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平家物語 奈良炎上の部分は専門サイトへのリンクで済まそうと思って探したが、あるのは全てひらがな、これでは読みにくい |
一部、有名な段の読み下しはあるが、奈良炎上はない。(2009年10月現在)。そこで漢字まじりにすることにした。 |
これで意味は取り易くなったが、音読するには、仮名書きを参照する必要がある。 |
参考にしたのが
平家物語 巻第五 奈良炎上(流布本元和九年本)。他の巻や仮名書きは、こちらをご覧下さい。 |
(2009年11月現在)その後、漢字まじりのものを複数見つけた。下の漢字割り振りは当サイト独自でおこなったもので他サイトや |
書籍を無断引用や参考にしたものではないことを申し述べておきます。全文ひらがな版に漢字を割り当てました。使用した辞書は |
広辞苑、所用時間は15分程です。漢字まじり文サイト/
平家物語巻第五(University of Virginia Library) |
漢字まじり文サイトはどこも著作権を主張されていますので、念のため経緯を説明しました。最初の検索では見事にひらがな書きの |
ものしかヒットしなかったのでWeb上に漢字まじり文はないと思ってしまいました。 |
漢字に直していない部分は直さなくても意味が取れるし、そのほうが原文の音感を生かせると思ったからです。 |
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巻5 奈良炎上(ならえんしやう) |
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かけまくもかたじけなく、この入道相國は、たうぎんのぐわいそにておはします。 |
それをかやうに申しける南都の大衆、およそは天魔のしよゐとぞみえし。 |
入道相國、かつがつまづ南都の狼藉をしづめんとて、妹尾太郎兼康を、大和の国の検非所にふせらる。 |
兼康500余騎で馳せむかふ。「あひかまへて、衆徒は狼藉をいたすとも、なんぢらは致すべからず。武具なせそ、 |
きうせんなたいせそ」とてつかはされたりけるを、南都の大衆、かかるないぎをば知らずして、兼康が余勢64人からめとつて、 |
いちいちに首を切つて、猿沢の池のはたにぞかけならべたりける。入道相國おほきに怒りて、「さらば南都をも攻めよや」とて、 |
大将軍には、頭の中将重衡、中宮亮通盛、つがふその勢4万余騎、南都へはつかうす。 |
南都にもらうせうきらはず7000余人、兜の緒をしめ、奈良阪、般若寺、二カ所みちをほりきつて、垣楯かき、逆茂木ひいて |
待ちかけたり。平家4万余騎を二手に分かつて、奈良阪、般若寺、二カ所の城郭におしよせて、ときをどつとぞつくりける |
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大衆は、徒立打物なり。官軍は、むま(馬)にて駈けまはし駈けまはし攻めければ、大衆、数をつくして伐たれにけり |
卯の刻より矢あはせして、いちにち戦いくらし、夜に入りければ、奈良阪、般若寺、二カ所の城郭ともに敗れぬ。落ちゆく衆徒の中に、 |
坂四郎永覚といふ悪僧あり。これは力の強さ、弓矢打物取っては、七大寺十五大寺にも優れたり。 |
萌葱縅しの鎧に、黒糸縅しの腹巻き二領重ねてぞ着たりける。ばうし兜にごまい兜の緒をしめ、 |
ちのはのごとくにそつたるしらえの大長刀、黒漆の大太刀、双の手に持つままに、どうしゆく10余人ぜんごさうにたて、 |
天蓋の門より打つていでたり。これぞしばらくささへたる。多くのくわんびやうらむまのあしながれて、多く滅びにけり。 |
されども、官軍は大勢にて、いれかへいれかへ攻めければ、永覚がふせぐところのどうじゆくみな伐たれにけり。 |
永覚、心はたけうおもへども、後あばらになりしかば、力およばず、只一人、南をさしてぞ落ちゆきける。 |
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夜戦になつて、大将軍頭の中将重衡、般若寺の門の前にうつたつて、暗らさは暗らし、「火をいだせ」とのたまへば、 |
