49号                                                           2001年10月

 

 

書店員はスリップの夢を見るか?

 先日、月刊「大阪人」11月号を取り寄せて購入した。月刊「東京人」よりひとまわり大きなサイズ。今回の特集は「古書店・個書店特集」である。

 この特集が素晴らしくいい。私が関東の人間なので、関西の古書店などが非常に新鮮で珍しいというのもあるかもしれない。が、本当にどの店も個性的なのだ。もう書棚の写真見てるだけでうっとり。「海月文庫」って店、行ってみたいなあ。靴を脱いであがる、壁四方が書棚の畳の小部屋があるそうな。古本屋というより、どこかの古本マニアの自宅みたいだ(笑)。こんな店なら、半日くらい入り浸ってしまいそう。古書店に限らず、新刊書店も、自店のカラー、自分の売りたいものを強く打ち出した店がいろいろ掲載されていて、興味を引いた。ああ、近くなら速攻で見に行くのに!嶽本野ばらの絶賛する、京都の恵文社という書店に行ってみたいよう。

 彼の文章を、ちょっと引用。

 「(前略)結局は本に対する愛を持っている書店員さんがいる本屋さんが勝つんですよ。ありがたいことに僕は、書店員に熱心なファンの方がいてくれるんです。その人たちが頑張って僕の本を平台に置いてくれたり、POPを作ってくれて、それで売れている。結局、書店員の愛が本をヒットさせるんだと思います。」

 そう、愛情はやっぱり大切だと思う。売上売上って数字ばっかり見てる経営者にはわかりづらいかもしれないが、ね。

 

今月の乱読めった斬り!

『センセイの鞄』☆☆☆☆☆ 川上弘美 平凡社(01.6月刊)

 ううむ、いいっ!☆5つの満点!文句なく、今年の大収穫!『椰子・椰子』(川上弘美、新潮文庫)を読んで以来、どうも川上弘美はよさそうだぞ、と思った予感がこの1冊で確実になった。ワタクシ的に、今年発見した作家ベスト1。本書は今年のワタクシ的ベスト3には入るであろう。

 もうすでにあちこちで絶賛されているし、内容も紹介されているので今更だが、これは30代後半のツキコさんという女性と、そのかつての高校時代の国語教師であった、もう「おじいちゃん」と呼ばれるようなお年の「センセイ」との、なんともほわほわした恋愛小説である。駅前の一杯飲み屋で隣あわせになったところから、この物語は始まる。

 ああ、恋愛って結局相手との距離の取り方が一番大事だったんだな、と強く思わされた。彼らは、決して相手の心やテリトリーにずかずか土足で踏み込まない。普通(かどうかは疑問かもしれないが)、誰かを好きになったりすると、もう相手のことを知りたくて知りたくて、そのひとの領域に踏み込んで陣地を確保したくて、いてもたってもいられなくなる。

 が、彼らときたら、もうじれったいほど、相手との距離をキープしつづける。その距離の取り方が絶妙にいいのだ。つかず離れず、自分の生活をそのままのテンポで保ちながら、でも心ではいつも相手のことを視野の片隅に入れていて。で、ちょろっとひととき触れ合って、また自分の日常に戻っていく。あくまでマイペースを崩さず、相手のペースもかく乱せず、そんな感じ。今の世の中からみたら、おとぎ話みたいな恋愛だ。

 お互いに、相手に異性の友人めいたのができると、これまた妙な感じに嫉妬してみたり。このツキコさんと小島孝との微妙な関係の章も実はとても好き。どちらにも簡単に転べそうな危うさとか、でもそう軽くいかないとことか、本当は大人なんだけど中身はやっぱりまだどこか子供だと思ってるとことか。ああ、なんかすごくよくわかる、この感じ。

 そうやって時間をかけて、すこうしずつすこうしずつ、ツキコさんとセンセイの距離は縮まっていく。ふたりのやることはどっかユーモラスでわけわかんなくて、でも恋愛中の行動って端から見るとこんなヘンテコなもんだよなあ、なんてふふっと笑ったりして。

 そう、恋愛って結局、その相手との距離を測りつつそろそろと手さぐりで進んでる、そこの過程、その時間こそが一番楽しいのだ。このふたりは、その微妙なところを、がつがつせずにゆっくりゆっくりと歩んでいる。そのテンポと相手への気遣いや優しさが、この物語を読む者をなんとも幸福にさせるのだ。と同時に、ぐぐっと切なさがこみあげる。

