歳三のプロフィール 梅 梅ライン

  土方を見た人の話に次のようなものがあります。
  「色は青い方、躯体もまた大ならず、漆のような髪を長く振り乱してある、ざっと言えば一個の美男子と申すべき相貌」と、また新選組隊士・
中島登は、「生来英才にしてあくまで剛直なりしが、年の長ずるに従い、温和にして人の帰すること赤子の母を慕うが如し」と、書き残しています。
 
土方歳三の墓は、石田の石田寺に、井上源三郎の墓は、日の駅前の宝泉寺にあります。 
  今でも、幕末のロマンを求めて、全国から、新選組関係の史跡や、墓所を尋ねる人はあとを絶たず、香華の絶えることがありません。

 
土方とか、歳三、というと日野の人には、何かと身近に感じます。
  土方が戦死してから百三十五年の歳月が過ぎ去っていますが、歳三はあの凛々しい軍服姿で、今でも日野の人々の心の中に生き、慕われています。


歳三

先祖代々〓義諄〓二男・義巌〓隼人〓良太〓康〓佑

         
 長男・為二郎 盲目、独身、行年七十二歳
 三男・良順  下染屋村粕谷家の養子(医者)
 長女・周    天保九年六月逝去 行年十六歳
 二女・のぶ  日野宿名主・佐藤彦五郎俊正に嫁す
 四男・歳三  本人、独身、行年三十五歳

 

法号 歳進院殿誠山義豊大居士

※次のようにも、言われています。
 父:土方隼人義諄
 母:    恵津(歳三が6歳のとき、労咳のため逝去)

  1 長兄:為二郎(盲目のため家督を継がず、歳三より23歳年上)
  2 次兄:喜六(家督を継ぐ、歳三より16歳年上)
  3 三兄:(夭逝:文化11年10月逝去)
  4 長姉:(夭逝:労咳のため、文政4年8月逝去)
  5 次姉:(夭逝:文政5年5月逝去)
  6 四兄:(夭逝:文化12年6月逝去)
  7 三姉:周(歳三が3歳のとき、16歳にて逝去)
  8 五兄:大作(糖谷の医家へ養子となり、糖谷良循と名乗る)
  9 四姉:のぶ(佐藤彦五郎に嫁ぐ)
 10 歳三

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辞世の句

 歳三は、宇都宮で手足を負傷し、会津で幕府の奥医師の松本良順に治療してもらう。
 その後、良順の勧めで会津と目と鼻の先にある東山温泉で湯治をした。
 歳三が湯治した旅籠「清水屋」は、嘉永4年12月に松蔭が宮部鼎蔵と宿泊した旅館であり、主人から松蔭の”人となり”を語ってもらった。

 歳三が、吉田松陰の「自分の信念を貫き通す」生き方に共鳴し、松蔭の辞世の句を手本に、すでに辞世の句を詠んでいた。

松蔭の辞世

 身はたとい
  武蔵の野辺に朽ちぬとも
   留めおかまし大和魂

歳三の辞世

 与志耶躯波
 よしやみは

  蝦夷門島辺珥 玖遅奴登母
  えぞがしまべにくちぬとも

   魂波吾嬬廼  幾美耶万母羅牟
   たまはあずまのきみやまもらむ

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