ごみにまみれて '99/03

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●Oh! It is my last day. (99/03/31)

 本日締め切りの論文も仕上がり、最終日の今日は机の中にあるコピーやメモをひとつひとつ手に取り、6年間過ごした研究室の思い出をかみしめながら荷造りをしていく。そして最後にお世話になった先生にお礼の挨拶をして、ひっそりと門を出る。・・・・そんな満ち足りた最後の日を夢見ていたのですが、なかなか現実は厳しいようです(^^;)。

 実際は、論文を仕上げようと、おとといから大学に泊まり込みで作業をしていましたが、仕上がらないのは明らかでした。昨日は完全な徹夜で、頭がほとんど回っていないのですが、逆に頭が回っていないから細かいことにこだわらずに論文が進んでいくような気もします。きっと後で読み直したらとんでもない事を書いているんだろうな、と寝ぼけ眼で思いながら、でもとりあえず今日までに先生に見せなくてはと、量だけ仕上げるつもりで必死に文字を書いていました。

 そんな状態でタイムリミット、文字としてはとりあえず結論に達することができたという論文二報の草稿を先生方に手渡し、これからしっかり論文を仕上げるようにと励まされ、とうとう未完成のまま大学を出ることになってしまいました。まあドクターに上がった段階から、たぶん三年では書けないだろうなと感じていたのですが、やはり少しくらい成果をあげておきたかったですね。

 机の周りの片づけもそれから。とりあえず段ボールをかきあつめてきて突っ込むだけ。大量の段ボール箱ができあがりました。確かに机の周りもきれいになりましたが、むしろ寂しくなったって感じでしょうか。すでに研究室を去った人も三人ほどおり、新しい人がやってくるまでちょっと寂しい研究室になりそうです。

 研究室からお引っ越しはトラックと思いきや、真島さんからリヤカーを借り、下宿までの片道一時間弱のみちのりを、山積みの荷物を積んだリヤカーで歩いていきました。まあ「ひのでやエコライフ研究所」の出発としてはリヤカーは非常にぴったり来る感じがしますね。ただ、さすがに徹夜明けのリヤカーはしんどかったです(^^;)。下宿には段ボールの山。さてこれをどうひもといていくか、先は長そうです。


●散歩 (99/03/28)

 春の陽気に誘われて、ちょっと散歩にでかけてきました。久しぶりに山歩きをしたいなと、ふと思ってしまった次第です。ちなみに、論文の締め切りが迫った今頃に散歩に出かけることを、世の中では「現実逃避」と呼んでいるようです。

 京都は東と西と北が山で囲まれているので、どちらに向かってもいいのですが、なんとなく南の方向に自転車が向いており、仕方なく自転車の行くままに従うことにしました。祇園のあたりで信号機につかまり、自然と左にハンドルを切ったかと思うと、行き止まりでもと来た道を循環していたりと、なるほどこれが「行き当たりばったり」ということかと感動しながら走っていきました。京都の東山は面白いもので、一番北にある比叡山延暦寺あたりから伏見桃山までずっと山道が通っていて、どこを歩いても面白いらしいです。ただ距離も大変なもので、歩いたらまる一日はかかるほど続いています。お盆の時の五山の送り火で有名な大文字山や、八坂神社・円山公園の裏山(将軍塚)など、いくつかのポイントには登ったことはあるのですが、なかなか景色もよく落ち着いたいいところです。JR線より南のほうは山に登ったことがなかったので、ちょっと登ってみようと進路を左に変え、適当な坂道を上っていきました。

 登り始めたところは、京都駅の南東にある東福寺の裏手あたりにある泉涌(せんにゅう)寺というお寺です。泉涌寺を見るつもりはなく、途中まで坂道を登ったところで「左:悲田院」という看板があり細い道が続いていたので、ここで自転車を置き、歩いていくことにしました。山道には遠かったのですが、幸い道は続いていて静かな住宅街と高校の裏山らしきところを抜け、ようやく目的のものを見つけました「東山トレイルコース」の看板を。このコースを外れなければ、きっと面白いものがたくさんみつけられるのでしょう。

 しかしいきなりそこで、にわか雨。「春雨じゃ、濡れていこうか」とも思ったのですが、さすがに冬の雨で風邪をひきそうだったので、雨宿りをしていくことにしました。ちょっと山道に入ったあたりには雨宿りにちょうどいい木が立っており、ぼうっと立ちながら降る雨を音に聞き入りながら眺めていました。大学の研究室は4階にあり、下宿も2階ですし、なかなか雨の降る音って落ち着いて聞くことがないものですが、実にいいものですね。茶色にしきつめられた一面の落ち葉に、小太鼓の大合唱のように気持ちよく響きます。一方で林の雨の音は、それにくらべたらパチンパチンと怖いくらい大きな音です。風が吹くたびに大粒のしずくが束になって落ちてきて、びっくりするくらいです。そういえば「となりのトトロ」にもそんな場面がでてきましたね。いい音です。ふと合唱団でよく歌った大好きな歌をくちずさんでいました。

