築基参証 第一篇 築基の原理
第2章 鼎器
許進忠 撰述
虞陽子 査定
神坂雲太郎 訳
小周天の修練とは、風(呼吸)・火(元神)・薬(陽気)の三つで体の中において交互に進んでいく。呼吸・元神・陽気は体の内部で活動する
ので、仙学の観点から見て、身体は「鼎器」といわれる。
清浄法での鼎器とは、修行者自身の体を指していわれる。栽接法での鼎器は、その意味が比較的広く、内鼎と外鼎の区別があって、内鼎が修行者
自身を指し、外鼎が「同類彼家」を指していわれる。
竅とは、洞穴を意味する。身体には多くの竅があり、これは修行者の意識を集中する場所である。竅を守ることの意義は、逆に返るという仙学
でよく用いられる方法なのである(訳者注:
精を漏らし子供を作ることや一般の人生を送ることを順行といい、反対に仙道では精を漏らさず道へ回帰することを逆行という。ここで「逆に返
る」というのは、後者を指していると思われる)。人の心は通常外側へと向かい、肉体といつもうまくやっていくことができない。このため心は外
へ向かい、したがって月日が経つうちに肉体は次第に衰え、最後には肉体と精神が完全に分離して、それがその生命的な結び付きにまで至るのを免
れないのである。
竅を守るということには、身外と身内という区別がある。一般には、次のようにいわれている。身外を守るのは比較的弊害はないものの、結果が
出ないことがよくあり、かつその効果はとても始まるのが遅く、全く要領のよい人ですらとうていうまくいかず、一般の人はできるものではない。
身内を守るというのは、頭で考えると簡単そうで、効果がとても早くあらわれると想像しがちなため、一般の人は皆喜んでそれを行う。しかし、適
当な時間になってから竅を換えて守らねばならず、徹底的にある竅を守らなければ、竅を換えるときにもっと手間が掛かるだけである。
ここで、現在比較的よく知られているこの竅について、参考のため以下に列挙する。
以上の九つの大体よく知られている竅全てにおいては、意識をゆったりと自然に集中させてこそ、弊害が起きないのである。他に、竅を守るの は内であっても外であってもならないという主張もあるが、それはおおよそ「中」の一文字に最も気を付けなければならないということである。お もしろいことに、この点では身外を守るということと違いはあれど、さほどその成果は変わらない。
仙学には三元丹法というものがあり、これは天元、地元、人元である。三元とは、横は三本の仙の道で、縦が一本の仙の道ということができ、
それらすべては神仙へと通じる大道である。三元の分類は、人により異なる。ある人は、人元は小周天・大周天を指し、人を根本とする修練方法で
あるとしている。人元は、呂祖が伝授して以来、東西南北の四派に分かれた。東派は陸潜虚、西派は李涵虚、南派は張紫陽、北派は邱長春である。
この四派は外鼎を用いるかどうかで分けられてきたが、実際には清浄法と栽接法の二種類があるだけである。
清浄法と栽接法の区別があるため修行の方法が異なり、見解や方法がそれぞれ常に違うので、たがいにあげ足を取り合っている。実際にはこのよ
うな議論はすべて余計なことで、各人の修練にとってただ利益となることを把握して実行すればよいのであって、他人と議論する必要などないので
ある。
では、ここで清浄法と栽接法を比較してみよう。