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世紀のソプラノ・シュワルツコップが亡くなりました   (2006.8.6)

2006年8月4日、ドイツのソプラノ歌手のエリザベート・シュワルツコップが亡くなりました。シュワルツコップは、1915年生まれですから、90歳です。
 
私がシュワルツコップを知ったのは、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のリヒャルト・シュトラウスのオペラ映画「ばらの騎士」です。この映画は1960年ザルツブルグ音楽祭でのライブで、マーゴ・フォンティーン主演の「ロイヤルバレエ」のポール・ツィンナー制作ですが、日本では一般の映画館では公開されませんでした。私は、1967年頃、偶然、銀座のヤマハホールで見ることが出来、当時これ以上考えられないというほどの豪華絢爛なキャストと、最高の演奏に酔いしれました。エリザベート・シュヴァルツコップの元帥夫人、セーナ・ユリナッチのオクタヴィアン、アンネローゼ・ローテンベルガーのゾフィー、オットー・エーデルマンのオックス男爵・・・、オーケストラは、カラヤン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。
 
シュワルツコップは、旧ドイツ帝国東部(プロイセン)ポズナニ近郊のヤロチン(現ポーランド)の生まれで、ベルリンで学び、最初はコントラルトでしたが、後に歌手で名教師のマリア・イヴォーギュンに師事してソプラノに転向し、1938年ベルリン・ドイツオペラで「パルジファル」の花の乙女でデビューしました。 その後、ウィーン国立歌劇場と契約し、コロラトゥーラ・ソプラノとして活躍しました。指揮者カラヤンに認められて、ミラノ・スカラ座、英コベントガーデン等で成功し、マリア・カラスらとともに 20世紀を代表する名ソプラノとなりました。高貴で繊細、陰影豊かな歌い回しで、「フィガロの結婚」(モーツァルト作曲)の伯爵夫人や「ばらの騎士」(リヒャルト・シュトラウス)の元帥夫人が当たり役でした。英レコード会社EMIのプロデューサーと結婚して英国籍を得、多くの録音を残し、1979年に引退、以降後進の育成に努めていました。
彼女は、完璧主義者で、指導はとても厳しかったそうです。かって、インタビューがCSシアターテレビで放送されましたが、 彼女は、「あなたは厳しい教師ですね」と言われて、次のように語っていました。「厳しくしたいのではありません。 学ぶことはたくさんある一方で、女性歌手の寿命は短く過酷なのです。太く短い授業をする必要があるのです。 残酷なようですが、遠回しに話をする暇はないのです。数年間しか時間がないので、厳しい授業についてこられない生徒はだめです。」  
私は、「ばらの騎士」の映画を観た後、「コシ・ファン・トッテ」「フィガロの結婚」のようなオペラやモーツァルトの歌曲集などのLPレコードやCDを買い集めました。でも、彼女の生のステージを見ないで終わってしまいました。彼女は、1968年から74年にかけて来日し公演したのですが、このとき見ておくべきだったと返す返すも残念に思います。
 
イタリアの名ソプラノのマリアカラス(1923〜1977)、英国の至宝バレリーナのマーゴ・フォンティーン(1919〜1991)、そしてシュワルツコップ・・・と、私が青春時代に夢中になった、20世紀を風靡した古典音楽と舞踊のプリマドンナは、皆、亡くなってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。

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