『世界音痴』☆☆☆☆ 穂村弘 小学館(02.4月刊)

 歌人のエッセイなのだが、これが傑作。爆笑。自己愛炸裂のダメ男っぷりが実になんというかすごいんである。現実と架空が絶妙に入り混じり、自分語りと自分の妄想がごっちゃになって綴られる。世間と折り合いをつけるのがとてもヘタクソな年齢ってあるでしょ。普通は10代20代あたり。でもそれを過ぎれば現実に揉まれて、外の世界ともなんとかうまくやっていけるようになるじゃないですか。でも彼はいまだにダメ。うまくやれない。つまり、「世界音痴」。

 非常に不器用な、とても無垢な人。すごいロマンティストだし。しかし、その自分語りがとにかく猛烈におかしくて!電車の中で読むのは禁止。ていうか怪しまれるのでやめましょう。2ページに1回は吹き出します。

 この方がどのくらい変わってるのか、ひとつエピソードを紹介しましょう。彼は眼が悪いので、コンタクトを入れてるそうです。でも眼鏡をかけてます。伊達眼鏡ではありません。レンズの入ってない、枠だけの眼鏡をかけてるんですよ!(笑)それも「女性はみんな眼鏡の男が好き」と信じているから、という理由で!

 でも、なんかわかるんだよなあ。彼の言うこと。私と同じ、とは決して言わないけれど、どこか共感してしまうところがある。ちょっと母性本能くすぐられるところもある。惹かれる女性は多いのでは。でも続かない、というのもなんとなくわかる(笑)。

 おもしろうて、やがてかなしき。そんな言葉が読後に浮かんでくるようなエッセイ。もう本当にひとつひとつのエピソード、全部いいです。あ、あと東直子さんの短歌をちょっと読んでみたくなりました。

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『さみしさの周波数』☆☆☆☆ 乙一 角川スニーカー文庫(03.1月刊)

 4つの短編からなる作品集。どれも違う味わいで、楽しめた。

 「未来予報」は、未来が見えるという友人に「お前たちいつか結婚するぜ」と予言された、幼馴染の男女ふたりの心のすれ違いを描いたもの。小学生や中学生の多感な頃の、お互いなんとなく意識しあってしまうぎこちなさ。ああ、覚えがあるよ、こういうの。とても懐かしい感情。誰しもが、思い当たるふしがあるのではないだろうか。

 当たるかわからない“未来予報”というアイデアがいい。2つの漠然とした未来と、ひとつの現実。ちょっとSFと言えるかもしれない。

 自分に価値が見いだせなくて、つまらない存在としか思えなくて、孤独で不安で。かといってどうしたらいいかもわからなくて。そんな絶望にある主人公に、彼女は言う。「意味のない人生はない。私はそう思うの。」10代や20代の頃に、こういった悩みを抱えないひとはいないのではなかろうか。そんな読者に、乙一はそっとやさしく声をかけてくれるのだ。「あなたがいてよかった。だから泣かないで生きていて。」この物語は、著者から読者へのエールである。

 「手を握る泥棒の物語」は彼らしいどこかヘンテコなユーモラスな話。「フィルムの中の彼女」は、独白でつづられる悲しい怪奇譚。淡々と語る女の子の話から、じわりじわりと事実が浮かび上がっていく様は実にうまい。「失はれた物語」も、やっぱりこんなヘンな話は乙一しか思いつかんだろう、という話。机の上でピアノを弾く真似をするというのはあるけど、それを人間の腕の上でとは。まさに音楽の如く、静かにデクレシェンドして終っていくラストは、なんともいえぬさみしい余韻を残す。

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『半落ち』☆☆☆☆ 横山秀夫 講談社(02年、9月刊)

 拝啓 横山秀夫様

 昨夜、あなたの本を初めて読みました。『半落ち』です。…やられました。なんて、なんて心優しいミステリなのでしょう。などと書くと、異論を唱える方がいらっしゃるかもしれません。でも、私はこの本から、あふれるような他者への優しさを感じたのです。人は、ここまで人のために優しくなれるのでしょうか。自分の身を捨てても守りたいものがある人は、こんな澄んだ目をしていられるのでしょうか。