  雨の音が聞こえる 雨が降っていたのだ
  あの音のようにそっと 世のために働いていよう
  雨が上がるように 静かに死んでゆこう
      八木重吉作詞 多田武彦作曲 組曲「雨」第六曲 雨

 友達が死ぬたびに、送る歌としてひとりで口ずさんだものです。なんて謙虚な人生なんでしょうかね。降っていたかどうか気がつかないような雨、そんな雨みたいに、そっと世のために働くんですね。かたじけないって遠慮しながらでしょうか。そして雨があがっていき、周りではさて活動を始めようかという雰囲気に包まれている中で、それを喜びながら静かに死んでいこうというんでしょうね。私はそんな境地に達することができるかわかりませんが、そうありたいものです。

 不思議なもので、ちょうど曲を全部歌い終わった時に、雨もあがってきました。しばらく余韻を楽しんだあと、自分が生きていることを確認しました。さあ雨があがった、出発しようか。

 散歩の面白いところは寄り道です。幸い東山トレイルコースは非常に不親切な標識しか出していないので、いろいろ寄り道をすることができました。街道からの横道の奥に五瀧大神という名前のかかった鳥居がひっそりとあり、つい気になって挨拶していくことにしました。ふつうの小さな神社かなと思ったのですが、鳥居をくぐると、ご神体である岩が何十カ所にも祭られていました。古いものは大正時代の年号が彫られていました。下には谷川が流れており、そこまで降りる途中一面にも祭られており、一番下には修行をするためのものでしょう、岩場が整備され石の樋を伝って瀧が作られていました。瀧の近くまで降りてみたのですが、谷底に作られた休憩所から先はたぶん土足で歩いていってはいけないところのような気がして、瀧の落ちる音を遠くからしばらく聞いていました。実際に瀧に打たれていないのですが、打たれている人のことを想像すると、それだけでも十分気が引き締まるような気がします。帰りがけ、鳥居のところまで戻ってくると、どうも人が入れないように柵がつけてあったようです。私が来たときには開いていたため、全く存在に気がつかなかったのですが、柵にはきれいな字で「無断で立ち入らないように」と書かれていました(^^;)。霊験あらたかな場所なんでしょうね。

 不親切な標識に従って、本当にこの道でいいんやろかと、びくびくしながら急な坂道を上っていくと、京都市が一望できる見晴らしのいい場所にたどり着きました。先ほどまでの林の中はまだ寒々とした雰囲気だったのですが、ここは高い木は切られていて日当たりもよく、草木の新芽が吹き出しそうにふくれていました。春ですねえ。京都の山は町から近いので、やたらと車や宣伝カーの音が聞こえてきて興ざめなのですが、それでも見下ろしているというのは気持ちがいいです。こんなところで事務所を開いたら仕事がはかどりそうですね。

 山も頂上に近づいてきたと思うと、いきなりご神体団地。五瀧大神では平たい岩がご神体でしたが、こちらは岩の固まりがご神体となっていました。鳥居も並び、どうも伏見稲荷大社までたどりついたようです。参道には鳥居が並んでいるのですが、もう鳥居と鳥居の間のスペースがないほど密に並んでおり、間から人が逃げないようにしているような感じでした。私は頂上からきているので下る一方でしたが、登ってきている人は息を切らしながら必死で登っていました。

 まあ山の上まで往復するのなら関係ないのでしょうが、もし一周するつもりなら参道は降りるほうが面白いですね。鳥居の裏には、誰がいつ建てたのかが墨で書かれており、これを読みながら降りてくるとなかなか興味深いことがわかってきます。伏見稲荷といったら昔から有名なところなんでしょうが、この鳥居は、ほとんどが平成になってから建てられており古くても昭和60年代なんです。朱塗りされたこれらの鳥居は全て木で作られており、ところどころ歯抜けのように腐った鳥居が撤去された跡が残されていました。そのように腐っては新しく建てて、と繰り返してきたんでしょうね。所々には石で作られた鳥居も残されていますが、こちらは大正時代であるとか、明治時代の年号が書かれていました。しかし木造ってそんなに弱いもののわけないんですけれどもね、わざと腐らせて居るんでしょうか(^^;)。

 そんなことを見ながら朱塗りのトンネルを歩いていると、なんとも気分が悪くなってしまいました。やっと分かれ道がでてきたところでは、ためらいなく鳥居のない道を選びましたが、ようやく現世に復帰したような気分に戻ることができました。

 わずか3時間ほどの散歩だったのですが、なかなか京都もおもしろい場所がたくさんあるものですね。また時々現実逃避してみたいと思います。・・・しまった、論文が・・・・。


●家での研究 (99/03/24)

