■峠・今昔物語篇■


山形紀行 ’99夏 (2)

99年 8月 5日(木)

友人”隊長”氏の体調が急に悪くなったのと、私自身が各駅停車の旅を楽しみたいという見解の不一致などから
”隊長”氏は、山形新幹線 つばさちゃんで、私は鈍行で別々に首都圏を目指すことにしました。

なんで鈍行の旅を選んだか ですって? もお〜読者様のいけずっ!(笑)
鉄道ネタ爆発の本篇をごゆるりと堪能して下さいませ。^^;)

尚、米沢篇同様、コミック「名物!たびてつ友の会」8巻(白泉社刊)と併せて読むと
より一層お楽しみ頂けるかと思いますのでお持ちの方はご参考にどうぞ!
(コミックとは、旅の順序が逆になってしまいましたが・・・)


道標
−みちしるべ−

8月 5日(木)
駅名 発着時間 便名 列車番号 コメント
米沢駅前 10:00 送迎バス 再度、宿の人に駅前まで送っていただきました。^^)
米沢駅 13:11 つばさ130号 130M 友人は一足先に つばさちゃんで帰りました。
ここからが たびてつ本番です。(バキドカ)
米沢駅 13:15 奥羽本線 436M 単身で念願の峠駅に向かいます。(笑)
峠駅 13:33 同上 同上 鉄道ファンの聖地 峠駅に遂に辿り着きました。^^)
峠駅 16:44 各駅停車 442M スイッチバック跡をたっぷりと堪能し、峠駅を後にします。さよなら。
福島駅 17:12 同上 同上 鉄路の勾配が緩やかになると共に奥羽本線の旅も終わりを告げます。
福島駅 17:23 東北本線 2146M いつも出張で東北新幹線ばかり利用しているので
新鮮な印象を受けました。^^;)
黒磯駅 19:18 同上 同上 疲労もピークに達し、しばし眠っておりました。^^;)
途中、カシオペアちゃんとすれ違った時にはびっくりしました。^^)
黒磯駅 19:29 宇都宮線 2570M 列車を乗り換え、更に東北本線を南下します。
久喜駅 21:23 同上 同上 ここで後から来る快速列車に乗り換えます。
久喜駅 21:29 同上 3550M 通勤快速に乗車しました。結構早いです。
上野駅 22:11 同上 同上 久しぶりに上野駅に降り立ちます。
さあ、横浜までいつもの電車で帰宅します。

【 明治時代のレールだそうです。^^) 】 【 今や在来線より山形新幹線の運行本数が多くなりましたが利用する人はいます。 】
明治時代のレールだそうです。(米沢駅にて) さあ、これから各駅停車の旅のはじまりです。
(奥羽本線在来線車内にて)

【 JR福島駅側から撮影しました。 】 【 これも福島駅にて撮影しました。 】
乗り換え時間を利用して撮影しました。
(福島駅にて撮影)
どこかで見た様な車両が元気良く走っています。
(福島駅にて撮影)


見る

  1. 峠駅

    米沢駅から在来線(436M)に乗り込み、一路、峠駅を目指します。
    関根駅を越えた辺りから、緑深い山々が車窓に飛び込み、日本有数の急勾配のはじまりを静かに告げています。
    大沢駅に停車した時に見慣れない駅舎の構造に戸惑いましたが、雪よけ(スノーシェッド)という北国独特の工夫だそうです。
    ぼ〜っとしている間に念願の峠駅に到着したので、ドアの開閉ボタンを押してホームに降ります。
    まず、驚いたのが駅舎内の涼しさです。雪よけの隙間から吹き込む風はまさに天然の冷房といった感じです。
    何もかも新鮮に見えてしまうので、嬉しさの余りシャッターを押しまくった結果が下の画像です。(笑)

    【 峠駅に遂に降り立ちます。^^) 】 【 今や在来線より山形新幹線の運行本数が圧倒的に多くなりました。 】 【 つばさちゃんが頻繁に通過します。 】
    在来線(436M)にひとまず別れを告げます。 これだけ在来線の本数が少ないと
    降りる人はまずいません。^^;)
    つばさちゃんが頻繁に峠駅を通過していきます。

    ふと冷静になって辺りを見渡すと上り線には2つのトンネルがあり、片方には線路がありません。
    私はそれまで、山形新幹線 つばさちゃんが奥羽本線を通る様になって単に既存の線路の幅を広げただけだと思っていたのですが
    ルートそのものも新たに引き直した事を初めて知りました。

    【 左奥が旧上り線用トンネルです。 】 【 左奥のずっと先に旧ホームがあります。 】 【 下り線側に古い駅標と真新しい開業100周年記念の看板が・・・ 】
    左奥が旧上り線トンネル
    真ん中の線路に先に有るのが現上り線トンネル
    右手前が下りトンネルです。
    米沢方向に向かって撮影しました。
    左側が旧スイッチバック線跡です。
    下り線側の壁面の駅標と看板に
    世代交代を感じ取る事が出来ます。

