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 二 上 山 を 見 る   ( 近 つ 飛 鳥 ) 
 初稿2009年2月27日 更新2012年12月18日 googlemap使用廃止2017年1月18日



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 折口信夫 『死者の書』の舞台となった二上山です。
二上山座標: 34.523247172033436,135.67703247070312
 
 
 
 大津皇子墓 34.52573985918505,135.67907094955444
 近つ飛鳥博物館 (近つ飛鳥)34.50316152428561,135.64364433288574
 
 当麻寺 34.517306850896034,135.70621490478516
 石光寺 34.52296430920399,135.69299697875977
 飛鳥浄御原宮伝承地34.473342,135.821056
 天香具山34.49481465544369,135.81830978393555
 耳成山34.51469014648694,135.80517768859863
 畝傍山34.491631307388296,135.78432083129883
 高松塚古墳34.46170189630487,135.80646514892578
 石舞台古墳34.46658473156403,135.8261203765869
 穴虫峠 (近つ飛鳥)34.53799,135.661068
 竹内峠 (近つ飛鳥)34.515539,135.677032
 用明天皇陵 (近つ飛鳥) 34.516741,135.644331
 推古天皇陵 (近つ飛鳥)34.511578,135.649652
 小野妹子の墓 (近つ飛鳥)34.510942,135.658579
 顕宗天皇陵 34.550751,135.70055
 田辺廃寺跡34.560082,135.642443
 敏達天皇陵 (近つ飛鳥)34.511649,135.635405
 聖徳太子廟 (近つ飛鳥)34.519959,135.639267
 西行法師の墓34.474864,135.653515
 鳥谷口古墳(本物の大津皇子の墓?)34.521126,135.687976
 
  
 二上山_(奈良県・大阪府)   関西の山歩き&ハイキング
 大津皇子  石川内命婦  大来皇女  草壁皇子   創られる悲劇の人-大津皇子   悲劇の皇子-伝説の解剖
 竹内街道 wiki 日本最古の「官道」 /  竹内峠 wiki /  穴虫峠 wiki / 
 

 こちらが本当の大津皇子の墓ではないかと言われている鳥谷口古墳です。二上山の奈良県側山麓にあります。
  座標
  34.520917944810996,135.688024163246150
  上の検索窓に座標を入れスケールコントロールで単純拡大して
  ください。地図上に印はありません。
  1983年5月 土砂の採掘中に発見、奈良県立橿原考古学
  研究所が緊急調査を実施。7世紀後半に築かれた一辺約7.6m
  の方墳。二上山麓にある唯一の古墳であるとともに、改葬墓で
  あることから大津皇子のお墓である可能性がある。
  北葛城郡当麻町染野字鳥谷口





 近 つ 飛 鳥 を 見 る 

 奈良県高市郡明日香村飛鳥を「大和飛鳥」あるいは「遠つ飛鳥」と呼び、
今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域で、難波の津と大和飛鳥を結ぶ古代の官道(竹内街道)の沿線を
「近つ飛鳥」と呼びます。「新撰姓氏録」によると、この「近つ飛鳥」周辺には百済系、新羅系、中国系の
渡来系氏族が居住していたそうです。
 近つ飛鳥への招待 (大阪府立 近つ飛鳥博物館)大阪府南河内郡河南町大字東山299 /  古墳時代 wiki / 
 太子町立 竹内街道歴史資料館 大阪府南河内郡太子町山田1855 / 
 
 王陵の谷 (磯長谷古墳群)
 敏達陵古墳  /  用明陵古墳  /  推古陵古墳  /  孝徳天皇陵  /  聖徳太子墓古墳  /  小野妹子墓  
 一須賀古墳群 大阪府立近つ飛鳥風土記の丘

 
 


飛 鳥 時 代 年 表
 王 陵 の 谷 か ら 二 上 山 へ 
廃仏派(反蘇我氏系)Vs崇仏派(蘇我氏系)の抗争。 天智(百済派)Vs天武(新羅派)の抗争。

 この前は謎の大王 継体天皇
 敏達(538-585) 廃仏派 585年、仏教禁止令。(反蘇我氏系)
 用明(?-587) 聖徳太子の父。(蘇我氏系)崇仏派。在位二年で病没。
 崇峻(?-592) (敏達天皇、用明天皇、推古天皇の異母弟) 蘇我馬子によって推薦され即位。589年随,中国を統一
 その後、 馬子が東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に暗殺させた。陵地は藤ノ木古墳説など諸説。
 推古(554-628)  初の女帝(蘇我氏系)。敏達天皇の妃。甥の厩戸皇子(聖徳太子)に政治を摂行させた。遣隋使 を実施。
 舒明(593-641) 推古女帝は後継を指定せず死去。蘇我馬子の子蘇我蝦夷が舒明天皇を擁立