 「半落ち」。この言葉は初耳でした。犯人がすべてを洗いざらい自白するのを「完落ち」、犯罪は自供しても、そのすべてを語らないことを「半落ち」というのですね。アルツハイマーの妻を殺害し、自主してきた梶警部。でも彼は自首までの2日間の行動については一切語らなかった。その謎は、この物語の章立てが示すとおり、警察内部の6人の人間にバトンのように引き継がれていきます。彼を取り調べた指導官→検事→新聞記者→弁護士→、といったように段階を踏んで。そして彼にかかわる誰もが、その澄んだ目にひきつけられていく。この男の沈黙の奥には何かある、と。

 彼を調べていく過程を描きながら、警察内部の軋轢や、さらにはその6人の生きざままでありありと映し出すその手腕には舌を巻きました。それぞれの人生の苦さ、つらさ、やるせなさ。だからこそ、彼らは優しいのですね。そう、この物語では、誰もが無私の優しさを持っているのです。自分にとってなんの得があるというわけでもないのに、赤の他人である梶警部を、なんとかして「救ってあげたい」と。

 真相が明らかになったときは、ただただ涙でした。もう一度書きます。人は、ここまで人のために優しくなれるのでしょうか。

 この本が読者に支持されているという事実が、とてもうれしいです。こんな世の中ですが、やっぱり誰もが、人を信じたいのではないでしょうか。硬い社会派ミステリでありながら、同時に心温まる人情ミステリでもある。素敵な物語を、ありがとうございました。

敬具

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『グラン・ヴァカンス』☆☆☆1/2 飛浩隆 早川書房(02年、9月刊)

 ハヤカワSFシリーズJコレクションの新刊。塩澤編集長から発売前にゲラをいただいて読了。

 この著者の本は初めて読んだのだが、その筆力には脱帽。なんという場面の鮮やかさ。描写が非常に映像的で、挿絵などひとつもないのに、脳裏にカラーで絵が見える。ギリシャを連想させるような古く入り組んだ石の街、青い空と海。グロテスクな場面さえ、なぜか美しさすら感じさせる。そして、硝視体の透明で神秘的な輝き(私はラピュタの飛行石を思い浮かべてました)。

 これは実在しない街の話。ネットワークのどこかにある、仮想リゾート〈数値海岸〉の一区画〈夏の区界〉。人間が、つかの間の憩いのために訪れる街。そこにはAIがいて、普通の街のように機能していた。最初の50年のあとはなぜか訪れるゲストも途絶え、その後1000年もの長い間続いていた、永遠の夏。が、ある日、突然「蜘蛛」が襲撃してくる。街は一転して地獄に…。

 要するに、「ウルティマオンライン」みたいな電脳世界がどこかにあって、その登場人物たち(ゲームをプレイしてる人間じゃなく、もともとゲームの中にいたキャラ)はそれぞれ意識や感情があるんだけど、突然何者かの襲撃に遭って破壊されていく、といった話です。ネットやゲームに慣れてる方のほうが、すんなり入りやすいかも。私はとにかくバリバリのSFだ!と思いました。って当たり前か。

 しかしこれ、率直に言うと、かなり「痛い」話である(ニュアンスが難しいけど、「イタイ系」とかじゃなくて。普通に怪我したときや、感情を傷つけられたときの「痛い」)。著者の筆致が鮮やかなだけに、彼らの感情や、痛みまでこちらにダイレクトに伝わってくる。私はいちいち感情移入して読んでしまうタチなので、これはつらかった!全編、残酷物語なので、ある意味。いったいなぜ、著者はこんな過酷な設定にしたんだろう?と思わず考えてしまうほどのつらさ、苦しさ。