 いやあ、大学生活もあと1週間となってしまいました。研究室や図書館を使えるのもあと1週間と考えると、資料集めやコピーやら、やっておきたいことはたくさんあるのですが、その前に仕上げなくてはならない論文が目の前にあって、なかなかそれどころではありません。しかし研究室に顔を出していると、なんとなく雑談となってしまって、論文書きに集中できないので、今日は一日家で作業をしていました。4月になったらいやになるほど下宿にいられるのにねえ。なんとももったいない一日でした。

 ずっと研究から遠ざかっていたため研究ってどんなものか忘れてしまっていたのですが(^^;)、ようやく研究とはこういうものだという感覚が戻ってきました。今までは、書きかけの原稿を見てもどこが悪いのかわからなかったのですが、今は問題点が次々見えてきて、完成に向かっているなって感じになっています(今までの原稿が本当に使い物にならなかったですね)。こたつの上や周りには、引用論文や資料が散乱し、夜中になっても高いテンションを維持していて、たぶん寺園さんも聞いているであろうラジオ深夜便を聞きながら、なかなかいい感じです。「研究してるんだぞ」っていうオーラがわき出ている感じでしょうか。このまま徹夜で仕上げてしまいたいところですが、まだまだたくさん作業があって終わりそうもないですね。


●お葬式 (99/03/22)

 今日の目覚めは非常にいいものでした。こんなにすがすがしかったのは久しぶりですね。

 かなり長い夢を見ており、最初のほうはすっかり忘れてしまったのですが、田舎の家とよく遊んだ近所の田圃が舞台でした。なにが理由なのかよくわからないのですが、どうも私が死んでしまったらしく、たくさんの人が集まっているようでした。その輪の外から眺めている私は、ここは遠慮しておかないといけないんだなと思って様子を見ていたのですが、ふとやり残した作業があったことを思い出し、席を外してひとりでその仕事の最後の仕上げをしました。これで最後だなって気持ちですごく満足でした。しばらくしてお葬式らしきものが始まったのですが、みんな和やかな顔をしていました。これが最後の贈り物だよと、来客のひとりが取り出したのが小さなオルゴール。それがコロンと転がり落ちて、美空ひばりの「河の流れのように」の曲が流れ出しました。最初はオルゴールの音だったのが、次第にコーラスが入り、オーケストラが入って、非常に荘厳な雰囲気に包まれていました。みんなありがとう、ってつぶやきました。

 そんな時に目覚めてしまったのですが、なんとも目覚めない方がよかったかなって気分でした。

 昨日は友達の一周忌。流した涙は3つぶ・・・かな。


●排出量取引 (99/03/21)

 CASAの気候変動研究会があって、大阪にでかけてきました。いつの間にかに生活がひっくり返ってしまい、朝の8時に就寝したため、みごとに遅刻してしまいました。

 一昨年の温暖化防止京都会議で、京都議定書なるものができたのですが、実はまだ細かいところの詰めはこれからなんですね。日本の場合は1990年レベルから6%削減ということが決められたのですが、まじめに自分のところで6%温室効果ガスを減らそうとは考えておらず、森林の吸収を多く見込むことにより3.7%分(シンクの問題)、他の国の排出認可量を購入したりすることにより2%分をまかなおうと考えている訳です。ただしこれらが全て認められているわけではなく、今後の交渉によって決まってくる曖昧なところというのがやっかいです。交渉次第では、二酸化炭素排出削減の努力をしなくても名目上は削減を達成したことになってしまうわけですね。環境NGOとしてはしっかり削減してもらいたいわけですから、抜け穴のない規則を作ってもらうよう、こちらも勉強しておかなくてはいけないというわけです。

 日本の場合には1990年レベルから6%削減ですから、逆に考えると「94%分は排出してもいいよ」という許可枠をもらっているわけです。温室効果ガス排出量が94%を越えてしまうと何かしらの制裁があるのですが、それ以上がんばっても「がんばったね」と言われるだけで終わってしまうわけですね。ところが、もっと省エネする余裕があるのであれば、がんばってもらうのにこしたことはないわけです。というわけで、がんばった分の報償として、余分に減らした分は、余所の国に売ることができるというのが排出量取引の仕組みです。減らすのが非常に困難な国にとっては、割当量を買うことによって達成することができるため、できるところががんばるという無理をしない形で一定の削減できるという話です。

 ところが問題は、自分の国で省エネをがんばることのではなく、最初から割り当てをあてにして努力を惜しむことがあるという点です。ロシアは1990年以降の経済崩壊でもう2割も二酸化炭素排出を減らしてしまっているので、日本や米国がこれをねらっているわけです。これに対してNGOとしては、まずは自分の所でも削減をする必要があることから、上限枠を決めようという提案もされています。できたらやめてしまったほうがすっきりするんですけれどもね。

 今回のお話はその先で、「もし排出量を取引してしまって、後から排出量を売った国が達成できなかったらどうしようか」という問題について話をしてもらいました。基本は売った国が(自分の国はもっと余分に削減できると自ら目標を引き下げたわけですから)当然責任をとるべきなんですが、一部買ったほうにも責任があるのではという議論もあるようです。つまり、相手が本当に信用できるか(ちゃんと削減できる国なのか)見極めた上でないと、買ってはいけないというもんです。これは(当たりはずれのある?)株券みたいなもんですね。こちらのほうがうまくチェック機能が働くという見方もあるようです。