    下り線の方に目を向けると在来線から左側に逸れる形で旧スイッチバック線跡が見えるではないですか。
    手荷物を持ち、ホームを降り、駅構内にある踏切を渡り、旧スイッチバック線跡の雪よけの下を歩きます。

    【 旧下りスイッチバック線です。 】 【 新旧雪よけ揃い踏みです。 】
    旧スイッチバック線では
    撤去工事が進められています。
    旧スイッチバック線用雪よけです。
    奥の青い雪よけが現在のものです。

    なんと旧スイッチバック線の線路のうち片方(旧下り線?)は完璧に撤去され、歩道としてアスファルトが敷かれていました。
    もう片方(旧上り線?)は、かろうじてレールが残っていましたが、撤去作業が続けられ、無くなるのも時間の問題でしょう。
    同じ様な急勾配の路線で廃止され、観光施設(文化むら)として地方自治体などから手厚く保護されている
    碓氷峠(旧 信越本線)との違いに愕然としてしまいました。(碓氷峠には純粋なスイッチバックは有りませんが。)

    【 峠駅の構成です。(手抜き・笑) 】

    雪よけがつくる陰に眼がすっかり慣れてしまったので、外に出た途端、まぶしさに眼を細めながら旧 峠駅舎に向かい歩き続けます。

    ここで峠駅についてカンタンにご説明致しましょう。
    昔の列車は、今ほど性能が良くないので、急勾配の途中で一度停まってしまうと、再び坂を上るほどのパワーが得られなかったのです。
    そこで当時の技術者は、「あばれはっちゃく」の様にひらめきました。(一部意味不明・笑)

    「列車を助走させて勢いを付ければいいじゃないか!よっしゃ〜っ!」

    助走させる為にホームの先までレールをのばし、一度列車をバックさせてから発車し勢いを付ける仕組みをスイッチバックというのです。
    このスイッチバックを繰り返すことで、こういった難所を切り抜けました。まるで”鉄道界の三角蹴り”ですね。

    言い方をかえれば、昔のマンガ「キャプテン翼」に出てきたゴールキーパー若嶋津クンがボールをキャッチする為に
    ボールとは反対側のゴールポストを蹴って勢いよくジャンプしセービングをしていたアノ技と同じ原理です。(古い・笑)

    実際には、それでもパワー不足なので補助機関車を列車に接続して必要な出力を得る方法を採用していました。
    ここ板谷峠では、EF71ちゃんなどの専用機を投入して当時の鉄道ファンのアツイまなざしを受けていました。

    EF71ちゃんについても手元の文献をもとに説明しちゃいましょう!(故・富山敬さんモード ^^;)

    試作電気機関車ED94ちゃんをベースに5軸動輪から6軸動輪に改造強化された交流式電気機関車です。
    昭和43年(1968年)から製造され活躍しましたが、残念ながら兄弟機ED78ちゃんの様に軸重を変化させる機能はありません。
    当時は、軽量車両はEF71ちゃんひとり、重量車両はED78ちゃんふたり(重連)、ED78ちゃん+EF71ちゃん(バロムクロス・笑)
    EF71ちゃんふたり(重連)などバリエーション豊かな補助機関車の編成で賑わっていたそうです。^^)

    【 往年の名機 EF71ちゃんです。 】 【 旧 峠駅ホーム跡です。 】
    往年の名機 EF71ちゃんです。 旧 峠駅ホームです。

    さて話を再び現在に戻しましょう。^^)
    旧 峠駅ホームのはずれに着きましたが、当時の線路は深く生い茂る雑草に遮られよく見えないので更にホーム伝いに歩きます。
    廃墟が見えるので近づくと「米沢保線区 峠休憩所」と札が掛かっています。
    そこには誰もいませんが、瞼を閉じれば、峠越えの合間にお茶を飲み、疲れを癒す鉄道員たちの談笑が今にも聞こえてきそうです。
    ここで満足するワケには行きません(笑)更に奥に進んでみましょう。

    【 残念ながら廃墟と化しています。 】 【 米沢保線区 峠休憩所跡です。 】 【 在りし日の「峠の力水」です。 】
    今は人の気配はありません。 鉄道員たちの峠の茶屋ですね。 在りし日の「峠の力水」です。

    かつてホームには「峠の力水」と呼ばれた水飲み場があったそうです。
    スイッチバックの準備の為の停車時間を利用して旅人たちが、列車から降りては、愛飲していたそうです。^^)
    ただ列車の性能向上と共に停車時間も短くなり、1990年のスイッチバック廃止と共になくなったそうです。
    旅がゆとりを味わうものから単なる移動手段になったのも、そう遠い昔ではないんですね。

