チップ
☆1)海外旅行初体験の私にとって、チップの経験はありませんでした。そのため、インドで初めてチップの習慣に触れました。添乗員さんに、チップ用のお金をいつも持ち歩くように言われたので、10ルピー札を大量に持ち歩きました。でも、インドを旅行して思ったのですが、インドの人にとって、10ルピーてちょっとしたお金なんですよね。日本で100円持っているより価値がある。だいたい、インドの人の日収は30ルピーくらいという話です。10ルピーって結構高いですよね。日本円だと35円くらいですが、インドだと色々とお買い物できますし。

☆2)さて、インド人に「どんな時にチップをあげたか」という話をします。とにかくインド人はチップをもらいたがる。それはそうですね。観光客は10ルピー札出すんですから(平均日給の1/3)。だからどこにでもインド人はいる。たとえばトイレ。まずトイレの入り口に数人、トイレの扉を開ける人がいます。次にトイレが終わって手を洗おうとした時、手洗い場の蛇口をひねる人たちがいます。そして手を洗い終わった後、手を拭く紙を持ってくる人・・。私も最初は律義にチップを払っていましたが、そのうち「こんなの仕事じゃない! 金払わんぞ!」と思って、これらのインド人から身をかわす術を学びました。私が頼んだ仕事でもないですし。インド人は別に怒らないので問題ないようでした。

ちなみに、トイレに入る時のチップは払ってました。だって、チップ受け取る人がいないようなトイレは最悪です。「やけに足元がぬかるんでいるな」とみんなで話しながらトイレに入って出てきたら、一人のインド人がやってきてトイレの前で何かし始めたんです。なんだろうと思って見ていると、トイレの入り口からトイレに向かって用を足しているんです。そりゃあ、トイレの中がぬかるんでいるはずです。トイレはお金を払ってもきれいな所がいいですね。


お金


☆1)さて、インドのお金の話です。このお金に対する感覚、日本人とインド人ではまったく違うようでした。インドに来てから最初のホテルでドルをインドのお金「ルピー」に換金しました。インドでは円よりドルの方が強いらしいので、日本の空港で円をドルに換金しておくのです。ルピーが必要なときは、ホテルの両替所に行って、ドルを渡してルピーに換金してもらいます。

初めてこの換金をしたときは驚きました。ホテルの両替所で両替を頼むと、両替所の人が札束を取り出して、ねじったり引っ張ったりしているのです。なんだろうと思って覗き込むと、札束を綴じた針金を抜いているのです。そうです。「抜いている」のです。お札を針金で串刺しにしてまとめているのです。それもちゃんとしたホテルの両替所で。旅行中見たお札はたいてい何個所も穴があいていました。どうやら、インドの人はお札を丁寧に扱うという感覚がないようなのです。

また、お札は凄く汚いです。添乗員の人が言っていた「インドは文盲率が高いので、お金の値段で色を分けているのです」というお話の「色」が分からないほど汚いのです。においも凄く「くさい」。ポケットに入れるとポケットに突っ込んだ手ににおいが付くほどでした。

☆2)インドでは「ルピー」を使って買い物をしていたのですが、「Rs 2.25」などといった中途半端な記述が良くあるんです。何かと思ったら、インドにはルピーの下に「パイサ」というお金があるそうなのです。でも、観光客相手にはルピーでしか相手をしてくれない。それどころか、ホテルの両替所では10ルピー未満の細かいお金には両替してくれない。どうやらパイサは現地の人の生活のお金のようなのです。私たちも現地の生活に近づこうとパイサ探しを敢行したのですが、パイサをお釣でもらえた人はごくわずかでした。