 人間というのはいろいろと考えるもので、例えば排出量取引きに際しては、排出量の一定割合を担保させる必要があるようにするとか、保険を介在させるとか、買い手と売り手の両方に責任を負わせるべきだとか、眺めていて感動します。これだけいろいろな案が出てきて、一番しっくりくるものがないというのも、また社会の難しさというかおもしろさなんでしょうね。それぞれ長所短所があり、ちゃんと勉強しておかないと、だまされてしまいそうです。合衆国なんて、自分の都合がいいようにいろいろ研究しているんでしょうね。研究のネタはとりあえずたくさんありそうです。

 石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に研究の ネタは尽きまじ


●機械の寿命 (99/03/18)

 昨日は出演が終わってから研究室へ行こうとしたところ、なんと自転車が壊れてしまいました。ハンドルと本体を接続している所のベアリングが壊れてしまったらしく、ハンドルが全く回らなくなってしまいました。私がこの自転車を購入したのは大学2年の時ですからもう8年前であり、しかもその時に中古で売られていたので、かなりの寿命だと思います。しかし自転車発電をこれでやって、何百人の人に乗ってもらったという貴重な自転車であり、どんなことがあっても手放したくないものの一つになっています。

 というわけで近所の自転車屋に行ったのですが、ねじがさび付いてしまっていて自分の所の工具ではどうしようもないという話でした。知り合いにそのようなねじを回す工具を持っている人がいるが、取り寄せとなるとまたお金がかかるがどうするかと聞かれたのですが、そりゃ当然ここはどんなことがあっても修理してもらうべきでしょう。金に糸目はつけませんと(いやあかっこいいですねえ、まあ一応値段を聞いてからお願いしたんですけどね)。もしかしたらその工具を使っても無理かもしれないとは言われており、ちょうど難病の手術をお医者さんにお願いするような気分でした。

 モノには寿命があるとはいいながら、今まで毎日乗っていた自転車にもう乗れなくなるというのは寂しいものです。役に立たなくなったらやはりさっさと捨てられてしまうんでしょうね。とっておきたくても、そんな場所はここにはないし・・・・。

 結局のところ心配はどこへやら、さすが技術を持っている人は違いますね。ちゃんと今日には直って帰ってきました。修理代として6000円かかりましたが、まあ安いものです。中古で購入した時点では一番やすいものということで9800円で買ったのですが、今では私にとってはもっと価値があるものですね。修理代にはたしていくらつぎ込んだのか覚えていませんが、修理をするたびにまた貫禄がついてくるようで不思議なものです。

 一方で、私の愛用しているノートパソコンも2週間で修理から帰ってきたのですが、こちらはマザーボードを完全に入れ替えてしまっているという修理記録がついてきました。つまり箱だけは同じで、頭脳部分からなにから重要なところはすっかり入れ替えさせられているというわけです。まあ確かに精密部品であり、細かいICなどを一つずつ交換するわけにはいかないんでしょうが、これでは修理なんだかよくわからないですね。あまりに豪快に修理してもらって、ちょっと申し訳ないような気もしています(まだ購入して1年、保証期間内なので無料です)。こっちのほうも毎日使っており愛着があるのはその通りなのですが、まだまだ自転車とは年季が違いますね。早く味のあるマシンになってほしいもんです。

 さて大学への交通手段がなかったこともあり、昨日今日と、環境家計簿の通信簿の打ち出しを行っていました。京都市で取り組んだものの打ち出しで、モニター数が1000以上というなかなか大変なものです。立命館大学の笹谷先生の学生がいっしょうけんめい打ち込んでもらったものをデータ処理するだけなのですが、それでもまる2日かがりでした。打ち込むほうは相当大変だったんでしょうね。

 通信簿を作成するプログラムは試行錯誤の末すでに完成しており、あとはプリントアウトをする番号を打ち込んでボタンをポンと押すと、プリンタからその家庭向けの省エネの通信簿が打ち出されてくるという仕組みです。まったく頭を使わない、ひたすら繰り返しの作業です。ただカラーで打ち出しているため、最新型のプリンタを使っても1枚を打ち出すのに1分かかり、全800枚の打ち出しに10数時間かかってしまったわけです。心配だったのは、プリンタってこんなに負担のかかる仕事をさせても大丈夫なんだろうかという点です。プリントアウトをするのがお仕事なのは当然なのですが、10時間以上も休ませずに常に打ち出しを続けるって、なかなかできることではないですからね。途中でインクカートリッジの交換が5回です。

 しかし考えてみると、1000枚を打ち出したとしても、プリンタ代が4万円。1枚あたりに直して計算すると、まだ1枚あたり40円もしているわけですね。もっと働いてもらわないと元はとれないかもしれないですね。こちらのプリンタは購入してまだ3ヶ月。がんばって働いてもらいましょうか。