    【 旧ホーム跡を更に奥に進みます。 】 【 ブヨを払いのけながら奥に進みます。 】 【 偶然、たびてつと同じ様なアングルで撮影しました。(笑) 】
    旧スイッチバック用トンネル入口です。 たくさんのブヨと蚊が行く手を阻みます。(笑) コミックと似た様なアングルです。^^;)

    脳裏を様々な想いが交錯していますが、最後にスイッチバック用トンネルを見ない事には目的は達成できません。^^;)
    現在使われている変電所がある場所でホームから線路跡に降りてみると蚊やブヨがたくさん飛び交っています。
    「風の谷のナウシカ」に出てきた巨神兵の様になぎはらいながら闇の中を突き進みましたが、何も語りかけてくるものがありません。
    ただ時の過ぎゆくまま、撤去工事が行われる日を静かに潔く待っているだけです。

    【 峠の力餅の売り子さんは健在です。^^) 】
    おね〜さんの方の売り子さんを撮影しました。(笑)

    一通り旧駅舎を見て満足したので、石庭さんでしばし休憩し、日が暮れ始め、再び奥羽本線に乗り込む時に
    売り子のおばさんとおねえさんも現ホームに来たので写真を撮らせて頂きました。
    そうこうしているうちに在来線は滑り込み扉が開くと同時に

    「ちから〜もちぃ〜 ちから〜もちぃ〜」

    と元気なかけ声が雪よけで反響して駅全体を優しく包み込みます。
    後ろ髪を引かれる想いで峠駅を去るときに、ふと、すすきの穂が咲いていた事を思い出し
    高原の夏が終わりを迎えている事を感じながら私の山形旅行も終わってしまったのでした。

  2. (番外篇)日本の名瀑「それなりの滝」(笑)

    石庭 力餅さんの敷地内にある小さな滝です。観光案内のパロディ調の立て札もある凝りようです。
    ここの御主人は遊び心を多分にお持ちになられている模様です。

    【 石庭の中にあります。^^) 】

食べる

  1. 石庭 力餅

    旧スイッチバック線の雪よけを出てすぐの所にある大きな敷地を持つお店です。
    敷地内には日本庭園風で池には冷たい清水で岩魚を養殖しており店内で食べることも出来ます。
    意外にメニューが豊富な事に驚きましたが、慌てず騒がず(笑)お約束の「力餅」をいただきました。(3個\380-)
    お寿司やさんで使う木製の下駄の様な器に盛られてきましたが食べてみると、柔らかいお餅と甘さ控え目のこしあんで美味しいです。
    もちろん持ち帰り用の力餅もあるのですが(12個入り\1,000-)、一人暮らしで食べきれないので断念しました。;_;)
    ちなみにお持ち帰り様の力餅を6箱まとめ買いするとテレホンカードのプレゼントもあるみたいなので団体さんにお薦めです。^^)
    (ちなみに上の峠駅の説明文中にあるEF71ちゃんの画像がそうです。1枚\1,000-で販売しています。他にも数種類有り。)
    店内には在りし日の峠駅の写真や御主人の描いた絵画などがたくさん展示されているので
    涼しい山風を頬に受けながらゆっくりとくつろいでみてはいかがでしょうか?

    【 店舗外観です。 】 【 軒先の柱には「駅に販売に行っている間は10分ほど店を閉めます。」と書いてあります。 】 【 あの峠の力餅です。 】
    実は左に見える看板なのですが
    よく見ると”さよならスイッチバック”の看板を
    上塗りしたものです。(笑)
    軒先の柱には
    「駅に販売に行っている間は10分ほど店を閉めます。」
    と書いてあります。
    峠の力餅です。

温泉

  1. 滑川温泉(情報のみ)

    旧スイッチバック線の雪よけを出てすぐの所にある売店付近に定期的に送迎バスがくる模様です。
    当初は、ここの福島屋旅館さんに宿泊しようかと思っていたのですが、残念ながら予約でいっぱいの為、断念しました。
    ただ送迎バスの本数が少ないので十分ご注意下さいね。(必要に応じて宿と交渉してみて下さい。)

    滑川発 峠発
    08:00
    13:00
    15:30
    18:20
    08:30
    13:45
    16:30
    18:50

    名称福島屋旅館
    住所山形県米沢市大沢15
    電話0238−34−2250
    宿泊料大人\8,000-〜\10,000-(1泊2食付・税別)
    備考 1)峠駅までの送迎サービス有り(要予約)
    2)駐車場有り(15台収容可能)
    3)入浴のみの利用も可能です。(\400-)
    4)露天風呂有り。
    5)混浴/女性風呂/男女別内湯有り。
    6)98年にリニューアル。


山形紀行 ’99夏 −完−

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