ごみにまみれて '99/04

Last update: 99/04/25

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●特製の机 (99/04/25)

 基本的に持っている本や資料が多すぎるために、全く整理ができず、4月の後半になっても段ボール箱が散乱している状態が続きました。まあ部屋が広いおかげで、どうにか生活を続けることができたといった感じです。それがようやく本棚が入り、資料のかなりの部分を整理することができ、徐々に事務所体制ができてきました。

 実は事務所と言いながら机がなく、こたつで座椅子に座って作業をしていたのですが、さすがにそれは疲れるもので、いい机がないかなと探していたところです。「エコライフ研究所」と名乗っている以上、ふつうの机を購入するのははばかられるな、と考えてしまいなかなか踏ん切りがつきませんでした。なんやかんやで様子を見ていると、下宿の隣のおばちゃんが、前の人が残していった物だといって、腰くらいの高さの衣装ケースを4つくれました。車がついていて使い心地は良さそうなのですが、重ねることが難しいために場所を取るなと思いながら眺めていたところ、これを足としたら大きな板をもらってくるだけでいい机ができるんじゃないかと思いつきました。

 ところが、東京に出かけたときに東急ハンズで紫檀の板を8万円で売っていたりと(^^;)、なかなか板というのは高い物だと困ってしまいました。DIY店では、ベニヤ板を2千円くらいで売っているのですが、まさに熱帯材を破壊して作っている板を購入するのはさすがにはばかられました。そんなこんなで迷っていたところ、京大の環境活動でずっと(8年くらい)いっしょにやってきた伊東さんが、古材バンクというところでアルバイトをしており、京都の古い町屋などからもらってきた材木を安価で提供しているという話を紹介してくれました。というわけで、今日、その古材市へとでかけてきた次第です。

 さすが京都の町屋と言った感じで、個性のある木材が所狭しと小屋に積み込まれていました。昔は家を壊しても、こうした木材は使い回しをしていたということですが、最近は機械で壊すために再使用できないらしいです。しかし逆に、なかなかこうした太い材木などは手に入らないんでしょうね。薄汚れているものの、もちろんしっかりとしています。

 しばらく見繕っていたのですが、一畳分もあるラワンの一枚板が2000円で売られていたのに引かれました。表面は真っ黒で、かなり傷がついているものの、もともと表面の加工は丁寧にされていたようです。ラワンというとまさに東南アジアで伐採をしたものなんでしょうが、まあ再使用だから問題ないかということで、購入させてもらいました。ちなみに同じくらいの松の板は8000円くらいの値段がつけられていました。

 伊東さんに車で運んでもらい、古材市で教えてもらったように、カッターの刃を立てて表面を磨き、その後にサンドペーパーをかけていきました。1日かけたら立派になるだろうと気合いをかけて始めたのですが、なかなか。手が痛くなってしまって3時間ほどで止めてしまいました。表面の傷が消えるまでと考えていたのですが、どうもあえて削り取ってしまうこともないようです。多少は表面の黒みが残っていたほうが、味があるようです。簡単な仕上げだったのですが、さわってみると、みごとにすべすべ。表面加工をしていないので、木のそのままのぬくもりがなんとも言えず、いつまでもなでていたいような感じです。しかも両手を伸ばせるくらい広いですからね、まったく言うことなしです。心配していた足のぐらつきもなく、とっても幸せな気分になってしまいました。


●私は社会人? (99/04/13)

 あまりにも長い間「学生」というものをやってきたために、学生という身分がなくなってみるとどうも落ち着かないですね。身分証明するものがなく、何をやっても自由の身である一方で、自分で稼がなくてはだれもお金を出してくれない。学生時代にのんびり過ごしていたので、各種の資格はおろか、運転免許すら持っていないときていますので、自分の生み出すものを評価してもらうしか生きていくすべがないんですね。今までは「京都大学の学生」ということでかなりのステイタスがあったのでしょうが、今は「ひのでやエコライフ研究所」という聞いたこともない(怪しげな)所の鈴木さんでしかすぎないんですものね。