●NHK「関西スクエア」 (99/03/17)

 昨日は研究室の追いコンで飲んだくれて、おかげさまでぐっすり寝ることができました。緊張しているせいか、目覚ましがなる前に目覚めてしまいました。今日は関西スクエアに出演の日ということで、気合いを入れなくてはいけないのですが、風邪が治らず花粉症も末期症状で・・・・なかなかいい感じです。

 わずか10分たらずなのですが、ちゃんと先方ではシナリオを用意してくれていて、どういうやりとりがあるのか話す内容を示してくれていました。スタジオと言っても、結構こじんまりとした場所なんですね。確かにカメラに囲まれているのですが、机の上には小さなマイクやビニールテープなどが貼ってあったりして、なかなかごちゃごちゃしていて落ち着く感じがしました。なかなか面白い機械もたくさんありました。アナウンサーがよく正面を見てずっとしゃべっていることがあるのですが、これはちょうどカメラのところにテレビ画面があって原稿が映し出されるようになっているんですね。あんな細かいことまで暗記していて、アナウンサーとはなんてとんでもない人たちなんだろうか、と思っていたのですが、ちょっと安心しました。

 リハーサルまではかなり落ち着いていたのですが、いやあ本番になるとめっちゃ緊張しますね。自分で話を組み立てて順番に話を進めていくことは、学会でも講演会でもよくやっており、それなりに準備をしているからどうにかなるのですが、考えてみれば今回の出演って対談形式なんですよね。本番でいきなり今までになかった質問を振られてきて、めっちゃ困ってしまいました。いやあこれで舞い上がってしまって、落ち着きを取り戻すのに1分くらい時間がかかってしまいました(^^;)。まったく、アドリブに弱いですね(^^;)。

 終わってから心労でちょっと寝込んでしまいました(^^;)。テレビは心臓に悪いです。


●ムンク版画展その後・・(99/03/15)

 いやあ、さすがムンクは偉大です。版画展を見てから、人生が変わってしまいました。あれから家に帰ると頭が痛くなり、人生がつらく思えてきて、自分がなんとむなしい存在であるのかに悩んでしまいました(^^;)。

 今日はCASAで事務局会議があるという話は聞いていたのですが、ムンクの背景のような雲から雨がしたたり落ちている天気で、非常に行きたくないような気持ちでした。どうせ私が参加したところでたいしたことはできないんだ、と思いこむのに十分な根拠があるような気がしていました。しかし(研究室に行くことは余計に負担があったために)、無理をして大阪まで出かけてきました。

 時間を聞いていなかったのですが、たぶんお昼から会議が始まるのだろうと考えていたところ、みごとに予想に反して夜からの会議でした。というわけで、風邪が治らないまま、無理して出てきた事務局会議にも巡り会えず、仕方なく喫茶店でお仕事をすることになってしまいました。

 人生というのは不思議なもので、こういう時ってめちゃくちゃ仕事がはかどるんですね。松坂屋七階の非常に見晴らしのいい行きつけの喫茶店で四時間粘ったところ、悩みの種だったお仕事が飛び上がるほど簡単に解決していくではないですか。この仕事は大変だと感じていると、なかなか手の着けようがないのですが、喫茶店での作業でノートパソコンの電源の時間が限られていることを考えると、悩んでいる時間が惜しくて、次々にアイデアが浮かんで解決して行くんですね。こうして京都市の環境家計簿の通信簿、そして気象協会のプログラムがわずかの時間で解決してしまいました。おかげですっかり元気になってしまいました。

 いやあしかし、落ち込んだり、幸せになったりと、なかなか心が安定しないものです。自分で仕事をやっていくとなると、心配ごともたくさん出てくるのでしょうが、大丈夫なんでしょうかね。


●ムンク版画展 (99/03/14)

 ようやく時間的に余裕ができたので、友達から勧められていた「ムンク版画展」に散歩がてらでかけてきました。京都国立近代美術館で開催されているのですが、下宿から歩いてわずか10分のところにあるというのはいいですね。平安神宮一帯で、疎水も流れており、散歩にもいいところで、本当は毎日でも歩いていても飽きないようなところなんですけれどもね、なかなか余裕がないのが悲しいところです。

 ムンクと言えば「叫び」などが図工の教科書にも載るほど有名なんですが、悲しみや葛藤、不安などを見事なまでに表現しています。友達に勧められたときも「人生ってこんなに悩ましいものなのかと落ち込むことができるよ」と言われており、密かに楽しみにしていました。イベントへの誘いで、楽しいからとか面白いからとかいう勧め方はありだと思いますし、多少ショック的な話として、すごく怖いとか悲しいといった引きつけ方もあるでしょうが、見たら落ち込むことができる、というのは変な勧め方ですね。しかしムンクはやはりそう表現したほうがいい画家なんでしょう。

