築基参証 第二篇 健身静坐法の実践
第9章 静坐時、初めて陽気を巡らせること

許進忠     撰述
虞陽子     査定
神坂雲太郎    訳

 

第9章 静坐時、初めて陽気を巡らせること

 

  1. 静坐に熟達すると生理機能はだんだん強くなり、身体の内側の臍下丹田では、ある暖かい力が発生する。この暖かい力は通常元気といわ れ、仙学を修行する者は陽気という。
  2. 身体の中の臍下丹田で陽気を蓄積して、ある程度まで達すると、臍下丹田のあたりで振動が発生する。
  3. 振動が発生する前には、腹の中を揺れ動く陽気を感じ取ることができるのが普通である。この陽気は暖かかったり、熱く感じられ、人に よって異なる。
  4. 陽気が揺れ動いてしばらくすると、自然と真意にしたがって体内の固有の経絡を進んでいくことができる。陽気が通る経絡は最初が督脈 で、次が任脈であり、それ以降は再び同じ経絡、およびその他の各経絡である。
  5. 陽気を臍下丹田で発生させた後は、静坐する時はいつでも真意を臍下丹田に凝らすだけで、すぐにその一か所に陽気を集中させることがで きる。
  6. 陽気は真意にしたがって集中させられるということは、真意と陽気は相互的な作用によって発生するという証明である。この時点までに達 すると、陽気は次第に蓄積され、展竅開関に対しても効果がある。
  7. 陽気が臍下丹田でだんだん蓄積されてしばらくすると、もはや臍下丹田では収まり切れなくなって、あちこちに竅や経絡を探し求めて陽気 が再び振動し始める。上に突き上がると(展竅)心臓や肺を圧迫するので、そういう風には進みようがない。このため、陽関、谷道、尾閭と いった場所へと下降するのである。陽気が到達しようとする時の陽気の開関の前兆は、人によって痛かったり、痒かったり、熱かったりする が、まれにほとんど何も感じないという人もいる。
  8. 陽気が尾閭に達する時には、速度を加えて陽気が尾閭を通り抜けるため、この時真意により尾閭を(少し弱めに)観照し、陽気が真意によ る観照にしたがって、尾閭に集中できるようにする。
  9. 尾閭の陽気が真意によって観照されると、真意にしたがって集まり続け、それがある程度まで達すると、振動が発生する。これが、陽気が 尾閭を通り抜けようとする情景である。この時、真意を臍下丹田へ移動させて(少し強く)観照しなくてはならず、同時に真意で観照すること に合わせて呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘(訳者注: 一説には、文息とほぼ同義とする。柳華陽の『金仙証論』「危険説」では後天の気であり、神と炁、すなわち先天の気の不動の状態とする)をしなくてはならな い。陽気は真意によって観照され、また呼吸は吹嘘をすると、消えることなく尾閭を通過する。
  10. しかし、調理が悪かったり、陽気が不足しているために、陽気が尾閭まできていても通り抜けられないのを免れないことがある。この時、 決して無理に陽気を通り抜けさせてはならず、これまで通り尾閭に真意を移動させて(少し弱めに)観照することが必要である。陽気がある程 度にまで達すると、また振動が発生し、尾閭を通り抜けようとする時に真意を臍下丹田に移動して(少し強く)観照し、同時に真意によって観 照するのに合わせて、呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は、真意による観照と呼吸による吹嘘を経て尾閭 を通過する。
  11. 陽気が尾閭を通り抜けるのは、一回目でできるかもしれない。もし一回で通り抜けることができないなら、何度となく陽気を進め、前の方 法を遵守して修練に努めるさえすれば、陽気が通り抜ける日がついには訪れるのであり、思い煩ったり、がっかりする必要はない。
  12. 陽気が尾閭を通過してしまうと、この時夾脊の辺りが暖かく感じられるのが普通である。これは、正常な情景である。
  13. 陽気が尾閭を通過してしまうと、引き続いて上へと向かい、夾脊を通り抜けようとする。夾脊の場所は、脊椎骨の中段、腎臓と差し向かい の(腎臓から脊椎骨への距離が最も短い)所にある。
  14. 陽気が夾脊に達しようとする時は、陽気を加速して夾脊を通り抜けさせるために、真意で夾脊を(少し弱めに)観照する。真意で夾脊を観 照する時間は、停息(決して息を止めるのではなく、つまり呼吸するにあたって無心で、精妙で自然に任せるという意味)で三十六回(三十六 回息を吸い込むのを黙って数える)ぐらいである。真意による観照にしたがい、陽気を夾脊に集中させるのである。