 いとしくていとしくて、どうしようもなく切なくて、ぎゅっと抱きしめたくなるような、そんな1冊。

 

『おめでとう』☆☆☆☆ 川上弘美 新潮社(00.11月刊)

 川上弘美にハマったよ第2弾(笑)。これは12章の短篇集。

 『椰子・椰子』『センセイの鞄』をたして2で割ったら、こんな味わいの短篇集ができるのではなかろうか。どこかシュールでヘンテコ、ユーモラスでいてなお恋愛小説っぽかったりするという(笑)。

 どの話もほわっとあったかい、できたてのおまんじゅうみたいな淡い甘さ。う〜ん、どれもいいのだが、ワタクシ的にはあまりリアルなものより、『椰子・椰子』度の高い話のほうが好き。つまり、日常からぶっ飛んでる率が高めの話、ですか(笑)。

 自分と同じ男にふられた気弱な幽霊にとりつかれる話「どうにもこうにも」とか、奇妙な女二人旅の「春の虫」とか、恋人が桜の木のうろに住みついてしまう「運命の恋人」とかが好きな路線。でも一番すごいのは表題作の「おめでとう」だ。驚愕。最高傑作。

 川上弘美は短篇の名手でもあったのだなあ。

 

『いとしい』☆☆☆1/2 川上弘美 幻冬舎文庫(00.8月刊)

 川上弘美にハマったよ第3弾(笑)。これは長篇恋愛小説。

 実は昔一度読んだことがあったのだが、あのときには気がつかなかったことがいっぱいわかって興味深かった(単に忘れてただけかもしれないが)。当時は、なんだか登場人物が複雑に入り組んだわけわからんヘンな話、というもやもやした印象しかなかったが、今読んでみると複雑でもなんでもない。これはマリエとユリエというふたり姉妹の、それぞれの恋を描いたものだったんだ。もちろん、それ以外のひとたちの恋も書かれてるけど、スポットライトが当たってるのはなんとも対照的な、この2種類の恋だけだったんだ。

 ふたりはそれぞれ、紅郎とオトヒコさんという相手を見つけるのだが、その思いはどちらもだんだんズレが生じてくる。で、やっぱり話は川上弘美らしいシュールさになっていくのだが(オトヒコさんの書き方がすごい)、どちらも相手を強く愛しているのにそうなってしまうところがなんとも切ない。

 さらには紅郎の気持ち、鈴本鈴郎、ミドリ子、チダさんの気持ちも、一見妙ではあるが、実は一途で切ないのだ。互いの強い愛が交錯しあい、からみあう。

 強烈なようで淡白なような、濃厚でいてさらっとしたような。この小説には名状しがたい空気が漂っている。わからない人には全然理解できない話かもしれない。でも、わかる人にはこれがなんだか、すぐ理解してもらえるであろう。ここに書かれてるのは、さまざまな愛と、その終わりなのだ。

 

『西の魔女が死んだ』☆☆☆☆ 梨木香歩 新潮文庫(01.8月刊)

 西の魔女が死んだ。魔女とは、中学生の少女、まいの母方のおばあちゃんのことだ。2年前、ちょっとしたことで登校拒否になったまいは、ひと月あまりをこのおばあちゃんの家で過ごしたのだ。まいの回想から、この物語は始まる。

 心に傷を負ったまいを、なぐさめるでもなんでもなく、ゆっくりとおばあちゃんはその傷を癒していく。その方法は、地に足のついた生活をさせることだった。森や畑をゆっくり歩き、ジャムを作り、早寝早起きをする。そういう、ごくごくシンプルな、でも生き物としての人間らしい生活だ。おばあちゃんは物知りで、生活におけるちょっとした知恵を何でも知っている。さらには死についてなどの、人生の知恵も。それらの知恵や知識、さらには超能力(というと大げさだけど、第六感かな)をもった人間を、おばあちゃんは「魔女」と呼ぶ。

 このおばあちゃんの、教えるでもない教えがなんといっても秀逸だ。おばあちゃんは、自分の歩いてきた道に絶対的自信がある。それは自分でなんでもやってきた、という確かな手ごたえだ。このふたりは、どことなく、ハイジとおじいさんを連想させる。まいは、ここで少しずつ自分の潜在的に持っていた生きる力に気づき始める。ひとつひとつ、自分の力でクリアしていくことで、彼女は自信を取り戻すのだ。

