近況メモ(平成21[2009]年5月〜6月)
平成21(2009)年〜「八重山吹の初夏」から「行列のできる阿修羅展」へ
5月3日(日)薄曇り
連休の真っ最中ですが、いかがお過ごしですか? 東京は、今日は薄曇りでしたが、昨日までは快晴が続きました。下の写真は、4月26日と29日の休日に、近所を妻と散歩した際に撮ったものです。好天に誘われて、初夏の気候、初夏の空、初夏の草花を楽しみました。26日は我が満53歳の誕生日でもありました。遠くから旧知の方からもお祝いのメールをいただきました。うれしいことです。前日の25日夜は、我が家から車で15分ほどのところにある懐石料理屋で妻と娘にお祝い会をしてもらいました。人間ドックも受診し、詳しくは結果待ちですが、とりあえずは健康体のようでした。向こう一年、大きな機会を捉えるにも体が何よりですので、健康体であることは大きな自信になります。
さて、24日(金)は久しぶりに矢来能楽堂へ行き、能「鵺(ぬえ)」を楽しみました。能「鵺」は、平家物語にある源頼政の鵺退治の物語から採られた世阿弥作の演目です。鵺とは、頭が猿、手足は虎、尾は蛇で、鳴き声がヌエ(トラツグミ)に似た得体の知れない怪獣です。平家物語の眼目は、鵺を退治した頼政の武勇とその際詠んだ和歌の素晴らしさを讃えることにあるのですが、世阿弥は、むしろ、鵺の立場から、その境遇の哀れさを味付けしており、主人公(シテ)を鵺にしています。後場で鵺の正体を現し、頼政に矢で射抜かれたり、死体となって靫(うつぼ)船に押し込められて川に流されたりするのは、鵺の悲惨な境遇を象徴しています。しかし全体としては、頼政の武勇や名誉といった祝言としての能の要素も強く、爽快な味わいを持つ曲だということがよくわかりました。シテの奥川恒治さんの切れ味よい所作がそうした爽快な後味を一層引き立たせてくれました。
昨日5月2日(土)は、昼過ぎまで府中宝生会の謡の稽古に出ました。6月に宝生能楽堂の発表会で小生がワキを謡う予定の素謡「小鍛治」を通してやりました。ワキといってもタイトルロールである三条の小鍛治宗近の役ですから(シテは稲荷明神)、もっと堂々とゆっくりやったら、とのアドヴァイスを先輩からいただきました。その後、オペラシティに妻と東京交響楽団の演奏会に出かけました。またまたハイドンの特集です。曲目は@「驚愕」交響曲、Aヴァイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴットのための協奏交響曲、B「ロンドン」交響曲の三曲でした。とにかく没後二百年の今年はハイドンをナマで聞ける稀有な機会ですので、できるだけ聞いておこうと思っています。東京交響楽団というオケの演奏会を聞いたのは初めてで、正直あまり期待していなかったのですが、オランダ出身の指揮者、ユベール・スダーンさんのメリハリをしっかりつけた歯切れよいハイドンは素晴らしく、特に、「驚愕」交響曲のフィナーレの疾走感はブラーボ!!でした。コンマスの高木和弘さんをはじめオケも指揮者の意図をよく解してついて行っており、満足の演奏会でした。
そして今日は、妻に誘われて新橋演舞場へ「五月大歌舞伎」(昼の部)を観に行きました。演目は、「金閣寺」「心猿〜近江のお兼」「らくだ」と、バラエティに富んだものでした。「金閣寺」のように、長唄ではなく義太夫節に乗せた歌舞伎というのもなかなかいいですね。原作が人形浄瑠璃だったので義太夫節が合うのでしょうか。今日は捕えられた雪姫(演者は中村芝雀さん)が桜の花びらをかき集めて足で鼠の絵を描く場面を人形浄瑠璃を模した「人形振り」で演じていました。桜の花びらを雪のように降らせる演出と共に、この場面だけ異空間で演じられているかのようで印象的でした。「心猿〜近江のお兼」はうって変わって長唄舞踊の名曲です。江戸時代の田園風景を彷彿とさせるのどやかで伸びやかな味わいが素敵です(演者は中村福助さん)。最後の「らくだ」は、落語から翻案された滑稽味あふれる演目でした。
5月23日(土)曇りのち雨
旧暦ではきょうから皐月(さつき=五月)です。中国で皐月は悪月とされ、魔除けの風習が生じ、これが日本に伝わって菖蒲湯に入ったりして邪気を払うようになったとのこと。確かにこれからの季節、雨も降りますし、湿気も多く過ごしにくい季節です。