  15. 夾脊の陽気が真意によって観照されると、真意にしたがって集まり続ける。それがある程度まで達すると、振動が発生する。これが、陽気 が夾脊を通り抜けようとする情景である。この時には、真意を臍下丹田へ移動させて(少し強く)観照しなくてはならず、同時に真意で観照す ることに合わせて呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は真意によって観照され、また呼吸は吹嘘をすること により、消えてしまうことなく夾脊を通過する。
  16. しかし、調理が悪かったり、陽気が不足しているために、陽気が夾脊まできていても通り抜けられないのを免れないことがある。この時、 決して無理に陽気を通り抜けさせてはならず、これまで通り夾脊に真意を移動させて(少し弱めに)観照することが必要である。陽気がある程 度にまで達すると、また振動が発生し、夾脊を通り抜けようとする時に真意を臍下丹田に移動して(少し強く)観照し、同時に真意によって観 照するのに合わせて、呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は、真意による観照と呼吸による吹嘘を経て夾脊 を通過する。
  17. 陽気が夾脊を通り抜けるのは、一回目でできるかもしれない。もし一回で通り抜けることができないなら、何度となく陽気を進めて、前の 方法を遵守して修練に努めるさえすれば、陽気が通り抜ける日がついには訪れるのであり、思い煩ったり、がっかりする必要はない。
  18. 陽気が夾脊を通過してしまうと、この時玉枕の辺りが暖かく感じられるのが普通である。これは、正常な情景である。
  19. 陽気が夾脊を通過してしまうと、引き続いて上へと向かい、玉枕を通り抜けようとする。玉枕の場所は、大脳の後方の下あたりである。
  20. 陽気が玉枕に達しようとする時は、陽気を加速して尾閭を通り抜けさせるために、真意により玉枕を(少し弱めに)観照する。真意による 観照にしたがい、陽気を玉枕に集中させるのである。
  21. 玉枕の陽気が真意によって観照されると、真意にしたがって集まり続ける。それがある程度まで達すると、振動が発生する。これは、陽気 が玉枕を通り抜けようとする情景である。この時には、真意を臍下丹田へ移動させて(少し強く)観照しなくてはならず、同時に真意で観照す ることに合わせて呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は真意によって観照され、また呼吸は吹嘘をすること により、消えてしまうことなく玉枕を通過する。
  22. しかし、調理が悪かったり、陽気が不足しているために、陽気が玉枕まできていても通り抜けられないのを免れないことがある。この時、 決して無理に陽気を通り抜けさせてはならず、これまで通り玉枕に真意を移動させて(少し弱めに)観照することが必要である。陽気がある程 度にまで達すると、また振動が発生し、玉枕を通り抜けようとする時に真意を臍下丹田に移動して(少し強く)観照し、同時に真意によって観 照するのに合わせて、呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は、真意による観照と呼吸による吹嘘を経て玉枕 を通過する。
  23. 陽気が玉枕を通り抜けるのは、一回目でできるかもしれない。もし一回で通り抜けることができないなら、何度となく陽気を進め、前の方 法を遵守して修練に努めさえすれば、陽気が通り抜ける日がついには訪れるのであり、思い煩ったり、がっかりする必要はない。
  24. 陽気が玉枕を通過してしまうと、この時泥丸宮の辺りが爽やかに感じられるのが普通である。これは、正常な情景である。
  25. 陽気が玉枕を通過してしまうと、引き続き上へ向かい、泥丸宮を通り抜けようとする。泥丸宮は、また上丹田ともいい、頭部の中央に位置 する。
  26. 陽気が泥丸宮
    に達しようとする時は、陽気を加速して泥丸宮を通り抜けさせるために、真意でもって泥丸宮を(少し弱めに)観照する。真意で泥丸宮を観照 する時間は、停息で三十六回(三十六回息を吸い込むのを黙って数える)ぐらいである。真意による観照にしたがい、陽気を泥丸宮に集中させ るのである。
  27. 泥丸宮の陽気が真意によって観照されると、真意にしたがって集まり続ける。それがある程度まで達すると、振動が発生する。これが、陽 気が泥丸宮を通り抜けようとする情景である。この時には、真意を臍下丹田へ移動させて(少し強く)観照しなくてはならず、同時に真意で観 照することに合わせて呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は真意によって観照され、また呼吸は吹嘘をする ことにより、消えてしまうことなく泥丸宮を通過する。