 ゲンジさんに象徴される、現実の汚濁みたいなものへの、まいの嫌悪感もよくわかる。それから逃げることなく、全てをあるがままとりこもうとするおばあちゃん。そこでちょっとすれ違ってしまったふたり。でも、おばあちゃんの器はやっぱりずっと大きかったのだった。

 祖母と孫娘の心の交流に、ほっくりと心あたたまる。このおばあちゃんは実に素敵な「大人」だ。こういう大人が近くにいる子供は、本当に幸福だと思う。読後感が爽やかな、とてもいい物語だ。このカントリーな生活をいいなあと思うと同時に、自分のことを思わず考えてしまった。私の立場は、まいの母親とよく似てる。それがいいかどうかはともかくとして。

 

『泣く大人』☆☆☆☆ 江國香織(世界文化社、01.7月刊)

 以前出したエッセイは『泣かない子供』だった。そして、今回のタイトルは『泣く大人』。彼女は、「泣く大人」になったと自ら語っている。泣くことができる大人になれてうれしい、とも。そう、たぶん彼女は泣きたいときも笑いたいときも、いつでも自分の気持ちに正直に生きているんだと思う。そんな彼女の日々の生活や、ちょっと昔の留学時代の話、男友達について、読書ノートなどがつづられている。

 どこを切っても、すべて江國さんらしいエッセイだ。彼女は、小説とエッセイとのギャップがあまりない作家だと思う。彼女は、自分にとって何が幸福で何がそうでないかをよく把握している。というか、その選別に対して実に真摯だ。そして、好きなものにはとことん愛を語ってくれる。レーズンバターでも、ハンカチでも、男性でも、本でも。彼女の、好きなものについて語っている文章がとても好きだ。こちらにまで幸せな気持ちが伝染するから。しかも、そこここに彼女らしいセンスのよさが光る。なんとも心地よいエッセイ。

 そして、その幸福な文章の奥底にある、かすかな切なさが、何より私を江國香織から惹きつけて離さないのである。

 

 

このコミックがいい!

 『MOONLIGHT MILE』1・2巻、以下続刊(太田垣康男、小学館ビッグコミックス)

 『プラネテス』1,2巻(幸村誠、講談社モーニングコミックス)を取り上げるなら、こちらも紹介しなくては片手落ちである。というくらい好対照の、近未来宇宙開発物コミック。ただし、両作品のテイストは全く違う。

 『プラネテス』が青年の宇宙に対するピュアでまっすぐな憧れを描いた作品だとすれば、こちらはもっとずっと大人の作品である。汗臭く、泥臭く、男臭く、おやじ臭い(笑)。主人公は、猿渡という名前がぴったりの、なんとも原始的なおっさんだ。なのに、その骨太の魅力にいつのまにか惹かれている自分に気づく。そう、「こち亀」の両さんタイプなのだ、彼は。飾らず気張らず、図太くしたたかで超人的に強靭で、自分を突き動かす本能だけで生きている。その彼の、宇宙への思いは実に単純明快。いわく、「地べたに飽きた」。「宇宙に行くんだ!」という燃えるような闘志、というよりは、「まあヒマだし、宇宙でも行ってみっか」みたいな、肩の力の抜け方がいい感じ。

 宇宙開発における、さまざまな人間達のドラマ、という点では『プラネテス』と同じだが、こちらはそのドラマも汚職や女性関係と、人間臭さが渦巻いている。ある意味、こちらのほうがより現実的かもしれない。そして、人類は少しずつだが、着実に宇宙への歩みを進めてゆく。

 不良中年宇宙飛行士、猿渡悟郎。やってくれるぜ。カッコいいぞおっさん!

 

特集 北野勇作

 今年最大の、私的読書収穫は、なんといってもこの作家の作品に出会えたことである。ああ、『クラゲの海に浮かぶ舟』(徳間デュアル文庫)を読んだときのショックと感動を、どう表現したらいいのだろう。とにかく、こんな形の小説を読んだのは、まさに生まれて初めての体験だったのだ。難解なパズルを読み解いたときにぼんやりと浮かび上がってくる、その物語の真実の姿がかいま見えたときの驚愕と興奮。そして全編にそこはかなとなく漂う、ノスタルジックな哀しさと美しさ。今、イチオシのSF作家である。

 彼の作品4冊ぶんのレビューを紹介しよう。

『かめくん』☆☆☆1/2 北野勇作(徳間デュアル文庫、01.1月刊)

 北野勇作、初挑戦。なんとも不思議でどこか懐かしい味わいの、のほほんSF。

 かめくんは、厳密に言うと動物の亀ではなく、亀を模した2足歩行のレプリカント。レプリカメとも呼ばれる。かめくんは以前勤めていた会社が吸収合併されたため職を失うが、なんとか次の仕事と住まいを見つける。その仕事はなんだか謎で…。

