近況メモ(平成22[2010]年5月〜6月)
平成22(2010)年〜「大学通りの新緑」から「南アのサッカーワールドカップを楽しむ6月」へ
5月23日(日)雨
すっかり新緑の季節になりました。右写真は、国立(くにたち)の大学通りの新緑です。この通りは、春は桜、秋は銀杏に美しく彩られます。
さて、このところ、4月から通い始めた一橋大学での演習の準備や、以前からお世話になっている東大の先端公共政策研究会関連の6月の日本公共政策学会の大会の発表準備などなどで忙しく、このサイトの更新ができませんでした。この間、いろいろな方からお便りやらご心配やらいただきました。ありがとうございます。
6月の大会では、「政権交代と公共政策の変容」というセッションで、若手の大学の先生と国土交通省の官僚の方と小生の3人で分担して報告し、我々の師匠の御厨貴東大教授が討論者としてコメントをされる予定です。小生は、「世論応答と専門性の相克―政権交代後の金融行政をめぐって」と題して報告します。亀井静香金融担当大臣は鳩山連立政権の中でも最も精力的に自分のやりたい政策を実現しています。昨年11月に成立させた「中小企業金融円滑化法」しかり、今年になってからのいわゆる「郵政改革」しかりです。彼がなぜこんなに精力的に活躍できるのか、その政策には金融行政の専門性の観点から問題はないか、そういった内容の報告になります。また折を見て、東大の先端公共政策研究会や一橋大学でどんなことをしているのか、追々、成果物をご報告させていただきます。
5月30日(日)曇り
写真左は皇居「平川門」です。先日、所用で九段下から大手町まで歩いた際、神田から一橋を渡ってすぐのところにあるこの門に立ち寄ったものです。平川門は江戸城の裏門であり、大奥に最も近いので、大奥女中達の出入りする通用門でした。また、御三卿(清水家・一橋家・田安家)の登城口でもあったとのこと。写真右はそこから程ない大手町に立つ和気清麻呂像です。奈良時代に怪僧・道鏡を退けた気骨ある官僚・和気清麻呂の立像は、この国を邪悪な者から守る気概を全身からたぎらせているように見えました。内堀通りには平日の昼間ですが、皇居の周囲を走るランナーの姿が少なからず見かけられました。外国人も交じっていました。皇居周辺には、こうしたランナーたちの休憩所兼着替え場兼風呂場のような施設が何箇所かあります。神保町にもありますし、小生が去年の夏の昼間、あまりの暑さに飛び込んだ平河町の「銭湯」も、実は、ランナーたち向けの施設でした。
さて、5月15日(土)は、宝生能楽堂での五雲会で、小生の謡・仕舞の師匠であった藪俊彦師のご子息の克徳さんが能「鵜飼」のシテを務められました。小生は残念ながら所用で行けなかったのですが、友人の五月女さんが行かれ、こんな感想をメールしていただきました。能の見るべきところをしっかりと見ておられる素晴らしい印象記です。
「素人で、お能を観能するようになってまだ3年しか経っていない私が、感想を偉そうに言うのは大変恐縮なのですが、感じたことが多々ありましたので、長くなりますが記載いたします。先ずは『出』の部分です。藪さんが意識的に行ったか否か、当初は分かりませんでしたが、幕が開いた直後、藪さんはなかなか登場しませんでした。能舞台に鏡板の"松"や"橋懸りの松"があるのは、"待つ"に通じると能研究の戸井田道三氏は述べていますが、藪さんが本日の間(ま)で『鵜飼』をスタートさせた(観客を待たせた=観客側から言えば待った)のは、藪さんの解釈だったと思いました。登場前から観客を強烈な集中力で洗脳していた!!と言っても過言ではないでしょう。また、登場後は高齢の亡霊姿で、"これ以上ゆっくり歩けないほどの足運び"でしたが、それはこのシテに与えられている意味を的確に捉えているように私には思えました。
余談になりますが、生理学的に言えば、病気は別にすると人間は高齢になるに従い、脈拍が遅くなります。クラシック音楽を例にとれば、指揮者のチェリビダッケが最晩年に指揮したブルックナーの交響曲はテンポが遅過ぎて、私などは聴いていて心臓が止まりそうになってしまいます。従って、少し若い時代の演奏を愛聴しています。彼の演奏が悪いのではなく、これは彼が高齢になって脈拍が遅くなったことに起因している、というのが私の持論です。今後、自身が高齢になった場合は最晩年の方の演奏を好むようになるかもしれません。
芸術におけるテンポ(速度)というのは、それだけ重要だと私は感じています。まだ若き藪さんが、本日のテンポで『鵜飼』を開始させ、すっかり老人の亡霊になりきっていたのは相当量の練習をしたのだと思います。座ってからの演技は、更に感情移入が激しく、また途中から立ち上がっての舞いで、扇子を広げ、キザハシ付近で決めた姿や、松明と扇子とを放り投げた時の演技は、歌舞伎でしたら思わず「成駒屋(なりこまや)!!」と言っていたことでしょう。前シテ終了時の拍手が、何よりも演技の素晴らしさを物語っていたと思います。(私も拍手をしてしまいました!!)地謡もとても素晴らしかったです。最後に一点だけ気づいたことですが、大鼓の大倉氏の声が大きく、また後半は太鼓も入って来た為、藪さんの声がマスキングされ、聞きづらい箇所がありました。その部分だけが少々残念でした。しかし、三番目物を好む自分としては、初めて五番目物に目覚めさせていただいた貴重な公演となりました。すっかり藪さんのファンになってしまいました。今後も期待をしております。」