連休の後半は、家族三人で、名古屋郊外にある高校時代の旧友宅を訪問した後、実家に帰省しました。その旧友宅には飼い犬が居て、小生の娘がまだ学校に上がる前に一度訪問したときは、元気な子どもの犬でしたが、今年初めに老衰で亡くなったそうです。亡くなる直前の写真を見ると、確かに口の周囲やひげが白くなり、衰えた様子がわかります。犬の生命は我が娘が成人するまでの間だったのですね。一抹のはかなさを覚えました。それはさておき、その日は、旧友三家族で久々に集まり、楽しいくつろいだひとときを過ごすことができました。あとで二人の友から来たメールに、それぞれこんな一節があります。
Y君曰く「久しぶりなのに時の隔たりはまったく感じないところに我々の歴史を感じました。」
S君曰く「古い友達と会って心置きなく語り合える幸福を、年を経るごとに感じるようになってきました。」
さて、17日(日)には、東京クラシカル・シンガーズとオーケストラ・オン・ピリオド東京の第8回演奏会に、浜離宮朝日ホールへ妻と出かけました。旧知の古典派ファン(とりわけJ・V・ヴァンハルの熱狂的ファン)であるSさんが、この演奏会の企画者である大軒由敬さん(もとこのホールの支配人でいらっしゃいます)からご招待を受けたのに便乗させていただきました。
大軒さんは、演奏会でも自らチェロを弾いておられましたが、この方も相当な古典派ファンのようです。この日の演目もハイドン兄弟の声楽曲を中心にしたもの(演奏会のパンフ写真の上が兄、下が弟の肖像画です)で、兄の「トランペット協奏曲」と「ネルソン・ミサ」、弟の「テ・デウム MH829」と「聖十字架のミサ MH56」が演奏されました。没後200年の今年でも、さすがにハイドンで「天地創造」以外の声楽曲が演奏会のレパートリーの載るのは稀です。まして弟ハイドンの声楽など、ナマで聞けるのはこれが最初で最後でしょう。しかし弟ハイドンの本領は声楽曲にあるのですから、この日の演目は、そのことを理解した真に古典派を愛する人による「良心的」プログラムと言えます(弟ハイドンについては、拙文「忘れられた偉大な作曲家 ミヒャエル・ハイドン」をご参照下さい)。
この日は、やはり「ネルソン・ミサ」の力強さ、流麗さ、古典派らしいホモフォニーとポリフォニーの調和の技法に最も心惹かれました。もうこの完成度の高いミサ曲の後に、西洋音楽は何を付け足すことができたのでろうか、と思われるほどでした。
21日(木)には、我が母校の愛知県立岡崎高校の首都圏同窓会の催し物に出かけました。小生の11年ほど先輩に当たる、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの専務執行役員で調査本部長を務めておられる門野史明さんの「我が国経済の再生は可能か」という題の講演会です。門野先輩は、もともと東海銀行のエコノミストで、かつて円高を当てて有名になったエコノミストの水谷研治氏の後輩に当たる方です。我が国の経済は、アメリカ金融危機を端緒とする世界的景気後退の影響を受けて、急速な減速局面に突入しています。日本経済はどうなるのか? なすべき対策はあるのか? というのが主題でした。20名以上の参加者の中には、小生と高校で同学年のK君や、数年下で不動産管理システム業を起業したI君といった旧知の顔ぶれも居ました。一般的な経済講演会と異なり、講師も受講する人たちも同窓生ばかりですので、うち解けた雰囲気で、講師の門野さんも三河言葉ではばからずしゃべっておられました。質疑応答も途絶えることなく、時間を超過しての盛り上がりようでした。小生としては、一昨年に顕在化したアメリカ金融危機以降の世界の経済状況や諸データの整理をしておきたかったので、門野先輩のわかりやすい説明はとても有益でした。
6月7日(日)晴れ
今日の東京は今年初の真夏の日差しでした。昨日までぐずついた雨の日が多かったので、夏の陽光が一層眩しく感じられます。
さて、昨日、府中宝生会の稽古の後、最終日前日の「国宝 阿修羅展」へ妻と出かけました。噂に違えず大変な人出で、入場までに一時間ほど行列しました。この展示の「主役」になっている阿修羅は、インドの神々を仏教が取り入れて守護神とした「八部衆」のひとつです。八部衆には他にも、乾闥婆、五部浄、迦楼羅、沙羯羅、鳩槃荼などがあります。これら八部衆の立像群を拝見して気づいたのは、阿修羅だけではなく、乾闥婆も五部浄も沙羯羅も少年の顔立ちをしていることです。そして五部浄や沙羯羅は、阿修羅と同じように、どことなく憂いのある独特の表情をしています。興福寺の八部衆の作者に何か共通の意図があったのでしょうか。これら八部衆だけではなく、仏陀の十大弟子群もそうですが、これら天平時代の彫像の表情の奥深さには、何か作者のメッセージのようなものを感じないわけにはいきませんでした。