 「学ならずんば死すとも帰らず」という言葉に心を動かされ、中学卒業と同時に家を飛び出したのはもう12年も前になるんですね。ふつうの人よりも長く、高校3年、大学4年、修士課程2年、博士課程3年と学問の道を進んできたのですが、結局まだ論文すら書いていないまま、中途半端な状態でまた学問の世界から離れることになってしまいました。これから論文をいくつか仕上げて、博士論文としてまとめて、それでやっと学問の入り口ですからね。こちらも先は長いです。研究所では、仕事をしながらぼちぼち楽しみながら学問をしていきたいと思っています。

 下宿でおおさかパルコープの環境家計簿の集計をしたり、通信簿を作ったりと、考えてみたらやっていることは学生時代にやっていることと変わりません。当時も大学にはそれほど顔を出していませんでしたから(^^;)。ただ、世の中に受け入れられる仕事をしなくては、自分が食っていけないと考えると、妙な緊張感があります。不思議なもので朝起きる時間も学生時代より4時間も早くなっています(といっても8時なんで威張れる話じゃ決してないんですけれど)。でも、いくら睡眠時間が短くても8時に目が覚めるというのは、我ながらすごいと思います(まあそれが当然で、学生時代が異常だっただけかもしれませんが)。結果的に仕事は進んでいませんが、なかなかメリハリがあって毎日が非常に面白いです。


 学生を離れて一番最初の仕事として考えていたのが、お墓参りでした。妙な仕事かもしれませんが、まあ私が独立して仕事をはじめる決意を固めさせてくれた人たちに挨拶をするのがやはり礼儀でしょう。始めましたよという報告と、自分に対する戒めでしょうか。

 部屋も片づかない2日に、研究室の赤坂君の葬儀があった泉大津へ。関西空港のお膝元で、異常にのっぽなビルなどが立ち並んでいます。結局お墓は見つからなかったのですが、葬儀を行った集会所でお話をしてきました。

 2日の夜から夜行電車で東京へたどりつき、そこから那須塩原まで足を延ばしました。もう2年半前になるんですね、衛生工学で同期だった石川氏の墓へいってきました。こちらも巨大な新幹線の駅ができているのですが、駅前はバスやタクシーもない、のんびりした田舎です。墓地まで往復3時間くらいかけて風景を楽しみながら散歩してきました。

 4日は、エコリーグでよく語り合った堀越氏の納骨式があり、30人くらいが集まってきました。茨城県の牛久霊場。酒の好きだった堀越氏の周りで、花見で盛り上がりました。

 一度下田に戻り、最後に母方の祖父祖母の墓参りをしてきました。仏壇にはお正月ごとに顔を出しているのですが、さすがに墓参りは久しぶりですね。祖母の1周忌以来ですからたぶん8年ぶりになるんでしょうか。映画「青い山脈」のロケ地にもなった白浜海岸が見渡せるなかなかいい場所です。

 家に帰って、親ともゆっくり話をしてきたのですが、考えてみれば27歳というと親が(たしか)結婚したくらいの歳ですね。本当は私もちゃんとした生活をしないと世間に顔向けができないのかもしれませんが・・・・。まだまだ世の中も知らず一人前ではないのですが、「好きにしたらいい」と言われました。妹の子供も幼稚園に上がり、手間がかからなくなって寂しくなってきたのかもしれませんが、早く結婚しろとせかされました。そりゃこっちも好きでひとりしているわけではないのだけど、先立つものがねえ。


 最近ようやく「ひのでやエコライフ研究所」という名前が恥ずかしくなくなってきました。まだ「やりたいこと」ばかりで「成果をあげたこと」が語れないのはつらいところですが、こればかりは最初だから仕方ないですね。

 知り合いや、マスコミとかから、何を考えているのかいろいろ聞かれるのですが、最近ちゃんと本音と建て前を使い分けることができるようになってきたという感じでしょうか、大人になったってことかな(^^;)。非常に漠然としているものの、妙な自信を持ってやるべきビジョンが見えているような気がするのですが、一方で全く自信がないといっても嘘ではないんですよね。自分で処理できている間は、弱音は別に言葉に出す必要はないのかもしれませんが、いずれ大きくなったときにはうまく処理しないといけないですね。

 人生がだんだん面白くなってきました。


お問い合わせ、感想などありましたら鈴木(ysuzuki@mti.biglobe.ne.jp)まで。お気軽にどうぞ。

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