 人間の世界に溶け込んでひっそりと暮らすかめくんの、ささやかな日常がつづられる。それはユーモラスで、まったりと心安らぐものである。が、その舞台である人間の世界が、この現実と近くはあるがなんとな〜くアヤシゲなSF世界なのだ。こういうの、超日常っていうんですかね?著者はあえて、それを明確にくっきりとは描かない。かめくんの仕事がなんなのかさえ、読者にもかめくんにも、具体的には何一つわからない。ただ漠然と、なんだかズレた世界。

 かめくんは昔の記憶がない。思い出そうとするのだが、甲羅の中にデータが入っていそうなのだが、出てこない。自分はいったいどこから来たんだろう?自分は何なのだろう?かめくんは己の存在について、いろいろと考える。考えてもよくわからないのだが。それでもかめくんは考える。なにか、ここにも深い謎が隠されているような…。

 純真で優しくて物静かな子供みたいな心をもった、かめくん。その姿はどこか哀愁をおびていて、切ない。なんだか、そのあたりの街角で、ふいにかめくんに会えるような気がする。いつかどこかで、かめくんに会いたいな。

『クラゲの海に浮かぶ舟』☆☆☆☆☆ 北野勇作 (徳間デュアル文庫、01.9月刊)

 皆に絶賛される『かめくん』を読み、『昔、火星のあった場所』を読んでも、どうもイマイチぴんと来なかった北野勇作。『火星〜』などは、あまりの難解さに、乱読さえ書けずにさじを投げる始末。が、本書によって、彼に対する私の見解は見事にくつがえった。そうか、そういうことだったのね、やっとわかったよ!これは、まれにみる、いや、おそらく彼だけにしか書けない、ものすごい傑作だ。この言い方に多少の語弊はあろうが、思い切って言い切ってしまおう。彼は「天才」だ。

 本書の小説技法、世界構築方法とは何か。なんだかわけわからん小説では断じてない。実は、まさに小説そのものが「ジグゾーパズル」なのだ。読者はう〜むと頭を抱えつつ悩みつつ、そのばらばらなピースをひとつひとつ、くっつけていく。すると最後に、あっと驚く異世界地図が完成するという仕組みなのだ。この知的興奮ときたら!全編「?」だらけなのだが、まず謎があって、それを解いていく、というミステリなんかとはまた全然違う。バラバラなものを組み立てて、ひとつの異世界地図を作り上げていくわけだ、読者自身が。しかも、その中に美しさと悲しさと、そして何よりもどこかノスタルジックな切なさがある。

 とにかくこんな小説を読んだのは生まれて初めて。全くオリジナルな小説の形。確かに、世界中のひとから認められる作品ではないかもしれない。正直言って、小説としてわかりにくいのは否めない。一度読んだだけではわからないし。でも、これを読んでいて「はっ!もしや…!!」と、そのパズル完成間近に浮かび上がってくる、異世界地図が見えてきたときの震えがくるような感動!この難解さだからこそ、の感動なのだ。著者は全て計算しつくした、確信犯なのだ。

 ネタバレになるので、ストーリーは一切説明しないでおこう。いや、説明のしようがないというほうが正しいか。

 ごく一部の人しか理解できない小説かもしれないが、それでも世界中で私だけは、彼をすごいと思う。いや、もちろん、そう思うのは決して私だけではないはずだ。

『昔、火星のあった場所』☆☆☆☆ (徳間デュアル文庫、01.5月刊)

 北野勇作作品のなかでも、最も難解。一度読んだだけでは全く理解できず、重要部分はメモを取りながら再読して、やっとなんとかおぼろげに見えてきたかも?くらいの理解度。それでもこれも、『クラゲ〜』と同じ、パズル形式の小説だ。が、とにかく、パズルのピースのつなげ方がむちゃくちゃ難しい。これを一読で理解できる読者はかなり少ないであろう。だが、『クラゲ〜』の魅力がわかる方なら、チャレンジする価値はおおいにある。

 これもやはりストーリーを説明できない小説なのだが、ちょっと私の読み解いた地図をおっかなびっくり書いてみようかと思う。これが正しいのかどうかは全くわからないし、まだまだ完全には理解しきれてないので、はなはだ不安ではあるのだが。(以下、ネタバレ。既読の方のみ、ドラッグしてお読みください)