 のんびり鑑賞でもしようかと思ったのですが、さすがは世紀末、心に傷を負っている人が多いのかどうか知りませんが、大変なにぎわいでした。展示場の最初に例の「叫び」があったのですが、何重にも人が取り囲んでおり、近くまでたどり着くのに何分か時間がかかるほどでした。カップルで来ている人も多く、こんな所に来て今後大丈夫なのかなと、老婆心ながら心配になってしまいました。まあひとりで来ている人よりはましでしょうか(^^;)。美術館だから当然なのかもしれませんが、みんな黙って見て居るんですよね。版画自体もインパクトがあったのですが、黙ってそれを眺めているこの拝観者はいったい何を考えているんだろうな、ということに興味を覚えてしまいました。

 半裸でセックスアピールをしている女性の絵の枠に精子を描いて、最後の左下に胎児を描いた「マドンナ」。ベッドに座ってうつろな目でどこともなく眺めている少女と、その手を握ってうつむく母(?)を描いた「病める少女」。人が死にゆくときの集まった人たちの風景。自画像にも悲しみが映し出されていて、よくこの人は生きていたなと感心するくらい執拗に描かれていました。そんなこともあるな、と客観的に眺めないと、本当につらくなりそうです。なかなか有意義な2時間でした。

 さすが最後の土産物売場はにぎわっていました。こんな絵を下宿に飾ってもどうかと思うのですが、ひとつだけ面白い物を見つけました。「叫び」の風船人形で、なかなかリアルに作ってあり、妙にかわいい気がしました。ちょっと値段が高かったので手が出なかったのですが、プレゼントなんかにいいかもしれませんね(どういう意味でプレゼントするんやろか? おお、そういえば今日はホワイトデーか・・・・)。


 今日の夕食はカレーを作りました。引っ越しをしたおかげで、空けていないカレールーが出てきたのですが、野菜の煮込みを終わった段階でふと見てみると賞味期限がなんと1993年に切れているではないですか。ちょっと怖くて、新しいルーを使ってしまいました。さて、このカレールーはまだ食べられるんでしょうか。私はきっと食べられると思います。でも今使ってしまうとまだインパクトがないでしょうから、あと5年くらい熟成させてから使ってみたいと思います。1992年物のハウスバーモンドカレー、いかがですか?


●尼崎市ワークショップ (99/03/13)

 全国で環境家計簿をを取り組んでいる自治体は多いのですが、今回の尼崎市では、単に市民に取り組んでもらうだけではなく、市民が参加して交流会(ワークショップ)まで開催しています。環境家計簿自体は、市民の自発性に依存していることであり、あくまでもライフスタイルを変えていくための一つのツールでしかすぎないんですね。いかに市民を巻き込んでいくか、いいものをいっしょに作っていくのかが、環境家計簿のマネージメントをする立場の人たちががんばらなくてはいけないところは多いものです。その点で尼崎は最もがんばっている都市の一つではないでしょうか。今回は、環境市民と気候ネットワークの一員として参加してきました。

 実を言えばこれが「ひのでやエコライフ研究所」の初仕事ということになるんですね。打ち合わせで通信簿を作成してほしいということで、作成して送りました。最初から予算に組み込んでいなかったということで、後から捻出してもらったみたいで申し訳なかったのですが、初収入2万円也です。お買いあげありがとうございました(^^)。

 ワークショップというと、参加している人がおしゃべりであるのか、どんな経験を持っているのかなどによって話の持っていきかたが難しいのですが、今回ほど楽しいワークショップはありませんでした。尼崎の人って陽気で楽しい人が多く、むしろ話を発散させないようにするのが大変でした。環境家計簿をつけて、自慢したい(がんばった)ことと、うまくいかなかった(相談したい)ことを並べて書くようにしてもらったのですが、みんな「自慢したい」ことばかりで盛り上がって、結果的にほとんど「うまくいかなかった」ことがないという状態になってしまいました。一般的に大阪の人は前向きな人が多いのですが、そんな中でもこれほど極端なのは初めてでした。まだまだ関西に住んでいて知らないことが多いものだと、改めて思い直しました。

 これだけ元気な人たちが多いので、次は自分たちで何かを作っていってほしいですね。環境問題に限らないでしょうが、きっと面白いものを作るグループになるでしょうね。


●産廃施設への国・自治体の関与強化 (99/03/12)

 今日の夕刊に掲載されていましたが、とうとう厚生省が決意したみたいですね。本気でどこまでやってくれるかが楽しみです。(・・・・って、今年ダイオキシン関係の部署についた林さんは大丈夫かな)

 産業廃棄物処理業は(もちろんきちんとした業者が大部分ですが)、触らぬ神にたたりなしといった感じで、非常におそれられていた存在でした。かなりやくざ系の人たちが関わっているという噂をよく耳にします。自治体の人も定期的にチェックに行くときには必ず警察官といっしょに出かけないと何をされるかわからないといった感じで、厚生省ですら手が出せないと言われていました。産業廃棄物の担当部署を厚生省から、自衛隊が出動できる防衛庁に移したらどうかという話も冗談でしていました。国土防衛ということで産業廃棄物の不適正処理による汚染から守るわけですね。

