治承 寿永の乱 神戸の戦いの現地を見る |
現 地 俯 瞰 図 |
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生田川に東の防衛線を敷き、大輪田泊に総大将、平宗盛の本陣。会下山(えげやま)に平教経が陣を構えた。 |
西の防衛は第一線を一の谷
第二線を蓮池(妙法寺の南東)周辺に置いた。北からの備えとして明泉寺に平盛俊が布陣。 |
生田川には平知盛。一の谷には平忠度が陣を置いた。 生田川は正面戦であり、大軍の激突が予想される。 |
一の谷も正面戦ではあるが、山と海が迫った狭隘の地であり防衛には有利と思われる。大輪田泊の沖には、現長田港辺りまで、 |
軍船を並べた。本陣に近い明泉寺は、狭い山道であり大部隊での突破はあり得ないが、鬼神と呼ばれた盛俊を置いた。 |
会下山は都の後背地にあり、生田川から一の谷まで見晴らすことができる。 明泉寺の東、鵯越は騎馬武者の通行は不可能であり |
明泉寺部隊で北方からの防衛は十分可能と考えられる。 神戸の市街地は東灘から垂水まで、山から海への傾斜地になっており |
鵯越を突破すれば、大輪田泊は眼下にある。ドラマでは駆け下りた先に海岸があり、一の谷を連想させるが、一の谷から |
平家本陣まで、非常に距離があり奇襲の効果は少ない。また一の谷の裏山、鉢伏は六甲連山の最西端であるがほぼ独立峰で |
展望が効きこの山頂を奇襲で落とすのは、まず無理である。一の谷を突破しても蓮池の部隊が救援に駆けつける、平家本陣への道は遠い。 |
鵯越突破は全く想定外であり、敗走する味方も全国から集まった面識もない連中は敵とも味方とも区別が付かない。 |
一の谷と生田川で戦闘が始まっても、本陣に迫ることはあり得ないし、あったとしても時間的余裕が十分にある筈であった。 |
神戸の市街地は山から海への傾斜地になっているため、展望の効く山側から海側へ駆け下りる方が有利である。 |
会下山の部隊からは、早々に撤退を始めた味方の軍船が
見える。一の谷、生田川の黒煙も見える。 |
本体の総撤収の報は東西の前線にも伝えられ、総崩れとなる。 |
和田京は計画のみで終わり、福原京が建設されたが、位置はほぼ重なるものと推定される。 |
砂浜は須磨海岸のみで、他の海岸は水深が深い。このため大型の軍船の着岸に向いている。 |
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会下山、湊川公園が都の北端、南端がJR兵庫駅付近。熊野神社は都を見下ろす山の上にある。逆落としは、ひよどり展望公園で行われたと思われる。 |
平家本陣は、都の南、和田岬に置かれた。この北端のラインより北は山へ向かって登り勾配になっている。 和田京は福原京の前段階で計画のみで |
終わった。福原京は建設されたが、治承 寿永の乱で完全に消滅した。 福原の夢
(平安京探偵団)
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源 平 史 蹟 平家物語の舞台 |
源平史蹟は、平家本陣のあった兵庫区、隣接する長田区、そして須磨区に集中している。 |
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平家物語 巻五 都還(みやこうつり)神戸福原遷都(兵庫区) / 奈良炎上 / 巻六 入道死去(兵庫区) |
平家物語卷第九
逆落 / 忠度最期 (長田区) /
重衡生捕(須磨区) / 敦盛 (須磨区) / 知章最期(監物太郎最期) (長田区)
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新長田の原寸大 鉄人28号と西代の 楠大神 |
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