どのあたりを走っているのだろう。
窓のカーテンを開けた。山中で漆黒の闇を想像したのだが、木々の形もはっきりわかるほど。こんなにも明るいのだとあらためて感じさせる、満月が夜空高く輝いていた。
転居があり、そのために五月連休は出かけることができず、加えてこの数週間は583系の積極的な首都圏進出を追いかけていた、ということで最近遠出ができなかった。
いいかげんどこかへ行きたいものだ、と思い立ち、もう1年半以上ほったらかしにしているJR西日本・北陸本線の線路移設(金沢〜森本)と、この近辺に未乗のまま残存する私鉄各線―その大半は第三セクター―の探訪に出かることにし、金曜夜の寝台特急〔北陸〕に乗り込んだ。明けて2004年7月3日、曇り時々晴れ。
鉱山の賑わいは遠く - 神岡鉄道 -
神岡線の始発・猪谷は山間の静かな駅 |
上野 23:03-(4011〜4001:北陸)-5:33 富山 6:08-(840D)-6:55 猪谷 7:10-(201D)-7:41 奥飛騨温泉口 8:10-(204D)-8:40 猪谷 9:00-(853D)-9:44 富山
神岡(かみおか)鉄道は高山本線の猪谷(いのたに)を起点とし、奥飛騨温泉口までを結ぶ19.9kmの鉄道。1984年に旧国鉄神岡線を転換した第三セクター鉄道で、三陸鉄道とともに特定地方交通線転換のテストケースとして注目を集めた。終点の神岡町中心部を除くと沿線は人口希薄だが、神岡鉱山で産出する鉱石(亜鉛)と、自動車では困難な濃硫酸の輸送のため、鉄道の存続が選択された。鉱石輸送は鉱山の閉山もあり2001年に終了している。ノーベル賞でも有名になった「カミオカンデ」はこの鉱山跡。
富山発の一番列車、キハ120に乗り込んで猪谷へ。朝の早い時間にしては意外に多い乗客は途中で次第に降り、終点まで乗り通した人も大半は高山方面へ乗り継ぐようだ。
猪谷は、分割民営化でJR東海と西日本の境界駅となり、私事だがJR東海完乗達成の場所にもなった。故・宮脇俊三氏が神岡線から富山へ戻るところで列車を乗り間違え時間を余した駅(「時刻表2万キロ」より)でもあり、最近では「列島縦断 鉄道12000kmの旅」にも取り上げられたので、ご覧になった方も多かろう。確かに駅のほかにはめぼしい施設も見当たらず、いまは貨車の入れ替えも行われていない構内も、駅前もひっそりと静まり返っている。
神岡線の列車はすでに到着していた。旅客車はKM100,KM150形と称し国鉄キハ20の部品流用、「おくひだ号」を愛称に持つ。真ん中に貫通扉でなく運転台をデンと据えた先頭部が当時の鉄道車両としてはめずらしかった。もとより単行程度の旅客しか想定されていなかったのだ。20年経過してさすがに古びてはいるが、種車が国鉄車だけにレールバスとは段違いの強健さを感じる。
車内の一角には、通路を挟んでそれぞれコの字にソファが囲む「いろり」がある。これも「国鉄車両では考えられない」と話題になった。畳敷き対応やカラオケ設備、はてはエンジンを覗き込める車など、一風変わった車がこれ以後国鉄・JR・三セク問わず多数登場する、そのはしりだったといえる。もちろん裸火を車内で使うことはできないので、「火種」はオレンジ色のランプ。
他の区分もコの字型に座席が並べてあった。これは明らかにクロスシートのボックス2つだったところだ。ゆとりを持たせた、と言っていいかもしれないが、それだけ乗客が少なくなっている、ということでもある。
タンク車の向こうに鉱山 (神岡鉱山前) | 潜水艦? (奥飛騨温泉口) |
JR東海・高山からの列車も受けて発車、神通(じんづう)川に沿って谷間に分け入る。開通は比較的新しく1966年、山腹を長大トンネルで貫通して神岡町の中心に近づく。左手に精製工場も見える神岡鉱山前でタブレットを交換……していたことは帰りになって気づいた。30分で終点奥飛騨温泉口に到着、本社機能が移転してきている。脇には観光潜水艦のごとく窓をたくさん開けたあやしげなタンク車が並んでおり、トロッコ列車の類か。
猪谷にもどると、駅前の一軒に見覚えのある暖簾がかかっていた。
万葉の里のちいさな電車 - 万葉線 -
富山 10:10-(4020M:サンダーバード20号)-10:22 高岡 / 高岡駅前 10:30-11:11 越ノ潟 11:15-11:26 庄川口 11:56-12:16 高岡駅前
JR高岡駅を後に出発する路面電車 |
高岡市と新湊(しんみなと)市を結ぶ万葉線はもと加越能(かえつのう))鉄道で、高岡を中心に路線を展開していた。
ローカル私鉄の例に漏れず、縮小を続けてかろうじて残った現路線も会社が経営撤退を表明。その受け皿として第三セクターの万葉線株式会社が設立され、2002年に営業を譲り受けた。LRT (Light Rail Transit) として生き残りを図るべく、運賃値下げなどの施策を行うほか、2003年には新鋭の低床車1編成を導入している。
富山からわずか10分あまりだがどうしても「一本前」に出たくて特急に乗り込み、降り立った高岡駅前に越ノ潟(こしのかた)ゆき路面電車がやってきた。つぎの普通列車ではぎりぎり間に合わず、15分間隔の2本に1本は途中の中新湊どまりだからだ。サービスレベルで言えば明らかに遅れている非冷房車だが、それがなんとなく嬉しくもあり、開いている窓をもっと上げた。吊り掛け駆動の豪快なモーター音とともに走り出せば、風が吹き込んでまあまあ涼しい。
アーケードの連なる中心街へ (高岡駅前-片原町) [Nikon D100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D] |
こちらでは雁木というべきか、アーケードの連なる商店街を抜ける。初めて来る場所なのに見覚えがあるのは、ここ高岡で8月に開かれる七夕の、その飾りを背景にしたアングルがお馴染みだからだった。市街中心部の一部区間が複線であるほかは単線で、ほぼパターン化されたダイヤのため一定間隔で対向列車と交換する。
中心部から離れるにつれて乗客も通行量も減り、電車そのものがうるさいからなんだろうが、ほかの物音が聞こえなくなって、「真っ白」という言葉を思い起こさせる。終点・越ノ潟は富山新港のすぐ脇で、目の前から発着する県営渡船(無料)に乗って対岸へ渡ると富山駅へのバス路線がある。かつて線路は港を渡っており、富山側から延びていた富山地方鉄道の射水(いみず)線と接続していた。現在の路線も、もとは富山地方鉄道から譲渡された区間である。