 すでに既得権益で動いている分野ですから、大幅に規制をしていくことは大変かもしれませんが、少なくとも現状の処理方法で進めていったら汚染がより分散してしまうのは確かでしょう。廃棄物の最終管理は、国土汚染の問題に直結するので、将来にわたって機能する抜け道がないような仕組みを作ってほしいです。


●研究とお仕事 (99/03/11)

 3月末までに、論文2本を書いてから「退学」するという約束をしていたのですが、3月に入って、また忙しくなり、全く研究をする時間がとれなくなってしまいました。2月半ばに卒論や修論の手伝いが一段落してから、ようやく自分の時間がとれると思ったのですが、それも2週間続きませんでした。

 通信簿を作る仕事が、尼崎市、京都市、静岡市と続いてあるほか、4月からはおおさかパルコープの仕事も入ってきてその準備もしないといけないようです。太陽光発電についての問い合わせがきたり、CASA事務局からはあいかわらずホームページの原稿が大量に届くし・・・・。おお、研究する時間をとれずに今日も一日が終わる。

 大学生活の最後くらいは、落ち着いて研究して、満足した内容で出したかったのですが、そうは問屋が卸さないといったやつですか。思い返せば、研究室に配属になって以来こんな研究以外の作業ばかりやっていて、研究をまじめにやっていた時間というのはほとんどありませんでした。COP3の頃なんか、丸一年間、論文に全く手をつけない状態が続いたりしていましたからね(いばることじゃないですが)。

 特に研究というやつは難しい物で、かなりテンションが高くないと「書くぞ」って気持ちにならないから大変です。一通りあらすじを書いたあと、「こんなんじゃ研究にならねえ」って紙を丸めて捨てて、頭をかき乱しぶつぶつ言いながら大学の校舎を何回も徘徊し、放心状態になって遙か彼方に沈みゆく夕日を眺めていると、ふとアイデアがひらめく、といったことを繰り返しながら作る物です(他の人はどうしているのか知りませんが、私はそんな感じです)。締め切りのあるちょっとした仕事がその間に入り込むと、そちらをついつい優先させてしまい、身を入れて悩む時間がなくなってしまうわけですね。

 果たして約束を守れないまま学生生活の最後を散らかしたまま終えてしまうのか。しかしまだあと20日あるのは確か。締め切り直前にならないと筆が進まないということもあるので、それに期待しましょうか・・・・。


●臓器移植 (99/03/08)

 臓器移植について林君からコメントがありました。ドナーカードはローソンにも置いてあるそうです。ありがとうございました。

 しかし、ドナーカードのイメージキャラクターはやはり子牛でしょうね。


●NHK関西スクエア (99/03/05)

 CASA経由でNHKに出演するという話が降りかかってきました。今日打ち合わせをしたのですが、どうもかなりまじめにコメントする番組のようです(^^;)。10分間くらいですが、生放送というのもちょっと怖いです。

 お昼前の番組で、家庭向けに作られていると言う点では、ひのでやエコライフ研究所としても、これ以上の機会はないという恵まれた条件なんですが、ほんとうに役を果たせるんでしょうかね。なにはともあれ、まずはちゃんと受信料を払わなくてはいけないでしょうね。まだ徴収に来ていないからいいかもしれないですが・・・。


●ひのでやエコライフ研究所設立 (99/03/04)

 3月中は大学の研究をしなくてはいけないので、設立してもあんまり意味はないのですが、大学生の間はパソコンソフトが割引価格で買えるので、形だけ設立しておこうという単純な理由から、設立しました。これって、宣言すればいいだけですよね?

 3月13日に尼崎市の環境家計簿で通信簿を作るというので、印刷用の紙を購入してきました。会計上領収書を切ってもらったのですが、ちゃんと「ひのでや」と書いてもらいました。いやあ、何というか、気持ちがいいですね。これからばりばり働いて、ちゃんと帳簿を付けて、ちゃんと税金を納めるぞ、って気合いが入りますね(^^)。

 どうせ個人事業なので、税務署への申請も適当らしいですが、暇になったら登録したいと思います。たぶんあまり儲からないから、税金はそんなに払わないと思うのですが・・・。


●臓器移植 (99/03/02)

 脳死による臓器移植が日本でも行われました。わたしもドナーカードがあれば書きたいのですが、なかなか配っているところをみかけないので、まだ持っていないです。是非については議論があるところでしょうが、自分の臓器を使ってもらうのであれば、いいんじゃないでしょうか。大した臓器じゃないですが(かなり不健康な生活をしているので使ってもらえないかもしれませんが・・^^;)。

 臓器移植で昔聞いた替え歌を思い出しました。7年くらい前に、東大の人間から聞いた歌です。「ドナドナ」の替え歌です。

 

