東横線のもっとも長い「3日」

3日目: 乗り入れ

新旧混在

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Y500系第1編成には記念のヘッドマークを掲出 (妙蓮寺-白楽)
[Nikon D100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO 200]

そして2月1日。横浜〜元町・中華街間の開業、横浜高速Y500系も満を持して営業開始となった。東急5000系(新)と同一デザインで、ブルーをイメージカラー、波にも見立てた黄色い「M」の文字をアクセントに使った車両は見た目も際立ち、新車独特の「香り」は通過するだけでも感じられる。この車両を目当てにやり過ごす乗客も多かったとか。

一方で東急車は最古参の部類にあたる8007・08など一次車も特急・急行の運用サイクルに入り、いぜん活躍を続けている。前日に乗ったが、更新を受けていない室内はさすがに古さを隠せない (車齢だけで考えれば淘汰が続くJR103系クラス)。2次車以降にくらべただでさえ奥行きの狭い座席は、クッションもかなりへたっていた。Y500系などの新車や、9000系のリニューアル車両に比べると明らかに見劣りするし、そろそろ交替の時期ではないかと思われる。事実、東急では旧車(=8000系)の5000系タイプへの取り替えを明らかにしており、開業には若干遅れたがまもなく東横線にも登場する。

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クハ8000 デハ8590
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8000系非更新車に残るライセンスプレート

その8000系、もともと地下鉄への乗り入れが可能な「A-A基準」に沿って1969年に初登場した車両だ。新玉川・田園都市線にも投入するはずが、編成両数と電動車比率などの関係で改良型の8500形になった経緯がある(ただし同じ8000系列で混結は可能、クハを中間にはさんで使用したこともある)。35年(!) を経て、ようやくその本領が発揮された。一方、もう地上線専用と割り切って作った8090形がMM線乗り入れに不適となり、先頭車をデハ8590形に変えるなどの対応が必要になった。MM線の乗り入れ相手が当初計画では横浜線だったからだが、複雑なことだ。



みなとみらい線各駅点描

「MM線混雑のため遅れている」とアナウンスが出だした午後、各停に乗って開業区間へ。横浜からどっと乗客も増える。

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間柱のない構造と暗めの色づかいがすっきりした空間
(新高島)
二段構えのコンコース (みなとみらい)

全線が地下だから車窓も何も無い。ランドマークタワーはみなとみらいなどで降りて地上に出ないと拝めなくなった。そのかわり、というわけでもないと思うが、駅ごとに意匠が凝らしてあり、ホームやコンコースには吹き抜けなども多用される。細かい所では、馬車道と元町・中華街は「隣駅から」駅名の書体を変えてあることに気づく。「駅名」だけというのもちょっと遠慮ぎみだが。

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レンガと電灯色の照明がレトロ感を演出
きょうは特急が臨時停車 (馬車道)
コンコースに吹き抜けのドーム
(馬車道)

終点の元町・中華街は折り返しの乗降客、駅名通り元町や中華街へ向かう人、帰る人でホーム・コンコース・出入口通路ともごったがえしていた。そんな構内に、なぜかどこにもつながっていないスペースが存在する。白々と照明の輝く広間からはコンコースを見下ろせ、雑踏のなかにあって異質の「空白」だった。

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雑踏のプラットホーム White space

そして……

もう夕暮れ時。新高島から近くの高島町へ歩いた。2日前まで賑わっていた狭いホームも、ひっそりと静まり返っていた。駅施設も入口から閉鎖され、警備員の監視下に置かれている。

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根岸線がただ過ぎるのみ 「時」が止まった
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ありがとう東横線

さらに桜木町まで歩く。開業当初 高島町〜桜木町間は単線で、腹付けで線増した部分は歩道に張り出し、高架橋の下は「落書きアート」で有名になった。この線路跡地は横浜市が遊歩道に整備するとか。

すっかり陽が落ちて、たどりついた桜木町の駅ホームに灯はともらず、周りが賑わっているだけにいっそう深く沈んで見えた。

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漆黒に沈みゆく