 なのに読むのをやめられない。けっこうな量があったように思ったけど(2段組だし)、ノンストップで読んでしまった。SFマガジン10月号掲載の短編、飛浩隆「夏の硝視体」もあわせて読むことをオススメ。SFマガジン11月号には「蜘蛛の王」が掲載されてるから、これも読まねば。ああとにかく、続きが早く読みたい!『グラン・ヴァカンス』は3部作だそうなので、あと2冊。楽しみ。

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『王国 その1 アンドロメダ・ハイツ』☆☆☆☆ よしもとばなな 新潮社(02.8月刊)

 山奥で、ずっとおばあちゃんと二人きりで、薬茶を作って生活していた私。山が開発されて草がとれなくなり、おばあちゃんは突然外国へ嫁いでしまう。そして私は山を降りて都会で暮らし始め、楓と出会った。「これは、私と楓をめぐる、長く、くだらなく、なんということのない物語のはじまりだ。(中略)つまりはちょっとゆがんだおとぎ話だ。」

 物語の奥底に流れているものが、どことなく精神世界関係の匂いを帯びている。俗世間から離脱しつつあるというか、いや、もうとっくに離脱してるのかも、ばななさん。なんだか1ランク上の世界にいっちゃってるような感じがする。

 でも、根っこはやっぱり昔のばななちゃん。おばあちゃんの描写といい、楓の描写といい、とにかくこのひとの、人の心のきれいさを書く文章がとても好きだ。美しさ、ではなくて、きれい、という感じ。どういったらいいんだろう、それはまるで朝の芝生についた露のような、素朴で純粋なきらめきなのだ。このひとは本当に人間を愛してるんだなと思う。そう、ここには愛が書かれてる。人間だけでなく、植物や自然、とにかく自分の周りのもの全てへの愛が。

 このひとの書くものは、いつもまっすぐに正しい方へ向かおうとしている、そんなところがあるように思う。穢れないもの、よこしまでないもの、純粋なものへと。思いがいつもストレートで、それを受け取るたびに私は「うん、わかるよ、わかるよ」とうなずくのだ。

 確かにおとぎ話なんだけど、だからこそ、心洗われ、清らかですがすがしい気持ちになれる。ちょっとばななさんの初期の頃に戻ったような感じがする。あの頃のキラキラが、この物語にはあると思う。

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『ポプラの秋』☆☆☆☆ 湯本香樹実 新潮文庫(平成9年、7月刊)

 突然父親を亡くした7歳の私は、まだぼんやりしている母とともに、大きなポプラの木があるアパートに引っ越す。そこには、大家さんのおばあさんが住んでいた。熱を出すようになった私は、昼間はおばあさんに預けられる。やがて、ふたりは打ち解けるようになり…。

 唐突に父がいなくなってしまったことが納得できず、気持ちの行き場がなくて戸惑う子供の気持ちがとてもよく書かれていた。小さいながらも母を気遣い、自分がしっかりしなくちゃと緊張するあまり、熱を出してしまうそのけなげさ。「あの世への郵便屋」だと言うおばあさんに、父への手紙を託す子のいじらしさ。決してお涙ちょうだいではなく、子供の気持ちがとても素直にそのままに書かれているのだ。小さいながらも悩み、苦しみ、おびえ、でもそれを誰にも(母にすら)言えず、周囲を気遣う、そんな繊細な感情が。

 おばあさんは、そんな不安定だった彼女の心を支えてくれた、とても大事な人だった。最初はこわかったけど、いつしか心を通い合わせるようになる。ぶっきらぼうながら、心暖まるふたりの交流。おばあさんが、彼女をへんに甘やかしたりせず、子供扱いしないところがいい。距離のとり方が適度というか。

 おばあさんが死んだあとの話が、またすごくよかった。今初めて明らかになる驚きの真実に、ただただ涙がこぼれた。温かな気持ちになれる、心に深く沁みる1冊。

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『夏の庭』☆☆☆☆1/2 湯本香樹実 新潮文庫(平成6年、2月刊)

 『西日の町』を読んでいたら、この著者の既刊をニムさんに薦められたのでチャレンジ。…大傑作。今まで未読だったことが口惜しい。最初からオチがわかってるのに、後半はもう泣きっぱなしだった。