名所


☆1)インドで回った名所の中で印象的だった場所の話をします。

☆2)デリーの街ではガンジーのお墓が印象的でした。静かに落ち着いた場所に、ひっそりと平たい黒石のガンジーのお墓がありました。清廉なガンジーのイメージに良く合う場所でした。その場所には、ガンジーが死んでから絶やしたことのない炎が燃えていました。その場所には、多くのインド人や外国の観光客が訪れていました。インドの国旗には糸車が描かれており、インドの人にとって「ガンジー」はやはり偉大な人なんだなと思いました。世界から争いがなくなれば良いのにと思いました。

☆3)ベナレスでは、釈迦初転法輪の地で変わった人に出会いました。観光をしていると、一人のお坊さんが挨拶してくるのです。流暢な日本語だと思ったら、日本の人でした。真っ黒に日焼けしているので、てっきりインドの人だとばかり思っていました。お話を聞いてみると、この方はインドで学校を作るために日本からやって来たとのことでした。本部は神戸にあるそうです。現地の新聞にも取り上げらたということですから結構有名みたいです。いろんな人がいるのだなと思いました。

そのお坊さんはなかなか良い感じの人でした。このお坊さんのことを格好良いと思ったのは、インドでこういう活動していることを「インドまで来て学校作って遊んでいる」と言っていたことです。決して「ボランティア」とは言わず、自分の楽しみとして「遊んでいる」と言い放つ話し方。なかなかできることではないなと感心しました。私もこういう風に仕事したいなと思いました。

☆4)ベナレスでは、ガンジス川にも行きました。インドに来て、ガンジス川を見ずには帰れません。「聖なる川」ですから。ということで私たちは、早朝、インド人たちが沐浴している時間に出かけてきました。

川というと「汚い」という印象があるのですが、インド人が言うには「ガンジス川の水はきれい」だということでした。水を瓶に入れて持って帰っても腐らない。コレラ菌でもガンジス川の水なら2〜3日で死滅してしまう。こんな話を聞かされました。「これって実はやばいんじゃないの?」というのは日本人の私たちだけの考えでしょうか?

川では、舟に乗って辺りを散策しました。ガンジス川に到着した頃は、まだ夜だったのですが、舟に乗った頃に徐々に朝が近づいてきました。夜の空は少しずつ白み始め、空が淡く炎の色に染まっていきました。私たちは川越しに東の空を見ました。舟が、ゆっくりと川の流れに合わせて揺らめく中、空の端に命の光が見え始めました。辺り一面が緋色に染まっていき、太陽はゆっくりと、ゆっくりと、その小さな体を空に押し上げていきました。私たちはしばし時を忘れて緋と黒の二色の世界を楽しみました。太陽が完全に上り切った後、私たちの胸は、暖かい朝の空気で満たされました。

☆5)ガンジス川から帰る途中、私たちはインドの裏路地を歩いて帰りました。ここの凄いこと凄いこと。先ほどまで「ガンジス川の朝日」に感動していた私たちの心は、足元の牛糞&人糞のぬかるみと物売りと乞食の攻撃で揉みくちゃにされました。この落差がインドだなと勝手に感心してしまいました。ともかく道が狭くて濡れてて、くねくね曲がっている。非常に迷子になりやすい場所でした。一人で来たら、何があってもおかしくないなと思いました。

☆6)アグラでは、あのタージマハールを見てきました。ムガール王朝時代の王様が、死に別れた妻のために立てたお墓「タージマハル(美しい宮殿)」。美しい宮殿というその名に恥じない壮麗な建物でした。まず最初に見た感想は「でかい!!!」でした。テレビで見るのとは比べ物にならないくらいでかい! 本当に大きかったです。そして奇麗! さすが世界の観光名所だと思いました。このタージマハルを作った王様は、本当は対になる黒い大理石の自分のお墓も作りたかったらしいです。それも見てみたかった気がします。とにかく度肝を抜かれる大きさでした。

☆7)ジャイプールでは、風の宮殿とアンベール城に行ってきました。風の宮殿は思ったより小さく、あまり見応えがなかったです。アンベール城は山の上にあり、象に乗って山頂まであがりました。かなり山の奥にある城でした。


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