験勉強をできないようにしたお茶目ないたずらは忘れられません。

 大学受験の前年(昭和四十九年)、中日ドラゴンズが二十年振りにセ・リーグで優勝してしまい、お互いテレビとラジオの前に釘付けになって見事翌春の受験に失敗し、一緒に一年間「河合塾」に通うはめになったことも懐かしい思い出です。

 先日雑文集のネタを探していたら、高校一年の時書いた「或る日の一年六組」と称する文章が出てきました。当時深く傾倒していた漱石の「吾が輩は猫である」風に描いた高校生の日常生活のひとこまですが、ここに登場する「不等師(ふとし)君」なる生徒がまさに君をモデルにしているのです。まあ、読んでみて下さい。

 

 

或る日の一年六組―初期漱石風ハイスクール戯画

 

 

 今日も寝ぼけ眼(まなこ)を擦りながら、学校迄のダラダラ坂を登る。どうも眠たい。こう眠たくては物を考える力が半減する。とうてい英単語を覚える気力もない。こんな日は勉強したところで成果はあるまい。そこを押して詰め込むのだから、教師も余程愚である。いや教師だってこんな日は眠いに極まっている。

 人間は「八時間眠れ」と神より使命をおおせつかった動物だ。その使命を平気で破って居る人間が何と多いことか。余などは少しでも多く眠って神に忠実であろうとするのに、教師どもが容易にそうはさせない。使命を平気で破るものだから、神は我々に罰を言い渡す。汝の頭はトコロテンの如く鈍くなれ!と。だから余が今日の頭脳の状態も、神の罰を受けて、まさに取りとめのつかぬ様相を呈している。たとえコンピューター付きブルドーザーといえども、こんな状態が三年も続いたらオーバーヒートして鉄屑屋に売り飛ばされることになるだろう。

 こんなことを考えて居るうちに教室へ着いた。着いてみると中には元気な奴が居るもので、もう二、三の朋友は例の如く将棋を打っている。「オッス」と云っても返事も忘れてやって居る。到底相手にされそうにない。仕方ないからカバンを放り出して「あ―あ」と大なる伸びをして机に突っ伏した儘(まま)、うとうとして仕舞った。

 

 

 波がうなりを上げてこちらへ向かって来る。思わず目をつぶったとたん、ド―ッという音がして小舟もろとも空中へ舞い上げられた。うわ―っと思う間もなく再び海へ叩き付けられようとした瞬間、向こう岸にちらと人影が見えた。其の時何故か余は「北斎先生!」と大声を出した。波に呑まれそうに為ってあっぷあっぷしながら、また「北斎先生!」と云った。かの向こう岸の人物は何やらしきりと絵筆を振るっている。とにかく苦しいと思っていると、波の間にかすかに白いものがのぞいた。ああ、あれが富士の山だな、と思っているうちにだんだんぼんやりしてきた。もうだめだ、と波のなす儘にしておくと、海の中から魚の大合唱が聞こえてきた。はて様子が可笑しいなと思って居ると、大合唱がいつの間にか人の話し声に変わった。はっ、と気づいてみると、余はもと通り一年六組の教室に居った。

 もう大部生徒がそろって居て、いつも通りの騒がしさだ。余が、北斎先生の富嶽の絵は出来ただろうかと、まだ寝ぼけて考えて居ると、

「おい、スタンダード遣(や)って来たか?」

と、後ろで大きな声がする。誰だろう、と振り返って見ると、混同(こんどう)君だった。頭がぼんやりして居る上に、当の問題集は遣ってなかったので、

「う、うん」

と、いい加減な挨拶をすると、

「畜生、遣って来たのか。オレはまだ三ページも残って居るから、きょうは出せそうもない!」

と、自慢でもないことを自慢そうに云った。

「そうかい、そりゃ残念だね。」

余は朝っぱらから弔辞を述べて、ウソが露見しないうちに前を向いた。どうも神の使命を破るとろくな事はない。本当にろくな事は無いかな、と思って、一応教室内を見回した。いやはや、きょうもにぎやかなものだ。

 うしろの方では男坊主が四、五人、ひとつの机にかたまって大声で話している。どうやらさっきの将棋の所へ集まった連中らしい。しきりに、もうツミだ、いやそりゃ甘いよ、とやっている。

 日の当たる窓べりも中々の繁盛だ。そこには奇形字(きけいじ)君、無理(むり)君、痞基(つかもと)君、酢堂(すどう)君、山鈍(やまどん)君といったこの組きっての「勇者」が勢揃いで、何やら話して居る。奇形字君が先日の模擬試験のことを無理君に聞く。