 小学6年生の3人の少年。その中のひとり、山下の祖母の葬式の話を聞いて、彼らは近所の一人暮らしのおじいさんの死をみようと、その家を観察するようになる。が、その「観察」はすぐにおじいさんの知るところとなり、いつしか深い「交流」に変わっていく。

 子供たちの気持ちもよくわかるけど、むしろ、おじいさんの気持ちに共感して泣けた。最初は生きてるのか死んでるのかわからないような淀んだ暮らしをしていたのが、子供たちとかかわるようになってから、だんだんと生活にハリが出てくるところ。しおれた花が水を与えられたように、みるみる生き生きしていく様が、なんだかとてもうれしかった。種屋さんのおばあさんと昔話に花が咲くところも泣けた。

 そして少年は知るのだ。老人には、今まで歩んできた人生が心の奥に地層のようにちゃんとあるんだと。楽しかったことも、苦しかったことも。それは彼らの知らない世界。自分達のテリトリーをはるかに越えた、広く深い世界だ。彼らはおじいさんと知り合ったことで、自分の世界をひとつ外へ広げてゆく。

 いつしか大好きになっていた、そのおじいさんの死にあって、彼らはぐっと成長していく。ラストシーンのひとまわり大きくなった3人に、じんときた。失われゆく命と、育ってゆく命。もう本当に、何もかもが素晴らしい1冊。

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『西日の町』☆☆☆1/2 湯本香樹実 未刊(文藝春秋より9月10日ごろ発売予定)

 この著者の作品は恥ずかしながらオール未読だったので、「へえ、こんな感じのひとだったのか」とちょっと意外な驚き。梨木香歩みたいな、ちょっとファンタジーがかった作風なのかと思っていたら、意外にリアリズムのひとだった。

 主人公(現在40過ぎの男性)が、10歳の頃に1年ほど一緒に暮らした「てこじい」を回想する、といった内容の話。てこじいは、主人公の母方の祖父。離婚して母親と二人暮しをしている主人公のもとに、ある日ひょっこりてこじいは現れた。まるで浮浪者のような、ぼろぞうきんみたいな風体で。そして居間のすみっこに座るなり、彼はそこに住み着いた。

 母とてこじいのなにやらいろいろ込み入った過去と、それによる激しく愛憎入り混じった母の感情。そして僕とてこじいの、これまた微妙な心の触れ合い。それらが、淡々としたリアルな筆致で語られていく。

 過去と現在がいきかう描写により、内容にぐっと深みが増している。子供の視点からみた「てこじい」だけでなく、現在の年齢である大人の視点からみた「てこじい」も語られているから。昔はわからなかったけど、大人になった今ならわかること。さらには、現在の自分の状況(離婚して以来音信不通だった、そして今死にかけている父親からの電話、など)。それらからじんわりと染み出るのは、どうにもできない人生の哀しみ。

 3人で、深夜に貝を食べるシーンが、まるで映画のワンシーンのように鮮やかで、とても切ない。

 ひとことではいい表せない、親への、そして子供への愛憎を描いた傑作。どちらかというと、純文学に近いテイスト。

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『海辺のカフカ(上、下)』☆☆☆☆ 村上春樹 未刊(新潮社より9月12日発売予定、公式サイト

 村上春樹、待望の書き下ろし長編。新潮社様のご好意により、ひと足お先に読ませていただきました。

 読み始めてすぐ、おおっ!と心で叫ぶ。これは私的村上春樹オールタイムベスト1の大傑作『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と同じ手法を用いた小説である。2つの全く異なる世界が、奇数章と偶数章で交互に語られていく。かたや15歳の家出少年の話、もう片方は猫と話が出来るという不思議な老人の話。一見全然別の話のようだが、でもどこか繋がりのあるようなないような。村上春樹独特の、不条理でわけのわからない世界が展開していく。

