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幸せいっぱいの「後宮よりの逃走」 (2002.1.27改)
「後宮よりの逃走」」K.384は、モーツァルトの最初の完全なジングシュピール(歌芝居)です。
モーツァルトは12歳のとき、「バスティアンとバスティエンヌ」(K.50)、その後「ツァィーデ」(K.344)という未完のジングシュピール的な歌劇を作っていますが、完全なジングシュピールといえるオペラは、この「後宮よりの逃走」が最初です。
この後、ジングシュピールは「魔笛」へと続きます。
歌劇「後宮よりの逃走」は、青春の若々しくみずみずしい美が満ちあふれていますが、この歌劇はモーツァルトが最も幸福だった時代の作品です。
モーツァルトは、この歌劇の初演後まもなく、最愛のコンツタンツェ・ウェーバーと結婚式を挙げました。彼の不幸の多い短い生涯の中で最も輝いた時期でした。
いかに彼が妻を愛していたかは、この歌劇のヒロインの名前を「コンツタンツェ」としていることからも想像できます。
横暴な大司教の許から、自由な都ウィーンにのがれ、かつ愛妻を得るという青年モーツァルトの明るい心情が映し出された作品だと思います。
初演から大成功で、繰り返し上演されました。
グルックはこのオペラを誉めそやしましたが、時の皇帝ヨーゼフ二世は、この歌劇は音符が多すぎると評したそです。
この時、モーツァルトは胸を張って、音符はちょうど必要な量だけ使っていますと答えたという逸話も残っています。
【物語】ベルモンテが、海賊にさらわれて、トルコの太守セリム・パシャに買われて奴隷として仕えている彼の許婚コンスタンツェと家来ペドリルロの恋人ブロンデの二人を救出しようというもの。
ベルモンテが単身でセリムの城に忍び込むとオスミンというムーア人の番人が一日中見張っているため容易には侵入できません。
そこで、庭作りが好きな太守のお気に入りになっているペドリルロに建築家と偽って紹介させて城に入る許可を得ます。
オスミンは初めから警戒して監視の眼を緩めないので、ブロンデがオスミンをからかったり挑発したりして警戒をはぐらかすことにします。
ブロンデは石庭の石の上に寝転んで本を読んでいるオスミンを何度も邪魔して怒らしますが、オスミンはブロンデに気がり彼女に嫌われたくないのでブロンデの言うことに最後は素直に聞いてしまいます。
また、太守はコンスタンツェを愛していますが、コンスタンツェは最後まで太守の愛を拒み続けます。
ある夜、ペドリルロはオスミンに睡眠薬の入ったワインをたっぷり飲ませて眠らせてしまうと、深夜12時丁度にベルモンテと二人で梯子を使って二階の独房にいるコンスタンツェとブロンデを救い出そうとします。
しかし、運悪くオスミンが眼を覚まして作戦は失敗、2人は捕らえられてしまいます。太守は元スペインの騎士ですが、このベルモンテが憎きライバルの息子であることを知ります。
一夜明けて太守セリムは、「恨みには善行で報いる」と言い渡して、ベルモンテとコンスタンツェを解放します。
「スペインに帰ったら、俺の捕虜になったが許されたと伝えろ。俺に幾らかの感謝があれば、父親より立派な人間になれ」と諭すのです。ブロンデとペドリルロも「故国で死ね」と解放されます。
ブロンデは「太守さま、お宿と食べ物をありがとう」と礼を言います。
番人のオスミン一人が怒り狂って退場した後、太守を感謝する4人が歌い、彼等が去った後はトルコ人たちの「太守、万歳!」と人徳を称える合唱の内に幕が降ります。
このオペラには名盤が多いのですが、私は録音が古いのと、ややスケールには欠けるものの、ローテンベルガーのコンツタンツェ、クリップス指揮ウィーンフィルの演奏が好きです。
ローテンベルガーの優しいコンツタンツェ、ルチアポップの軽快なブロンデなど、とても楽しめる一枚です。
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