東海北陸私鉄探訪 〜 part-2 2004夏 〜

(LRT+近郊電車)÷2 - 福井鉄道 -


福井駅前 9:40-10:28 武生新 / 武生 11:27-(6M:しらさぎ6号)-13:15 名古屋

えちぜん鉄道とは反対側、福井市内の田原町(たわらまち)(えちぜん三国芦原線に接続)から武生新(たけふしん)に間を結んでいるのが福井鉄道。JR線と並行しているが駅間は長く、近距離輸送はこちらが請け負っている感じだ。

福井市内の区間は道路上を走っている。「軌道」の路面電車が専用軌道などで郊外に足を伸ばす例はいくつかある (万葉線も途中の六渡寺(ろくどじ)から先は鉄道) が、「鉄道」の大型車両が都市の路面に乗り入れるケースはもともと希少で、路上の電停にも停まるのは今ではここだけになった。車両には軌道区間のための可動式ステップが取り付けられている。あとで武生新に休車中の路面電車タイプの車両を見たので、以前は福井市内だけの運行もあったようだ。

市の中心部、市役所前から福井駅前まで一駅0.5kmの分岐線がある。田原町側から分岐する形態なので、武生新発の福井駅前ゆきはスイッチバックして入ってくる。田原町発の武生新ゆきの運行はもっと変わっていて、市役所前から福井駅前へいったん入り、市役所前まで引き返してから武生方面へ向かう。

福井駅前は「駅前」といっても、JR駅正面とはすこし離れた位置にあって、すぐ脇にはその正面に向かう大通りがある。廃止請願まで出る中、一時期トランジットモールの実験として自動車の進入を禁止したが、評判はよくなかったようだ。諸外国では実績の多いトランジットモールは電車の運行を円滑にするほか、都心部の駐車・渋滞・排気ガス対策にもなるのだが、20分に一本入って出て行くだけでは、メリットよりデメリットのほうが多いだろうか。


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道路の真ん中に電車が堂々 (福井駅前) 路面区間用のステップも大きい

えちぜん福井から地下道を通って反対側へ。道路上でぷっつりと途切れている線路はいかにも路面電車らしい。電停は屋根をつけたりするなどささやかながら改装され、現在進行中の再開発では完成予想イラストにもきちんと線路が載っているところをみると、すぐに廃止するというわけでもないようだ。そろりそろりと進入してきたのはもと静岡鉄道の車両で、ステップを登るとクロスシートが並んでいた。

市役所前で折り返し。田原町から福井駅前までは昨晩通ってきた。市内線はゆっくりと歩み、途中駅は低くて狭いホームでまさに「電停」。黄色い矢印に従って左折すると鉄軌分界点、つぎの福井新(ふくいしん)からは信号も鉄道形態となりスピードを取り戻す。えちぜん鉄道ともども交換可能駅ではポイント部にスノーシェッドが設置され、ここがまぎれもなく「北陸」であることを思い起こさせる。雪国の夏は、しかし暑い。

武生から〔しらさぎ〕で一気に名古屋へ。15分の乗り換え時間内にきしめんをかきこみ、〔セントラルライナー〕乗車整理券売機へ駆けつけた。


懐古と近代化の間に - 明知鉄道 -


名古屋 13:30-(1709M:セントラルライナー9号)-14:22 恵那 14:35-(13D)-15:25 明智 15:45-(18D)-16:35 恵那 16:50-(2730M)-17:27 高蔵寺
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勾配票の「33」が道の険しさを語る(飯沼-東野:後部から撮影)

木曽路も近い恵那(えな)から山を越えて明智(あけち)へ至る明知鉄道・明知線は、1985年に旧国鉄の明知線(特定地交線)を転換した路線。転換と同時に終点駅名は明から町名と同じ明に改称されている。なぜ社名・線名が「知」のままなのかはちょっと不明。中央本線をはさんで反対側には名鉄(広見線)の明智駅もあり、どちらも明智光秀にゆかりのある地なのだという。

中央本線とは完全に線路が切り離されている、始発駅の恵那を出たとたんに33パーミルの勾配が待ち構え、それが峠まで延々と続く。かようにここは急勾配の続く路線として知られており、特に途中の飯沼・野志(のし)はそれぞれ33・30パーミルの勾配上に新規開業した「日本一の勾配駅」となっている。国鉄型の気動車にもしんどい道だったろうが、その昔はC12タンクSLの牽く貨物列車も走っていたそうだ。