「それにしても無理、おまえ物理の鬼だな。」

「あのくそ難しい模試で七九点なんてよう取れたねえ。」

と、酢堂君も暗に羨望の意を表明する。理系志望の当の無理君は平然と

「そうでもないやねえか」

と、極めて上品な言葉で答えた。

「どうやったら、あんな点取れるん?教えてくいや」

これは山鈍君の質問である。

「別にどうもせいへんやん。まぐれだわ」

どうも七九点にしては言葉が上品すぎる。それをいかにも冷然と答える所が面白い。

 余の隣の席では女の子が三人でしきりに話している。誰かと思えば山芋さん、飢多(うえた)さん、大声(おおごえ)さんであった。、

「きのう、うちのおじいちゃんがね、早く御嫁に行けって云うのよ」

飢多さんがうれしそうに云った。

「それでね、高校って詰まらないでしょ。ほんとに早く行って仕舞えばよかったわ」

「ええそうね。相手さえ居ればね」

と、山芋さんも付け加える。

「だって飢多さんじゃ相手がないでしょう」

大声さんが人並みはずれたヴォリュームと高さを持った、何とも聞きづらい声を出して、飢多さんに剣突を食らわせた。

「あら、ちゃんと居るわよ」

「え、だれだれ?」

「内緒」

「教えて呉れたっていいじゃない」

と云ってはしゃぎ合って居る。

 こんなうるさい教室の中で、朝も早くから超然と弁当を食って居る者がある。云わずと知れた野球部の山打(やまうち)君である。しかし黙然と食って居ては消化にいいはずがない。彼は食べながら話をしているのである。相手は隣のクラスの達磨君である。しかし、口に物を入れた儘しゃべるので、しきりと何か飛んでいる。当の達磨君は口をあけてハハハと笑う。ちときたない様だ。

 全くいつも通りのにぎやかさだな、と思っていると、入口から不等師(ふとし)君が入って来た。このクラスの室長の貫禄やいかに、とさらに観察する。不等師君は出席簿を教壇にドンと置いて悠然と席についた。さすがに室長だけあって態度が横柄である。ところがこの室長、これでも苦労して居るのである。実は一学期の間は、出席簿運びなどと云う雑務は副室長の女性に任せておいた。しかし二学期になって、副室長が代わって以来、彼がせっせと運ぶように為って仕舞った。それほどこの組の副室長、宇佐義(うさぎ)さんは尊大な人である。

 

 

 かくの如くにぎやかなる儘にSTの時間である。この組の担任、僧兵(そうへい)先生が例によって教室に一礼して入って来る。僧兵と云うとイガグリ頭で恐ろしい体格の持ち主のようであるが、この僧兵はナナフシのように細い。あまり貫禄のある僧兵ではない。そのせいか一向に静かにならない。室長の不等師君でさえ、先生のおでましに気付かない。しかたないから先生自ら「立って」と手で合図する。漸く不等師君が気付いて

「ああ、きり―つ。」

と、あまり冴えない号令をかける。

「れい」

と云うと、おはようございま―すの声に交じってオ―スというのさえ聞こえた。僧兵先生はそんなことにおかまいなしに、しきりに日誌をペラペラめくって居る。その間にまた、がやがやがひどくなった。そして先生がたいして大きくもないこもった声をむりに張り上げて

「それでは連絡事項を云っておきます。」

と云った頃には、紙飛行機さえ飛んだ。それでも先生は片手を口に当てて何か叫んでいたが、とうてい聞こえない。仕方ないから先生の口が動くのをぼんやりながめて居った。

 

 

 第一時限はリーダーである。未だチャイムが鳴らぬから、教室内は依然としてうるさい。所へ、STにも遅れて今頃入口から堂々と入ってくる人物がある。これが我らが副室長、宇佐義さんである。このウサギは時刻に間に合わなくても決してあわてない非常な君子である。いつも拍手に迎えられて、それでも超然とした顔をして席に着く。人間はこれでなくてはいかん。この組の担任、僧兵先生のようにせかせかしていては、百迄生きられるのが五十迄しか生きられなくなる。

 宇佐義さんがようやく筆記具を出した時に、リーダーの御肉先生がやって来る。例によってやや赤みを帯びた、肉団子をいくつもくっつけた様な顔をしている。この偉大な肉弾先生が、きょうは乙に背広を極めこんで居る。はて可笑しいな、きょうは誰かの葬式か結婚式でも有ったのかしらん。何しろこの先生は、我々生徒が珍重すべき教師である。第一、服装がラフである。それに人が好いから、いたずらをするにはもってこいなのである。だからきょうみたいに、まれに背広を着て来ると、すぐやんや言われる。口笛を鳴らす、手を打つ。どっから借りて来たのと云う。それは大騒ぎである。

