AD物語II 第27話 「愛は流れる」〜 アニメガは流れる 〜 1998年、2月。 声優岩男潤子さんの結婚で大盛り上がりの「アニメガ」に、 暗雲がモクモクと立ち込めてきていました。 「最終回」 そんな言葉がチーフディレクターの神田さんから出たのは、 このころでした。・ BGM(ドッグファイター/超時空要塞マクロスサウンドトラックより) 「スーパーアニメガヒットTOP10」という番組がありました。 これを読んでるあなた。 知っていますか? おぼえていますか? 1996年10月。 世の中は「EVA効果」で、空前のアニメブーム。 そんな中、ニッポン放送が俗に言う「アニラジ」に撃って出ました。 ラジオ的には「王者」のニッポン放送も、「アニラジ」に関しては、 先発の文化放送に大きくアドバンテージをとられているのが現実でした。 この状況を打破するため、 前代未聞のアニメ番組2時間生放送という、 ニッポン放送では考えられないようなフォーマットを持って生まれてきたのが、 「スーパーアニメガヒットTOP10」だったのです(第一次アニメガ)。 前述のアニメブームの「追い風」があったとはいうものの、 チーフディレクターの神田さんをはじめとする、 スタッフ一丸となった番組制作に、ついに「山」は動き、 聴取率調査において、好成績をマーク。 「アニメガ」は、半年後の1997年4月、 放送時間も30分延長され、 「ゴールデンタイム」と呼ばれる、 金曜日の夜10時00分〜12時30分の放送枠を勝ち取りました(第2次アニメガ)。 8月に庵野監督の「The End Of EVANGELION」が公開になった際には、 「平成アニメブーム」はピークに達し、 「アニメガ」も聴取率調査で、文化放送の強敵、 「スーパーカウントダウン」・・・通称「スパカン」を抑え、 堂々の首位をゲット。 10月からは、更に放送時間枠が1時間延長(第3次アニメガ)。 出世魚のごとく、改編期を乗りきるたびに、 「アニメガ」は成長を続けてきました。・ BGM(愛はながれる/リン・ミンメイ) 「ジュンくん。」 「はい? なんすか?」 福山雅治のオールナイトニッポンが終わった後、 スタジオを片付けている僕に、神田ディレクターが声をかけてきました。 いつになく、暗いトーンで。 「アニメガ・・・春で終わらせようと思うんだよね・・・。」 「は?」 「・・・・。」 「どうしてですか?」 「アニメガはずっとリスナーを驚かせてきたじゃん。」 「・・・はあ。」 「改編のたびに時間延長してきたし。」 「・・・はあ。」 「2回やった大きいイベントも超満員で大成功だったし。」 「・・・はあ。」 「岩ちゃん(岩男潤子さん)の結婚発表までしちゃったし。」 「・・・はあ。」 「もう、これ以上、リスナーを驚かせることって無いと思うんだよね。」 「・・・はあ。」 「聴取率も右下がりになってきてるし。」 「・・・・。」 「このまま尻すぼみになって、無残に終わっていくよりもさ。」 「・・・・。」 「花のあるうちに、突然終わった方が。」 「・・・・。」 「リスナーにこれ以上無い驚きをあたえて終わるのが。」 「・・・・。」 「・・・・カッコイイと思うんだよね。」 神田さんは、アニメガを終わらせることに僕が反対すると思ったのか、 いつの間にか、説得するような話し方になっていました。 いや、むしろ神田さん自身、 僕に反対して欲しかったところもあるかもしれません。 訳の分からない「アニラジ」番組の担当となり、 手探り状態でスタッフを集め、 未知の番組を作りあげる・・・。 その神田さんの心労たるや、我々には到底想像できません。 97年9月にお台場のホテル・日航東京で行われた、 「アニメガ・聴取率首位獲得祝賀パーティ」で挨拶に立った神田さんは、 「何もかもが不安な中から立ちあげた番組が、一番になれて本当にうれしいッス。 『(数字が取れるとは)期待されていない番組』と言われてたことが、 何より悔しかったんです。」 ・・・そう言って、号泣していました。 アニメガの栄光は、苦心に苦心の末、勝ち取った栄光です。 そう簡単に手放せるわけがありません。 しかし神田さんは決意したのです。 岩男潤子さんのこと、 スタッフのこと、 リスナーのこと、 世の中の動き、 番組にまつわる事象を総合的に見据えた上で、 「アニメガは、今、終わらせるべき。」 ・・・と判断したのです。 そんな神田さんの意見に誰が反対できましょうか。 アニメガの最終回は、98年3月27日に決定。 「リスナーを驚かせるため」に、最終回の前週まで、 番組が終わることは隠されることとなりました。 みんなから愛されているうちに終わる。 こんな幸せなことはないじゃないか。 いっちょ、派手に終わらせましょ。
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