  28. しかし、調理が悪かったり、陽気が不足しているために、陽気が泥丸宮まできていても通り抜けられないのを免れないことがある。この 時、決して無理に陽気を通り抜けさせてはならず、これまで通り泥丸宮に真意を移動させて(少し弱めに)観照することが必要である。陽気が ある程度にまで達すると、また振動が発生し、泥丸宮を通り抜けようとする時に真意を臍下丹田に移動して(少し強く)観照し、同時に真意に よって観照するのに合わせて、呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は、真意による観照と呼吸による吹嘘を 経て泥丸宮を通過する。
  29. 陽気が泥丸宮を通り抜けるのは、一回目でできるかもしれない。もし一回で通り抜けることができないなら、何度となく陽気を進め、ただ 前の方法を遵守して修練に努めさえすれば、陽気が通り抜ける日がついには訪れるのであり、思い煩ったり、がっかりする必要はない。
  30. 陽気が泥丸宮を通過してしまうと、この時印堂の辺りが爽やかに感じられるのが普通である。これは、正常な情景である。
  31. 陽気が泥丸宮を通過してしまうと、引き続き下へ向かい、印堂を通り抜けようとする。印堂の位置は、両眉の間のあたりである。
  32. 陽気が印堂に達しようとする時は、陽気を加速して印堂を通り抜けさせるため、に、真意により印堂を(少し弱めに)観照し、真意による 観照にしたがい陽気を印堂に集中させる。
  33. 印堂の陽気が真意によって観照されると、真意にしたがって集まり続ける。それがある程度まで達すると、振動が発生する。これが、陽気 が印堂を通り抜けようとする情景である。この時には、真意を臍下丹田へ移動させて(少し強く)観照しなくてはならず、同時に真意で観照す ることに合わせて呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は真意によって観照され、また呼吸は吹嘘をすること により、消えてしまうことなく印堂を通過して、重楼・絳宮へと下っていく。
  34. しかし、調理が悪かったり、陽気が不足しているために、陽気が印堂まできていても通り抜けられないのを免れないことがある。この時、 決して無理に陽気を通り抜けさせてはならず、これまで通り印堂に真意を移動させて(少し弱めに)観照することが必要である。陽気がある程 度にまで達すると、また振動が発生し、印堂を通り抜けようとする時に真意を臍下丹田に移動して(少し強く)観照し、同時に真意によって観 照するのに合わせて、呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は、真意による観照と呼吸による吹嘘を経て印堂 を通過し、重楼・絳宮へと下っていく。
  35. 陽気が印堂を通り抜けるのは、一回目でできるかもしれない。もし一回で通り抜けることができなければ、何度となく陽気を進めてみて、 ただ前の方法を遵守して修練に努めるなら、陽気が通り抜ける日がついには訪れるのであり、思い煩ったり、がっかりする必要はないのであ る。
  36. 陽気が印堂を通過してしまうと、この時絳宮の辺りが爽やかに感じられるのが普通である。これは、正常な情景である。
  37. 陽気が印堂を通過してしまうと、引き続き下へ向かい、絳宮を通り抜けようとする。絳宮の位置は、臍の上四寸二分の場所である。
  38. 陽気が絳宮に達しようとする時は、陽気を加速して絳宮を通り抜けさせるために、真意で絳宮を(少し弱めに)観照する。真意で絳宮を観 照する時間は、停息で二十四回(二十四回息を吸い込むのを黙って数える)ぐらいである。真意による観照にしたがい、陽気を絳宮に集中させ るのである。
  39. 絳宮の陽気が真意によって観照されると、真意にしたがって集まり続ける。それがある程度にまで達すると、振動が発生する。これが、陽 気が絳宮を通り抜けようとする情景である。この時、真意を臍下丹田へ移動させて(少し強く)観照しなくてはならず、同時に真意で観照する ことに合わせて呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は真意によって観照され、また呼吸は吹嘘をすることに より、消えてしまうことなく絳宮を通過する。
