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「コンテンポラリー」は、バレエか?     (2002.1.20)

最近、コンテンポラリーという言葉をよく聞きます。
「大辞林」では、『contemporary(形動)(1)現代であるさま。(2)同時代に属しているさま。』とあります。
 
ローザンヌ国際バレエコンクールでは、クラシックとコンテンポラリーの両方の課題が与えられています。また、世紀のバレリーナ・シルビーギエムは、クラシックからコンテンポラリーに転じた、とも、言っている人もいます。そのギエムが「クラシック・バレエはバランス」と言った言葉は、興味深いものがあります。
 
実のところ、少なくとも日本に於いては、バレエといえばクラシック・バレエの作品を指していると思います。バレエ公演といえば、「白鳥の湖」、「ジゼル」等に代表する19世紀のクラシックバレエを思いだします。
これに比べて、英国ロイヤル・バレエ団やニューヨーク・シティー・バレエ団は、早くから、フォーサンス等の作品をレパートリーに加えて来ています。
これらがコンテンポラリーだとすると、日本の新国立劇場バレエ団をはじめ、日本のバレエ団は、コンテンポラリーの振付家の作品の上演が圧倒的に少ないと思います。
 
でもこれは、「日本人」という、観る側の観客の好みにもよるのでしょう。実際、私自身、コンテンポラリーの作品を見て楽しいとも美しいとも思えません。「古典」(ダンス・クラシック)の中にこそ、楽しさ、美しさがあると思います。
ロイヤルバレエのプリンシパル吉田都さんは、今までコンテンポラリーを踊ったことはないそうですし、これからも踊ることは考えていないそうです。やはり、現状では、日本人には、コンテンポラリー作品は好まれないし、また日本のダンサーも得意でない人が多いのだと思います。
 
批評家の方の中には、日本でコンテンポラリーが育たないと嘆く人がいますが、私は、嘆くことなど必要ないと思います。「古典」こそ、バレエの原点、この中にこそ面白さ、楽しさがあると思うからです。トゥで立って踊ること、これは素晴らしい発明であるし、アダージョ、バリアシオン、コーダという厳格なパドドゥという様式は、最も完成された美の表現と思います。
先日、篠原聖一リサイタルを見ましたが、この中で、「out」という作品がありました。この「out」はとても楽しかった。バッハの曲に乗せた個性的な踊りが続き、佐々木想美さんを中心にダンサー達の素敵なハーモニーでした。これがコンテンポラリーといえるか疑問ですが、少なくともダンサーは全員トゥシューズを履いていませんでした。ただ、もし、彼女たちがトゥシューズで踊ったとしたら、激しい動きに上品さと華やかさが加わって、さらに素晴らしいものになったに違いないのです。
 
トゥシューズで踊るものがバレエと言ったら、叱られるかもしれません。でも、体重を支える面積がより小さくなり、アライメントのコントロールもより必要とされるポアントだからこそ、サテンの輝きのトゥシューズが、ギエムの言う「バランス」が原点のバレエに魅力を加えているのは間違いありません。


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