「それでは教科書を始めます。」

と、照れながら云う。

「先生、教科書より先に、背広の講釈をしてよ。」

と、痞基君が面白がる。

「きょうに限って先生、どうしてそんなの着て来たの。」

これは御茶羅(おちゃら)君の言である。こう責められては先生もたまらない。何か言い訳をしたいものと見えて

「きょうは寒いですね。」

と、胡麻化した積もりで澄まして居る。この一言でまた爆笑された。これでは授業にならん。ついに

「では、きょうは――五日ですね。五番の人、読んで下さい。」

と、難関を切り抜けた。五番は勿論、大紙馬(おおしま)君である。彼は例の如く、ゆっくりと立ち上がった。ペラペラときょうの所を開いて、おもむろに

Gutenberg needed something quicker…」

とうとう授業が始まって仕舞った。余も仕方ないから教科書を目で追うことにした。

 

 

 きょうも六限目となる。珍しく一年六組は静かである。それもそのはず、六限は未斗根(みとこん)先生の生物である。未斗根先生は、黒ぶちメガネをかけ、その厳しい倫理観と冷静な科学者たるを自他ともに認める教師である。

「ほいじゃあ、きょうは教科書の三七ページ、排出器官と云う所です。そこを開いてみなさい」

科学者が「ほいじゃあ」はちと妙である。しかしこの「ほいじゃあ」のお陰で、恐そうに見えるこの先生も六組ではかなり人気が有るのだから面白い。

「腎臓には、前腎、中腎、後腎が有ります。」

と云いながら、黒板にかなり乱れた字を芸術家のような勢いで書く。この字だけを見ると、この人は精神分裂をきたしている人ではないかと思われる。次に黒板に妙な図を書いたが、急にピタリと動きが止まった。何やらじっと考えて居たが、またすぐ「マルピーギ管」と書いた。しばらくは板書が続いたかと思いきや、突然大きな声で、

「ど、どうですか。ホ乳類はこのうちどれだと思いますか?」

と云う。出席簿をしばらく眺めて

「松脂(まつやに)君、どうだに?」

と、うれしそうな顔をして云った。松脂君はさほどうれしそうでもない。むっつりと立ち上がって

「こ、後腎だと思います」

と、ややどもる。

「そ、それで良いだにい」

先生ますますうれしそうにニヤと笑う。どうも可笑しい。余もれっきとした三河人だが、これほど強烈な三河弁を駆使する輩も珍しい。後ろの方では先生が一口しゃべる毎にクスクス笑って居る。先生はそんな事には頓着なく、

「ほいじゃあ、次は…」

と、おいでなすった。

いやはや六限だけは退屈することなく拝聴できた。有り難い、有り難い。全く未斗根先生のお陰である。ところがあと五分でチャイムだと思っていると、突然、不等師君が

「先生!」

と、発言を求めた。

「は、はい。な、何だに?」

先生ちょっと狼狽気味である。

「あの―、困りませんか。人間は精子を送る管とオシッコを送る管が一緒になっているでしょう。一遍に出やせんかと…」

と、恥ずかしげもなく、大きな声で質問する。教室内が一遍に笑いとざわめきの渦に巻き込まれる。先生は目を白黒させて居たが、しばらくして、

「そ、そういうことは無いです、そういうことはねえ。普段は、ふ、普段は尿だけ出ます、尿だけねえ」

「でも、精子を出す時でも交じったりせんのですか」

「そ、それは、す、少しは交じります。しかし特別な場合には、特別な場合にはねえ、ちゃんと区、区別されるです。い、いいですか?」

やはり科学者だけあって先生、汗をかいてややどもりながらも、不等師君の真面目とも冗談ともつかぬ質問を何とか切り抜けたのは見事だった。これで本日の授業は全て終了したのである。

 

 

 やれやれ、六組の連中の去った後の教室は静かなものである。あとには、欠けた空ビンだの、よごれた儘の黒板だの、ゴタゴタ並んだ机だのが、差し込む夕日に照らされて居るばかりである。余もぼちぼち帰宅の途につくことにしよう。

(以上一九七二年一一月六日記す)

 

 

 どうでしょう、当時の雰囲気を思い出していただけたでしょうか。こんな風に僕らはよく先生方をちゃかしては喜んでいた生意気な生徒だったですよね。僕にとって高校時代は、こんなのんびりした雰囲気に浸りながらも、真剣に生きる意味を考え始めた時期だったような気がします。

 さて、今回君に読んでもらった僕の雑文集は、勤め先の行方がはっきりしたら何とか自費出版したいと念願しています。その時はまた改めて内容の可否をご相談します。いずれにせよ、とりあえず僕にとっては、生きてきた証を残すことができたように思います。これで死んでも悔いはない、というのは大袈裟ですが、自分のやりたかった事を実現できたことは、僕にとって大きな喜びです。これからも日常業務をこなす中で、「ディレッタント古典読み」「日曜歴史家」としての自分を磨いてゆけたら、と考えています。

 貴君も体に気をつけてご活躍されんことを祈っています。

敬具

 

(一九九九年一〇月二六日)