5月22日(土)には、シューマンの作品ばかり3曲(4本のホルンのための小協奏曲、ピアノ協奏曲、交響曲第3番「ライン」)を並べた、東京ユニバーサル・フィルの演奏会を聞きに、東京芸術劇場へ行きました。小生のお目当てはピアノ協奏曲です。この曲の冒頭でオーボエとピアノが奏でる哀愁を帯びたリリカルな旋律は、西洋音楽が生んだ最も美しい旋律のひとつだと思います。今年は、シューマンとショパンの生誕200年ですが、小生は、ショパンよりシューマンの方がずっと好きなので、今年はシューマン特集の演奏会にしばしば出向くことになりそうです。意外とシューマンの4曲の交響曲は演奏される機会に恵まれませんので、今年はチャンスです。この日、ピアノを弾いた佐藤彦大(ひろお)君は、予定されていたピアニストが病気のため、急遽代役で出演したのですが、まだ東京音大大学院に在学中の若さながら、なかなか情熱的で堂々たる演奏だったと思います。客席からは拍手喝采でした。
きょうは、家内と、一橋大学の兼松講堂で開かれた、渡邊順生さん指揮のバッハ「ヨハネ受難曲」を見に行きました。英国人のベテランテノール、ジョン・エルウィスさんの福音史家は堂に入ったもの。合唱も見事に熱唱し、最後のコラールは感動的な盛り上がりでした。器楽陣、とりわけ低音楽器の人たちが素晴らしかったです。チェロで通奏低音を切れ味良く弾いてくれた花崎薫さん、甘美でしかも知性に満ちたヴィオラ・ダ・ガンバを聞かせてくれた櫻井茂さんの演奏には、目が釘付けになりました。渡邊順生さんのこの日使ったチェンバロは、リュート・チェンバロと言い、弦が金属ではなくガット弦で、とても柔らかな音色です。解説の礒山雅さんによれば、バッハはこの楽器をとても好んだそうです。こうした古楽の演奏会では、楽器を見る楽しみもあります。
6月12日(土)晴れ
きょうの東京多摩地方は7月並の気温で、日差しも強くムシムシした夏を感じさせる一日でした。路地の紫陽花(あじさい)も色とりどりに 咲き始めました(左写真)。昼間、岡崎在住の小生の母方の叔父夫妻が、川崎に住む長男一家とりわけ初孫の顔を見に来たついでに、小生を訪ねてくれました。叔父には長男以外にも次男、三男が居るのですが、ふたりは30歳を越えた今も独身とのこと。この三人は小生の従兄弟に当たりますが、年齢的には小生の娘に近い世代の「若者」です。
さて、6月5日・6日に日本公共政策学会の大会が浜松であり、小生も6日に「政権交代と公共政策の変容」という企画の報告者の一人として報告しました。この企画は、討論者が我々の師匠である東大の御厨貴教授という豪華キャストだったこともあり、教室一杯の聴衆でした。北海学園大学のK1先生、国土交通省のK2企画官、小生の順で報告しましたが、各20分でうまく収まり、討論者や教室の参加者の皆さんとのやりとりが充分に出来て、充実した報告会になったと思います。小生には、御厨先生から政官関係等について本質的なご指摘をいただき、報告の席上で思考を発展させられるという驚くべき経験をさせていただきました。また、この大会では、小生以外に放送大学の天川晃教授のゼミOBのK3さんも別のセッションで報告されたため、天川先生がわざわざ駆けつけてくださいました。改めてお礼申し上げます。浜松は家内の実家があり、小生の義弟も聞きに来てくれました。ロボット技術者をしている彼が「脳のいつも使っているのと違う場所が刺激され、政治に興味が湧きました」と言っていました。この時の論考に大幅に私見を付け加えたものを今回から連載します。世論応答と専門知の相克―鳩山政権の金融行政をめぐって(第一回)をご覧下さい。
6月26日(土)曇り時々にわか雨
下の写真(上段)は、色とりどりに咲き誇る百合の花を路傍で見つけて撮ったものです。ここ東京多摩地方は蒸し暑い気候になりました。九州や四国では大雨の被害も出ているようですし、北海道では35度というような異常な暑さに見舞われているようです。天候不順にはお気をつけ下さい。
サッカー・ワールドカップの日本代表は試合毎に力を付けて見事に決勝トーナメント進出を決めました。あれほど岡田武史監督の悪口を言っていたメディアが手のひらを返したように浮かれる中で、今朝の朝日新聞のオシム前監督の「お祝いは大会が終わってから」との辛口コメントが目に付きました。芸術的とも言える本田のフリーキックを「あれは大したことはない。ちやほやするのは止めた方がいい。若者はすぐつけ上がる」と述べ、「相手のPKになってもおかしくない場面が二回以上あった。日本人は耳の痛いことを聞かない傾向があるが、それでは進歩がない」と厳しい。しかしオシム前監督のコメントは厳しいけれども愛情がこもっています。こうした「厳父」のコメントをしてくれる人が日本には少なくなりました。「巧言令色、鮮(すく)なし、仁」(「論語」學而第一)という言葉を現代日本人は味わうべきでしょう。
さて、20日(日)は、水道橋の宝生能楽堂で「真葉会」の発表会があり、小生も仕舞「嵐山」を披露させていただきました(下の写真下段)。それなりに稽古はしたつもりでしたが、いざ本番になると、能舞台での自在なポジショニングができず、中心線を見失いがちになってしまいました。それでも今回は、地元の府中宝生会の嘱託のK先生や先輩方から様々アドバイスをいただき、足の「ひねり」など勉強させていただきました。府中宝生会としては、小生の他に仕舞「八島」、素謡「鶴亀」(無本。家内がシテを務める)、素謡「船弁慶」、素謡「清経」を出しました。当日見に来ていただいた方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。