 人生における真実というものは、ストレートに書くにはあまりに重過ぎる。思うに、著者はあえてこういうシュールな設定を用いることにより、一見全くヘンテコな架空の物語にしておきながら、その中に密かに普遍的な「真実」をぽつぽつと挿入しているのではないだろうか。それはあくまで村上春樹の考える「真実」であるが、おそらく幾多の読者の胸を打つに違いない。恋について、生について、死について、そして人生について。私の胸の奥に、ひそかに抱いていた言葉にならない漠然とした思いを、彼は淡々とした美しい文章にして目の前に示してくれたのだ。

 そしてやはり、彼の小説に必ず出てくる共通項がこの作品にも登場する。それは「空白」だ。心の中にぽっかりあいた穴。さみしくうつろな穴。主人公の少年、田村カフカも、謎の老人ナカタさんも、心に大きな空白を抱えているのだ。しかし今回ちょっと「あれっ」と思ったのは、いつもたいがい登場人物が空白を抱えたままで終るはずの彼の小説が、今回はラストにその穴がきれいにふさがって終ることだ。とても美しく、完璧な、切ないかたちで閉じている。ここには、いつものやりきれない脱力するような読後感はない。じんと心に沁みる、静かで満足感のある読後感が残る。

 村上春樹作品を全部読破してはいないのだが、既読の中ではおそらくベスト3に入る、個人的にとても好きな話。

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『GOTH』☆☆☆☆1/2(乙一、角川書店 02.7月刊)

 乙一、またしても最高傑作を更新。やっぱり彼は狂っている。クレイジーだ。そして天才だ。

 高校生の僕と、クラスメイトである長い髪の美少女、森野。彼らは人知れず、特殊な趣味を持っていた。それは、猟奇殺人や残酷な事件といった、人間の暗黒部分に強く惹かれるという性癖だった。これは、彼らが遭遇する血なまぐさい数々の事件を描いた連作短篇集である。

 ハートウォーミングなストーリーで「切なさの達人」と呼ばれた乙一とはまるで正反対。それらを光とするなら、この話はまさに影。全編、暗黒と狂気。人の心の闇に魅力を感じる主人公たち。彼らには生ぬるい良心など存在しない。そのストイックなまでに人間離れした異常さ、冷酷さ、残酷さに悪寒が走る。

 ところが、だ。なぜ人は「毒」に惹かれてしまうのだろう。気がつくと、その苦くて甘美な毒の虜になっているではないか。そのピリピリと痺れる強い刺激が、怖いと思いつつも、嫌だと思いつつも、いつしか後ろめたい快感に変わっていく。この二人に、いつしか魅入られている自分に気づく。それは、乙一の語りに引き込まれているということだ。たぶん、彼は感情を語るということに絶大な才能があるのではなかろうか。それが切なさであれ、異常さであれ。ベクトルが逆なだけで、本質はおそらく同じだ。彼の中に、さながら繊細なガラスのように、柔らかなゼリーのように、それは存在するのだ。

 しかもこれ、ただのホラーではない。れっきとしたミステリではないか!してやられた。まいった。特に「犬」、「土」、「声」。

 乙一の、暗い魅力が炸裂する1冊。痺れます。恍惚。

 蛇足だが、ふと気がついてカバーを外してみて、さらに悪寒が。こわいよー。

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『第四の扉』☆☆☆☆(ポール・アルテ、ハヤカワポケミス 02.5月刊)

 ミステリマニア、絶賛の1冊。私はミステリにはとんと薄い人間だが、それでもめっぽう面白かったいやあ、こんなに何重にも仕掛があるとうれしくなってしまう。えっ、まだあるの?まだあるの?みたいな。

 実に古式ゆかしい、端正な正統派ミステリといおうか。とても1987年の作とは思えない。どこかに埋もれてて、最近発掘された古典名作ミステリを読んでるような感覚。幽霊屋敷に交霊会、といった舞台設定の醸し出す雰囲気もまた古めかしくて、ホントに新刊?と思うほど。

 著者はまさに謎解きにのみ命を賭けている。密室殺人をはじめ、とにかくこれでもか、というほど全編謎だらけ。話は実にシンプルで、まさに「ミステリ」の骨格しかない。よけいな肉がすべて削ぎ落とされてて、むしろ爽快。本当にトリックだけの、直球剛球勝負。そして、着地のなんという鮮やかさ!やっぱりミステリはこうでなくちゃ!