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開業当初はレールバス(抑速ブレーキつき) を使用していたが現在では「軽快形」と呼ばれる鉄道仕様の車となり、旧車は駅などに色褪せた姿で置かれている。レールバスはバスの構体を流用したことから耐用年数は10年強と短く、初期の三セクレールバスの大半はこのように鉄道形に置き換わった。コストダウンの代償がここに返ってきたといえ、輸送量の減少=減収になっている第三セクター各社の懐を厳しくする状況という。

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本屋脇には信号・転轍てこが残る
(明智)

最近までスタフ・通票(タブレット)閉塞に腕木式信号機が残っていたことでも有名な路線だったが、2004年3月に色灯式信号機使用の特殊自動閉塞に切り替えられた。腕木式信号機は先立ってJR東海・名松(めいしょう)線の家城(いえき)で2003年11月に色灯化(通票・スタフ閉塞は存続)、JR北海道・石勝線の清水沢でも2004年3月に閉塞ごと廃止(特殊自動閉塞化)され、JRで腕木式信号が現役なのは八戸線だけ、タブレットまで広げてもJR東日本の3路線を残すのみとなった。八戸線にしても2004年度計画においてCTC化が明らかにされており(2004年10月改正で一部駅の信号取扱を廃止したとのこと)、その終焉は確実に近づいている。

きっぷは常備券――硬券の手売りが続けられており、入場券も一緒に買い求めて折り返す。駅本屋を覗くと、もう使われることのないタブレット授受器の前に電子制御システム一式が鎮座していた。


のびざかり。- 愛知環状鉄道 -


高蔵寺 17:36-(264)-18:44 岡崎 18:53-(5122F)-19:12 豊橋 19:35-(478A:こだま478号)-21:10 小田原 21:21-(366M)-22:22 川崎

東海道線の岡崎を起点に新豊田(しんとよだ)までのkmを結んでいた岡多線。第三次の特定地交線となったため、JR東海に暫定継承された後1988年に転換、高蔵寺(こうぞうじ)へ延伸した。多は多治見(たじみ)のことで、瀬戸市〜高蔵寺間は瀬戸線として建設。その一部は現在城北線となっている。

車両には国鉄101系の足回りを使用した100〜300形を使用していたが、輸送力の増強などでJR東海313系と同性能の2100形を導入、余剰車を前述のえちぜん鉄道へ譲渡している。JRとの共同使用駅だが愛環線のきっぷは持っていないので、一旦改札を出てすぐに舞い戻る。到着した折り返し岡崎ゆきは2100形で、セミクロスシート仕様。

高蔵寺を発車すると、左側に中央線名古屋方面からの連絡線が整備中だった。2005年に愛知県の東部丘陵で愛知万博=「愛・地球博」が開催され、愛環線はJRからの乗り入れで最寄り駅・八草(やくさ)―期間中は万博八草に改称―までのアクセスを受け持つことになっている。


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新規開業区間の沿線では、まだ空き地も多く見えた。全線単線だが路盤は複線規格で整備されており、一部区間では複線化もはじまっている。313系仕様の車両やこの連絡線の規模を見る限り、乗り入れは恒久的に続ける気ではなかろうか。となればまだ乗客数が伸びる可能性もある。

瀬戸市から新豊田、トヨタのお膝元三河豊田を過ぎるとさすがに沿線の宅地化も進んでいる。近くの北野桝塚(きたのますづか)はその自動車の鉄道積み出し基地だったところ。岡多線は当初貨物専用線だったのだ。あの「ク」(車運車)という区分の貨車もいつのまにか消えてしまったな。ピギーバックも結局普及せずに終わったし……。

全一時間で岡崎に到着、こちらも共同使用。北側から進入する電車は東海道本線の上り線をくぐって上り線へ合流、そして北側の0番線に到着した。妙な乗り入れのしかただが、国鉄時代の名残と見受けられる。こちらも東海道本線を支障せずに0番線に入れるよう連絡線の整備中だった。

ここでのりかえ中になにげなく車両を見ていると

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なんですか、このたった一文字への入れこみようは……「愛」いや「受」を狙っているんでしょうか?