  40. しかし、調理が悪かったり、陽気が不足しているために、陽気が絳宮まできていても通り抜けられないのを免れないことがある。この時、 決して無理に陽気を通り抜けさせてはならず、これまで通り絳宮に真意を移動させて(少し弱めに)観照することが必要である。陽気がある程 度にまで達すると、また振動が発生し、絳宮を通り抜けようとする時に真意を臍下丹田に移動して(少し強く)観照し、同時に真意によって観 照するのに合わせて、呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は、真意による観照と呼吸による吹嘘を経て絳宮 を通過する。
  41. 陽気が絳宮を通り抜けるのは、一回目でできるかもしれない。もし一回で通り抜けることができないなら、何度となく陽気を進め、ただ前 の方法を遵守して修練に努めさえすれば、陽気が通り抜ける日がついには訪れるのであり、思い煩ったり、がっかりする必要はない。
  42. 陽気が絳宮を通過してしまうと、この時臍下丹田の辺りが爽やかに感じられるのが普通である。これは、正常な情景である。
  43. 陽気が絳宮を通過してしまうと、引き続き下へ向かい、臍下丹田へ降りようとする。
  44. 陽気が臍下丹田へ降りようとする時、速度を加えて陽気が臍下丹田へ降りさせるためには、この時真意でもって臍下丹田を(少し強く)観 照しなくてはならず、同時に真意で観照することに合わせて呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は真意に よって観照され、また呼吸は吹嘘をすることにより、消えてしまうことなく臍下丹田へと降りていく。
  45. しかし、調理が悪かったり、陽気が不足しているために、陽気が臍下丹田へ降りていけないのを免れないことがある。この時、決して無理 に陽気を下ろしてはならず、これまで通り真意でもって臍下丹田を(少し弱めに)観照することが必要である。陽気がある程度にまで達する と、また振動が発生し、臍下丹田へと下っていこうとする時に真意を臍下丹田に移動して(少し強く)観照し、同時に真意によって観照するの に合わせて呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。陽気は、真意による観照と呼吸による吹嘘を経て臍下丹田へ降り ていくことができる。
  46. 陽気を臍下丹田へ下ろすのは、一回目でできるかもしれない。もし一回で下ろすことができないなら、何度となく陽気を進め、ただ前の方 法を遵守して修練に努めさえすれば、陽気が下っていく日がついには訪れるのであり、思い煩ったり、がっかりする必要はない。
  47. 陽気が臍下丹田に降りた後は、続いて真意を使って臍下丹田で(少し強く)観照しなくてはならず、真意によって観照するのに合わせて同 時に呼吸も臍下丹田において(少し強く)吹嘘をしなくてはならない。臍下丹田から出発した陽気を完全に臍下丹田まで回帰させ、集中させる のである。
  48. 陽気が臍下丹田に回帰した後は、引き続いて真意でもって臍下丹田で(少し弱めに)観照しなくてはならない。臍下丹田において真意で観 照する時間は、停息で五、六十回ぐらいである。再び陽気を急いで昇降するしてはならず、陽気を一旦本当にしっかり休ませて、もう一度内境 を混沌杳冥の中へと帰すのである。
  49. 陽気が十二時位を初めて巡るその過程は、大体このようなものである。陽気の運行とは、真意と呼吸を組み合わせて進めていく以外の何者 でもない。この原則を活用することができさえすれば、きっと意のままに陽気を巡らせることを成し遂げられるだろう。
     以上述べてきた、気を巡らせた時の情景はある一方法の過程を解説したものであり、別の方法による情景と完全には同じでない箇所もある が、拘泥し過ぎてはならない。
  50. 真意で観照することについて、前に「少し弱めに」・「少し強く」という注意があった。この違いはとても曖昧で、真意と呼吸を組み合わ せる修練ができるようになることを主とするぐらいにし、絶対に固執してはいけない。呼吸についても同様である。
  51. 陽気の運行は、十二時位の他に手足を巡る現象もある。この現象は陽気を巡らせる時位に従い、それと同時、また違う頃に起こり、「水到 りて渠を成す」といった不思議さを感じさせるが、いちいち述べないでおく。
  52. 坤道の静坐(訳者注: 女性向けの静坐法のこと)は生理の期間中はずっとに心を落ち着かせるだけで、気が散らないようにすればよいのであって、竅で温養する必要はなく、陽気を巡 らせてはならない。その期間の他は、乾道の静坐(訳者注: 男性向けの静坐法のこと)とおおよそ同じである。

 

 

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