 また面白いミステリを紹介してくださいね、kashibaさん

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『麦ふみクーツェ』☆☆☆☆(いしいしんじ、理論社 02.6月刊)

 ひょっとするとこのひとは、こどもの感性のまんまで大人になった、稀有な作家なのかもしれない。

 ああ、この物語を、いったいどう説明したらいいのだろう。ストーリーだけ話したら、「なにそれ?」と言われそうな、実に空想的で荒唐無稽な物語。昔、子供の頃読んだ童話のよう。『燃えながら飛んだよ!』という童話をご存知の方はおられるだろうか。子供の頃大好きだった、この本をふと思い出した。話は全然違うけど、その余韻がどことなく似てるのだ。ストーリーはなんだかあまりにも突飛というかよくわからない話なのだけれど、そのイメージだけは強烈に残るような、そんな物語。

 これは、「ねこ」とあだ名される少年の物語。彼の波乱万丈の劇的な人生がつづられている。手法は童話的、寓話的。著者は、人生をリアルに描くのではなく、まるでおとぎ話のように描くのだ。写実的とは正反対の方向から。そう、彼は感性という名の筆で物語をつづるのだ。それも、みずみずしい子供のような感性で。

 少年がぶちあたる、これでもかというほど多くの人生の悲喜劇。でたらめで、むちゃくちゃで。しかし、どんなこともみな一緒なのだ。いいも悪いもない。麦ふみクーツェはそう語る。世界中のどんな音も、すべて音楽であるのと同じように。いろんなへんてこな人間達が、この世界を形作っているように。一見荒唐無稽なようで、実はこの物語には人生の真実がこめられている。

 人生を「音」というものに託して語った、とても壮大な、感動的な物語。

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『MOMENT』☆☆☆1/2(本多孝好、集英社より8月末発売予定)

 デビュー作『MISSING』が文庫化され、それが注目されて現在好調に売れている著者の、待ちに待った最新作。2冊目の『ALONE TOGETHER』が、ちょっと予想外の方向にいっているようだったので、3冊目の本書がどうなのか、とても気がかりだったのだ。

 端的にいうと、『MISSING』は加納朋子系のほのぼのミステリ、『ALONE TOGETHER』は人間心理に重点を置いた、ミステリというよりは純文学に近い路線であった。さて、そしてこの『MOMENT』はというと、ちょうどこの2冊の中間に位置する、という感じ。

 3作どれも、人間の心の襞を深く掘り起こし、探っていくような話であることは変わりない。著者のスタンスは明快だ。「人間の心こそがミステリであり、謎である」。他のミステリ作家ときわだって異なる、彼にしか書けない独特の個性を持つ作家として、要注目だ。しかも、非常にうまい。

 本書は4つの連作中篇である。主人公は、病院の掃除夫をしている青年。彼の働く病院で、とある噂がまことしやかに囁かれていた。名づけて「必殺仕事人伝説」。長期の、しかも末期の患者にしか耳に入らない噂で、死ぬ前に病院の掃除夫に身をやつした仕事人が、死を間近にした患者の願いをなんでもひとつかなえてくれるというのだ。

 ひょんなことから、その「仕事人」を請け負うハメになった主人公が出会う、さまざまな患者とその願い。ひとは、死ぬ前にいったい何を願うのか?誰を思うのか?そのひとが死の間際まで執着するもの、そこには、本人の歩んできた人生そのものが凝縮されている。

 読後感はどれもほろ苦い。それも当然だ、生きることは甘くないのだから。著者は感情に流されることなく、あくまでも冷静に淡々と、ひとが必ず迎える「死」というものを描いている。醒めたようでいながら、その奥には人間への深いまなざしがある。

 これからも、きっと著者は「人間」を描いていくことであろう。深い深い、決して底の見えない謎の迷宮であるひとの心、それこそが彼のミステリである限り。

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