 まず、現実世界の地球では環境問題などの世界の危機がおきていた(p184参照)。そこでは猿(人間)と蟹(有機マシンまたは完全自動機械)のふたつの勢力が争いを繰り広げており、彼らは相手より優位に立つために、火星の権利を欲しがっていた。そこで、彼らが手を結ぶためにと、ある物理学者が「門」を作ったのだが、結局双方がこれをとりあい、同時に使用し、世界は歪んでしまった。その歪んだ世界のぐちゃぐちゃになった記憶で、この小説は構成されている。

 「門」というのは「どこでもドア」のようなワープ装置である(p184参照)。これが、彼女が乗っていた火星への「宇宙船」と呼ばれるものである。これを使って火星へワープする途中、何らかの事故がおきた。それに乗っていた冷凍睡眠中の宇宙飛行士たちのうち、彼女だけが目覚める。彼女は、ひとりで、破壊されたメモリー(記憶)をなんとか再構築し、いくつにも歪んだ世界を建て直そうとする。

 彼女はこの船を管理するための人工知能として、小春を作る(その際、メモリがどうしても足らず、そこに眠っていた他の宇宙飛行士の脳を使った。それが「鬼」である)。そして小春のメモリ内に、種をまいた。種とはメモリ内の種子ユニットである自己発展型ソフトウエア、すなわち「ぼく」である。「ぼく」は、この宇宙船内のメモリであり、事故によってめちゃくちゃになった記憶そのものなのである。「ぼく」はやがて成長し(柿の木)、プログラムが作動して(時計屋が時を告げ)、世界の再構築を始める…。

 ラストで、この歪んだ世界をクッションにして、「列車」=有機マシン(タヌキ)の全データと、「宇宙船」=彼女が再構築した世界のメモリが衝突して、その相互作用で歪んだ世界は元通りになる(有機マシン(蟹またはタヌキ)が、人間に『柿の実』(火星の権利)を渡すかわりに『新しい種』(新しい種子ユニット=ぼく)を手に入れる、ということか?ここらへんはまだ意味不明)。

 そして、不確定ないくつもの世界の中から『たったひとつの現実』を選びとる。舞台は現実の地球に戻り、空にはちゃんと火星が浮かんでいるのだ。

 ああ、やっぱりまだうまく説明しきれてないなあ。いや、理解しきれてないというべきか。量子力学がわかれば、もっと理解しやすくなるのだろうか?いやはや、本当にやっかいな小説だ。だからこそ、魅きつけられるのだが。

『ザリガニマン』☆☆☆ (徳間デュアル文庫、01.10月刊)

 『かめくん』の姉妹編。なるほど、確かに裏設定は同じ話のようだ。例によって、この世界もはっきりとは読者に説明されない。登場人物たちのバックに、ぼんやりと見え隠れするピンボケした背景。それは超日常的SF世界だ。

 『かめくん』でも映画撮影や映画シナリオが出てくるが、こちらではその映画の人類の敵役として、ザリガニが使われることになる。トーノヒトシは、そのザリガニを仕事でつかまえに行く。その開発実験中に事故がおき…。

 (以下、ネタバレ。ドラッグしてお読みください)

 ストーリーは、北野勇作の小説にしては断然わかりやすく、読みやすい。パズル部分もほとんどなく、ほぼそのまんまである。が、ひとつ今までの作品と明確な感触の違いがある。それは、読後感の生理的不快さである。もちろん、北野勇作はいつでも確信犯であるから、これは意図した不快さである。今までの作品が、どれも透明な鉱石のような美しさを放っていただけに(しかも私自身はそこをこよなく愛していただけに)、これには驚愕した。ううむ、ホラー路線に行くのか、北野勇作?まあ、それならそれでもかまわないが。でもやっぱりちょっと残念ではある。


 これから、北野勇作はどういう方向に進んでいくのだろうか。様々な方向があると思うが、どちらであれ、他の誰にも書けない、あっと驚くようなSFをもっともっと読ませて欲しい。彼の今後に大いに期待している。

 

 

あとがき

 9月に引き続き、10月もとほほ〜。毎度申し訳ありません。

 先日、久しぶりにプラネタリウムに行ってきました。前に行ったのはいつだろう?確か結婚前だったから、6年以上のご無沙汰だあ!懐かしの満天の星空を堪能してきました。それにしても五島プラネタリウムの解説はやっぱり素晴らしかったんだなあと実感。やっぱりあの余韻を残す、美しい締めでないと!(安田ママ)


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