 587年  蘇我馬子(崇仏派 )が 穴穂部皇子(敏達の弟)を暗殺。物部守屋(排仏派)を討滅。
 600年 第一回遣隋使 / 607年 第二回 小野妹子 派遣 608年 第3回 / 610年 第4回 / 614年 第5回
 618年 隋 滅亡。唐、建国。 / 622年 聖徳太子死去。 / 626年 蘇我馬子死亡
 630年 第1回遣唐使派遣
 641年 蘇我蝦夷が擁立した舒明天皇(=田村皇子、敏達系)死去。 舒明天皇の皇后、皇極(女帝)即位 
 643年 蘇我馬子の孫、蘇我入鹿 が  山背大兄王(用明系)を討滅。
 645年 中大兄皇子(=天智天皇)らが宮中で蘇我入鹿を殺す 乙巳の変。百済派(藤原系)の勝利
  (〃) 皇極女帝の弟,孝徳天皇(=軽皇子)に譲位 古人大兄皇子を謀反の罪で処刑。蘇我蝦夷自殺。
 653年 中大兄皇子、皇極(母)、間人皇女(妹)とともに、孝徳天皇(叔父)を捨てて倭飛鳥河辺行宮に移る。
  (〃) 第2回遣唐使派遣
 655年 孝徳天皇死去(殺害?) / 皇極女帝,飛鳥板蓋宮で即位して斉明女帝になる。(重祚=2回目)
 658年 有間皇子(孝徳天皇の皇子)を絞首刑にする。18才。 / 
 659年 唐 新羅が百済を攻撃 第3回遣唐使派遣
 660年 7月、百済滅亡、10月,中大兄皇子(=天智天皇)、百済王子,豊璋を本国に送り返しテコ入れ。
 661年 斉明女帝(=皇極女帝)、百済救援のため九州へ出陣中、急死(暗殺.?)
 663年 白村江の戦い敗北, 百済完全に滅亡。 / 664年 防人を置く / 665年 第4回遣唐使
 667年 中大兄皇子(=天智天皇)大津遷都。そこで即位。戦争、戦後処理、遷都による膨大な負担発生。 
  (〃) 第5回遣唐使派遣
 668年 天智天皇(百済派)、琵琶湖畔、蒲生野に遊猟(宮廷あげて額田王らと遠足)
  (〃) 唐 新羅により高句麗滅亡 / 草薙剣盗難事件 / 669年 藤原鎌足死亡 第6回遣唐使
 670年 (670年〜676年) 唐と新羅 抗争。 / 671年 大海人皇子(=天武天皇)吉野へ移動
 672年 天智天皇死去(殺害?扶桑略記)。壬申の乱 勃発。瀬田橋の戦いで近江朝廷軍が大敗、大友皇子 自決(?)
  (〃) (新羅派の勝利) 大海人皇子(=天武天皇)飛鳥浄御原宮へ遷都して即位。遣唐使廃止。新羅と緊密化
 676年 新羅、朝鮮半島をほぼ統一
 686年 天武天皇が死去。持統天皇(=天智天皇の娘であり天武天皇の妃)即位。反唐 親新羅路線 継続
  (〃) 持統女帝 天武と大田皇女(持統の姉)の皇子、大津皇子を処刑。23才。
 689年 草壁皇子(天武と持統の皇子)死去。27才。
 694年 飛鳥浄御原宮から藤原京へ遷都 (持統女帝)
  奈良時代年表へ続く
 
 天智と天武の関係について / 
 天武は、白村江の戦い (663年)以降突然登場する。それ以前の重要な局面には動静不明。
  680年代まではヤマトの部族連合国家の首長は大王と号したが、天武朝(7世紀後半)飛鳥浄御原令以降から天皇と
 称するようになった。更に 大君(おほきみ)は、神にしませば、天雲の、雷(いかづち)の上に、廬(いほ)りせるかも
 (万葉集 巻3-235 柿本人麻呂) というように神格化される程の強大な権力を持つようになった。
 日本書紀も天武の時代に編纂した。
 
 天武天皇の妃
 天智天皇の娘 大田皇女、鵜野讃良皇女、大江皇女、新田部皇女の四人。
 天智天皇の妃 額田女王  藤原鎌足の娘二人。蘇我赤兄の娘一人。その他3人。
 
 新説・日本の歴史 井上友幸 /  日本独立の真相  /  「日本」国名の真相  /  古事記と日本書紀の真相 / 



 舒明天皇陵奈良県桜井市大字忍阪34.507653,135.875559 
 斉明天皇陵奈良県高市郡高取町大字車木ケンノウ古墳 34.457774,135.767841
 天智天皇陵 京都市東山区山科御陵上御廟野町御廟野古墳 34.997519,135.806916
 天武・持統天皇陵   奈良県高市郡明日香村野口 34.468885,135.807753
 宮内庁指定の陵墓 のうち被葬者がほぼ確実なのは、天武・持統天皇陵と天智天皇陵だけです。






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