AD物語II 第24話 「グッバイ・ガール」



〜 「番組バイト」のお話 〜
 ニッポン放送における制作のバイト・・・と聞くと、  番組制作に直接携わる「学生AD」なんかをすぐに想像してしまいますが、  職種はそれだけではないんですな。  番組における様々な雑務をこなす「番組バイト」や、  制作副部長直属の「制作デスクバイト」、  さらにおなじみ電話受付の「TEL受けバイト」などというものがあります。  今回は、このニッポン放送内のアルバイトのお話。  「『完パケ』の想い出話はいつになったら出てくるんだ?」  ・・・とお怒りの貴兄もいらっしゃるでしょうが、  まあ、ここはガマンガマン。  こちらにも都合ってもんがあるんです(何の?)。  「完パケの想い出」は、28話以降に。
 現在、ニッポン放送は「アルバイト」によって成り立っていると言っても過言ではありません。  制作部のディレクターさん達は、往々にして「ぐうたら」で「いいかげん」な人たちなので(笑)、  それをフォローするのが「番組バイト」「制作デスクバイト」なのです。  この方達がいないと、ニッポン放送の中はおそらく、  無法地帯になってしまいます。  では、彼らのバイトの仕事内容をちょっとのぞいてみましょう。
 ニッポン放送の番組は、大ざっぱに言って2種類に分けられます。  「中年探偵団」や「鶴光の噂のゴールデンアワー」「ゲルゲットショッキングセンター」など、  毎日やっている生放送番組。もしくは、金・土・日曜日に放送している、  「フライデーウルトラカウントダウン」や「ガバッといただき!ベスト30」などの大型生番組。  これらを、  ワイド番組  と呼称しています。  担当ディレクター・放送作家・ADが、各3〜4人もいる、大部隊です。  対して、小部隊なのが、  完パケ(録音)番組ですな。  ディレクター・放送作家・ADは、各々1人か2人。  「オールナイトニッポン」は非常に特殊で、  ディレクター・放送作家・ADが、それぞれ1人ですな。  生放送なんだけど小部隊。独立部隊みたいなもんです。  「番組バイト」というのは、  前者のワイドと言われている番組に1人(場合によっては複数)いるバイトさんです。  仕事内容は・・・というと、  「食料の買い出し」「コピー」「タクシー券の手続き」「プレゼントの発送」など、  一般の会社における「事務バイト」な感じですな。  ただし、前述の通り、番組のディレクターさんは「ぐうたら」なので、  バイトさんにかかる負担は、想像もつきません。  想像しただけで、失神です。  会議の席上、ディレクターさんは、バイトのギャルに頼みます。  「○○ちゃん。これ、コピーお願い。」  バイトの○○ちゃんは、笑顔でコピーに走ります。  膨大な番組資料のコピーを終え、会議室に戻ってくると、  「あ、ごめん、これもコピー頼むわ。」  バイトの○○ちゃんは、笑顔で再びコピーに走ります。  またまたコピー紙を抱えて戻ってくると、  「ごめんごめん。これもコピー。」 「まとめて発注しろや!」  ・・・とキレちゃいそーなとこですが、  バイトちゃんは、ニコニコして、またまたコピー。  偉い! 人間のカガミだ。  「制作デスクバイト」の仕事内容も「番組バイト」とほとんど同じです。  制作部は、5人の副部長さんがいて、5つの班に分けられており、  各番組が管理されております。  わかりやすく言っちゃえば、5人の副部長さんが「人類補完委員」みたいなもんだ。  この副部長産直属のバイトさんが「制作デスクバイト」。  「完パケ番組」の収録の際、原稿のコピーなどが必要になると、  この「制作デスクバイト」さんがかり出され、コピーに走る、と。  ちなみに「オールナイトニッポン」には、番組バイトがいないので、  この仕事は、ADか若手の放送作家の仕事です。  おおつれ。
 この「番組バイト」「制作バイト」の任期は、1年と決められておりまして、  任期満了となると、旧いバイトさんが新しいバイトさんに仕事内容を伝えて、引き継ぎ。  以前書いた「学生ADの世襲制」のように、脈々と仕事が受け継がれて行くわけです。  任期1年と書きましたが、例外的に、学生さんがこれらのバイトについた場合には、  卒業するまで、複数年の就労が認められているらしいです。  ま、真っ昼間に放送局に来なければいけないことが多いので、  学生さんがこのバイトにつくことはなかなか無いようですが。  また、非常に辛いわりに収入が少ないので(笑)、  任期延長を申し入れる人も少ないようで(笑笑笑)。  ところが、ここに、奇跡の人がいます。  「スーパーアニメガヒットTOP10」でもおなじみとなった、  スーパー学生アルバイター・山元クンです。
 山元クンが「番組バイト」としてやってきたのは、95年頃のことです。  彼が最初に就いた番組は、毎週金曜日10時から放送していた、  「入江雅人のゴーゴーテレキッズ」でした。  しばらくして、この番組が放送終了となってしまいます。  山元クンは、むろんバイトの延長を申し込みました。  「ゴーゴーテレキッズ」のあとに始まったのは、  「海砂利水魚のディスコ・ダ・ガマ」です。  96年頃のことね。  その半年後、土曜日に「スーパーアニメガヒットTOP10」放送開始。  優秀な「番組バイト」の山元クンは、この番組にも参加することになりました。  「ディスコ・ダ・ガマ」は、放送開始から1年で、終了。  そのあとがまには「スーパーアニメガヒットTOP10」が座りました。  山元クンは、むろんバイトの延長を申し込みました。  97年のことね。  1年後、「スーパーアニメガヒットTOP10」が終了。  そのあと始まったのは、  「クールKのフライデーウルトラカウントダウン」。  山元クンは、むろんバイトの延長を申し込みました。  98年のことね。  なんと、山元クン、ニッポン放送金曜夜の番組を、  「入江雅人のゴーゴーテレキッズ」  「海砂利水魚のディスコ・ダ・ガマ」  「スーパーアニメガヒットTOP10」  「クールKのフライデーウルトラカウントダウン」  ・・・と、4つも担当してしまいました。    まさに奇跡の番組バイト。  金曜の夜に欠かせない男・・・とまで呼ばれた、  そんな山元クンもこの秋、就職活動のため、引退を決意。  お疲れさまでした。  夜の「ワイド番組」の場合、「労働基準法」なんてものがあるので、  山元クンのような男の子がバイトに就いていますが、  お昼の番組のバイトさんは女の子ばかり。  春になって、1年の任期満了となった女の子が番組を去っていくとき、  ボクは心の中でつぶやくのです。 「グッバイ・ガール」  ・・・と。
 〜 追記 〜
 「番組バイト」をやっていた女の子達は、1年の任期を全うして、  いったんは番組を離れますが、  その後、放送作家となって番組に戻ってきたりするのが、ここんとこの流行りだったりします(笑)。  これを、  ラジオの麻薬効果と呼びます。  もしくは、  バイトの帰巣本能と呼んでも良いでしょう。
続く  1998/09/13

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