築基参証 四版自序

 

『築基参証』四版自序

 

 三年近くが過ぎ、拙著の三版もまた売り切れとなり、ますます仙学が老若男女すべてに適した学術であるという証明となった。その病気を退 け、寿命を延ばし、道徳的、修身的な価値について次第に国民の認めるところとなってきており、内心十分に喜んでいる。
 十数年観察してきて、静坐を独習している人は指導者が乏しいため、修行する時に勝手なやり方して習慣となるということが行き渡り、このため 往々にして単純な精神の修養に偏っているのを発見した。筆者が思うに、精神を修養する単純な静坐は、高血圧や心臓病などには確かに有益ではあ るが、脈搏や呼吸が穏やかな低血圧の人にとってはことさら相応しいというものではなく、修養後にいつも顔の色が青ざめるといった諸々の症状を 起こす。そうした長年の習慣を取り除くため、七十年春に適当なもの(糖尿病数息療養法)を著して、築基参証のグループに与え、内息と外息に分 けて実験してみた。その後で検討したところ、その効果は著しく、それを修養したものから便利であるとの評価を得た。 仙学の体を健康にする側 面については、再版の序の中ですでに発表してあるが、もう一度独りで治癒できる病気を補うならば、次の通りである。すなわち、1.座骨神経 痛、2.老眼、3.近眼、4.アレルギー性鼻炎、5.副鼻腔炎、6.便秘、7.手術後に残った鈍痛、8.女性の閉経、9.不眠、 10.耳鳴りなどである。独りで治癒できる病例をさらに多く集めるため、本書を読まれて健康になった人にはその事実経過を提供してもらって、 後の人の参考の便宜を図りたいと考えている。
 仙学の研究には、明らかな道理を求めて正当な仙道経典を閲読することが必要である。自ら体験して努力した後、さらに品行方正なる先達の許を 訪れて、経典を手にとって教えを請い、間違いを正さねばならない。大体、過激でおかしな言葉を語り、房事を煽動し、金を掻き集め人を騙すよう な不法な教門には、足を向けないことである。このようにすれば、道を学んで成就しなかったとしても、君子の体面まで失うことはないであろう。
 生を求め、死を嫌うのは、人間の変わらぬ気持ちである。仙道を修行するものは、天地の間の正大で剛直な気を獲得することで病を退け、病が退 けられると自ずから寿命が延びるのである。寿命が延びた後は、生を求め己を修養する気持ちを起こし、家庭を顧みて、幸せな郷里を作り出さねば ならない。さもなくば、寿命が数百歳であったとしても、深山を尋ねひたすら静坐して、絶えずつまらない血肉の体、糞袋に執着し、いささかも人 の行いをしないことのどこが楽しかろう。

 中華民国72年1月

許進忠 台北市双園にて識す

 

 

次のページへ

築基参証の目次へ
仙学研究舎のホームページへ