   ある晴れた 昼下がり 病院へ続く道
   救急車が ごとごと 脳死を乗せていく
   かわいそうな脳死 売られていくよ
   悲しそうな瞳で 見ているよ
   ドナドナ ドナ ドナー 脳死を乗せて
   ドナドナ ドナ ドナー 救急車がゆれる

 

 ドナドナのあとの「ドナー」がポイントだそうです。「子牛」と「脳死」が韻をふんでいるのも見事なところです。


●ダイオキシン (99/03/01)

 もう昔の話になってしまいますが、テレビ朝日で埼玉県所沢市の野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたという問題についてひとこと。

 高濃度のダイオキシンが検出されたというのが、ニュースステーションでは「野菜」としか受け取れないような報道の仕方だったものの、あとから高濃度に検出したのは乾燥したお茶で、ほうれん草などの野菜については他の地域の値と大きく違わなかったことが明らかになり、正しい情報を流すという報道のあり方がかなり問われていました。私が取っている新聞が朝日新聞であるためか、このことにはあまり触れていなかったのですが、ほかの新聞ではなかなか厳しい論調だったようですね。

 結果からいえば、この報道によって、埼玉県が独自に調査していたダイオキシン濃度の情報が公表されたこと、および厚生省や環境庁のほか埼玉県もダイオキシン対策に本格的に乗り出してきたことなど、確かに望ましい方向へ動くきっかけにはなったものの、所沢の農家にとっては風評被害がかなり大きかったようです(AERA3/8号など)。幸い、全国の他の地域の野菜中のダイオキシン濃度と大きく違わないという調査結果が公表されるに至って、風評被害も下火になってきたようですが、一歩間違えればかなり長期にわたって被害が続くことが考えられた点で怖いことだと思います。

 風評被害として思い出すのは、厚生省によるO157の原因が「かいわれ」であるとする報告を出したことでしょうか。確かこのときには、ニュースステーションでは報道する時に「こんなことを流してはかいわれ業者が大きな痛手を負うだろうから、公表してよかったのでしょうか」と首を傾げながら話していたことを覚えています。それを今度は自分のところでやろうとは、なかなか因果なものです。

 ダイオキシンの風評被害については、今までにも事例があり、豊島の問題の時には、豊島産の農作物や養殖魚が全く売れなくなり、廃業に至ってしまうという事件もありました。また、大阪府の能勢のダイオキシン問題でも、地元農協の農作物が売れなくなり、必死になってアピールをしているところが報道されていました。少しでも汚染の少ないものを選びたいというのは、消費者のいわば当然の心理でしょうから、特にダイオキシンなどというインパクトのある汚染に関しては敏感になって、買い控えが起こるのは予想できる話です。実際には、日本人が摂取しているダイオキシンの大部分は魚由来だといわれており、元々野菜から摂取する量などわずかなものです。そのわずかな部分で濃度が倍になろうが、全体的な摂取量にはそう大きな影響を与えないのですが、それが判断できないために風評被害が起こってしまうんですね。大阪の市民派の環境調査会社の方も、ダイオキシン自体の被害よりも、風評被害のほうがひどいと言っています。

 これは(誤解を恐れずに言うと)、市民がリスクの程度を合理的に判断して行動しているわけではなく、単に定性的情報に流されて行動を起こしてしまう性質があることに起因しているように思います。それがいい悪いを言っているわけではなく、そういった傾向があるのは確かで、情報操作能力を持っている人は多かれ少なかれ知っているはずのことです。すなわち、所沢の野菜が3倍程度汚染されているくらいなら、健康のことを考えても買い控えをするほどのことは全くないのですが、「程度」がわからないために「ダイオキシンで汚染されている」という定性的情報によって、市場を混乱させてしまったわけです。情報提供によって余計な(無駄な)心労をかけさせたと言ってもいいのではないでしょうかね。情報提供をする場合には、正確な情報を流すことも重要ですが、その情報によって起こることが予想される反応も十分考慮に入れる必要があるはずです。ダイオキシンなんて少量ならどんな食べ物にも入っており「○○の野菜がダイオキシンで汚染されている」と報道しても嘘ではないのですが、そんなことしたら混乱を引き起こすだけです。どれだけダイオキシンが含まれていて、平均と比べてどうなのか、どの程度健康に影響があるのか、対策はどう進められるべきなのか、などの情報がセットで出されるべきでしょう。

 善意の見方をすれば、市民は「ダイオキシン汚染」に対して非常に敏感であり、少しでも汚染がされているものに対しては、購入拒否という切り札をつかって厳しく追及する用意があるのだと言うこともできるかもしれません。社会全体に対する非常に重要な意思表示方法なのですが、この方法は時にはとんでもない方向に刃先を向けられることだけは注意しておく必要があるかもしれません。結局所沢の農家や農協に対して刃先が向けられてしまったのですが、本来ならば関係省庁やごみの排出者などに向けられているはずであり、そういった人たちが責任をとって補償をする構造を作っていく必要があるかもしれませんね。


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