播磨の国の住人、福井の庄の下司、次郎太夫友方といふ者、盾を割り松明にして、ざいけに火をぞかけたりける。 |
ころは12月28日の夜の、戌の刻ばかりのことなれば、をりふし風は激しし、火元はひとつなりけれども、 |
吹き迷う風に、多くの伽藍にふきかけたり。およそ恥をもおもひ、名をもをしむほどの者は、奈良阪にて討ち死にし、般若寺にして |
伐たれにけり。ぎやうぶにかなへるものは、吉野十津川のかたへぞ落ちゆきける。歩みも得ぬ老僧や、尋常なる修学者、稚児ども女童は、 |
もしや助かると、大仏殿の二階の上、山科寺のうちへ、われさきにとぞ逃げいりける。大仏殿の二階の上には、 |
1000余人のぼりあがり、敵のつづくをのぼせじとて、はしをひきてげり。みやうくわはまさしうおしかけたり。をめき叫ぶ声、焦熱、 |
大焦熱、無限阿鼻、炎の底の罪人も、これには過ぎじとぞみえし。興福寺こは淡海公のごぐわん、とうじるゐだいの寺なり。 |
東金堂におはします、ぶつぽふさいしよの釈迦の像、西金堂におはします自然湧出の観世音、瑠璃をならべし四面のらう、 |
朱丹をまじへしにかいのろう、九輪空にかがやきし二基の塔、たちまちにけぶりとなるこそかなしけれ。東大寺は常在不滅、 |
じつぱうじやくくわうのしやうじんの御仏とおぼしめしなぞらへて、聖武くわうてい、てづからみづからみがきたてたまひし |
金堂16、10の廬遮那仏、うしつたかくあらはれて、半天の雲にかくれ、白毫あらたにをがまれさせたまへるまんぐわつの |
尊容も、みぐしは焼けおちて大地にあり、ごしんはわきあひてやまのごとし。 |
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84000のさうがうは、秋の月はやくごぢうの雲にかくれ、しじふいちぢの瓔珞は、夜の星虚しうじふあくの風にただよひ、 |
煙は中天にみちみちて、炎は虚空にひまもなし。目の当たりみたてまつるものは更に眼をあてず、かすかにつたへきくひとは、 |
胆魂をうしなへり。法相三論の法門しやうげう、すべて一巻も残こらず。わが朝はまうすにおよばず、 |
天竺震旦にもこれほどの法滅あるべしともおぼえず。うでんだいわうのしまごんをみがき、びしゆかつまがしやくせんだんをきざみしも、 |
わづかにとうじんの御仏なり。いはんやこれはなんえんぶだいのうちには、ゆゐいつぶさうの御仏、ながくきうそんのごあるべしとも |
おもはざりしに、いまどくえんのちりにまじはつて、ひさしくかなしみをのこしたまへり。ぼんじやくしわう、りうじんはちぶ、 |
みやうくわんみやうしうも、驚き騒ぎたまふらんとぞみえし。 |
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ほつさうおうごのしゆんにち大明神、いかなることをかおぼしけん、されば春日野のつゆも色かはり、三笠山の嵐の音もうらむる |
さまにぞ聞こえける。炎のなかにて焼け死ぬる人数をかぞへたれば、大仏殿の二階の上には1700余人、山科寺には800余人、 |
ある御堂には500余人、ある御堂には300余人、つぶさにしるいたりければ、3500余人なり。 |
戦場にして伐たるる大衆1000余人、少将は般若寺の門にきりかけさせ、少将は首ども持つて都へのぼられけり。 |
あくる29日、頭の中将重衡、南都滅ぼしてほくきやうへかへりいらる。およそは入道相國ばかりこそ、いきどほりはれてよろこばれけれ。 |
ちうぐう、いちゐん、しやうくわうは、「たとひ悪僧をこそ滅ぼさめ、多くの伽藍をは滅すべきやは」とぞ御嘆きありける。 |
日頃は衆徒の首、大路をわたいて、獄門の木にかけらるべしと、公卿、詮議ありしかども、東大寺、興福寺の滅びぬるあさましさに、 |
何の沙汰にもおよばず。ここやかしこの溝や堀にぞ捨ておきける。聖武くわうていの真筆のごきもんにも、「わが寺こうぶくせば、 |
天下もこうぶくすべし。わが寺すゐびせば、天下もすゐびすべし」とぞあそばされたる。されば天下のすゐびせんこと、 |
疑ひなしとぞみえたりける。あさましかりつるとしもくれて、治承も五年になりにけり。 |
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