AD物語II 第29話 「ロンリー・ソング」
〜「斉藤由貴・猫の手も借りたい」の想い出〜
大学を卒業し、フリーになった平成5年の春、
暮らしていくために(笑)、致し方なく(笑)、
完パケ番組に就くことになりました。
前話で説明したとおり、完パケの番組は、制作するにあたり、
2度手間、3度手間になってしまうので、
番組の数をこなして、お金を得るフリーディレクターにとっては、
いたしかゆしな部分もあるわけです(笑笑笑)。
・
ボクが初めて正式に就いた完パケ番組は、
「斉藤由貴の猫の手も借りたい」という番組でした。
「小林ぃ、『猫の手』に就くことになったんだって?」
「はあ。」
「がんばってね。」
「・・・?」
「おう、ジュン。『猫の手』やるんだって?」
「はあ。」
「まあ、がんばってくれや。」
「・・・?」
「あ、ジュン君。『猫の手』就いたんだってね。」
「はあ。」
「ご愁傷様。」
「・・・?」
会う人、会う人、みんな奥歯にモノの挟まったようなことを言って去っていく。
なんなんだ?
・
その答えはわずか1週間後に出ました。
もう大変。
週1回30分の完パケに、何故にこんなに?
ってなほど、拘束時間が長い。
収録で使うハガキの整理
原稿のコピー
収録立ち会い
番組内ミニドラマで使うBGMの選曲
ミニドラマの後に流れる洋楽の選曲
ミニドラマのダビング
番組内プレゼントの買い物
番組本編のダビング
プレゼントの発送
プレゼントの管理・整理
・・・いやぁ、やること山積みだぁ。
本来のADの仕事以外にもやらなきゃいけないことが多すぎ。
いや、今なら、サクサクこなせちゃう仕事も、
当時のボクの(ADとしての)レベルを考えたら、
そのほとんどが、時間のかかっちゃう仕事。
おまけにギャラも安い(笑)。
もちろん、仕事はこの番組だけじゃないわけで。
体がいくつあっても足りないよぉ。
こりゃあ、弱った。
・
「明日できることは今日やるな」
・・・が座右の銘のボクは、
これらの仕事を先延ばし先延ばしにしていったのは言うまでもありません(笑)。
当然担当の女性ディレクターは、仕事が滞っているのを見過ごすはずがありません。
「なんでハガキ整理してないの?」
「原稿のコピーまだ?」
「テープレコーダーのヘッドちゃんと拭いたんでしょうね?」
「BGM選曲した?」
「洋楽の選曲した?」
「ダビング夜の11時からね。」
「プレゼント買ってきた?」
「当選者の一覧は、ちゃんとノートにつけてね。」
こんな時のボクのセリフは、決まって、
「はぁい。やっておきまーす。」
・・・母親に怒られてる小学生じゃないんだから。
これまた敢えて言うまでもないことですが、
頼まれた仕事を、これまた滞らせていたのは、ご想像の通りです。
・
しかし、人間、悪いことはできないもんで。
半年ほど経ったある日、
とうとうこの女性ディレクターの堪忍袋の緒が切れちゃいました。
「あなた、フリー失格よ!」
・・・この一言から始まったお説教は、
有楽町ニッポン放送制作部のデスクのど真ん中で、
延々2時間半も続きまして。
いやいや、我ながら、とんでもないことになっちゃいました。
これが今でもニッポン放送制作部で伝説となって語り継がれている、
「コバジュン制作デスク2時間半説教事件」であります。
ところが、このお説教、思わぬ形で決着がつきます。
「あなた、ギャラもらってるプロなんだから!」
「・・・。」
「しっかり仕事しなさいよ!」
「・・・。」
「ニッポン放送があなたにギャラいくら払ってると思ってんの!」
「・・・×万円。」
「・・・は?」
「・・・×万円。」
「え? それだけしかもらってないの?」
「・・・はあ。」
「○万円ぐらい払ってるつもりでいたけど。」
「・・・×万円。」
「・・・。」
「・・・。」
「バカじゃないの?」
「は?」
「プロなんだから、ちゃんとお金取りなさいよ!」
「お金取りなさいよ」って。そんなこと今、言うなよぉ。
「ふうん。そう。そんなちょっとしかもらってなかったの・・・。」
いや、同情されても・・・。
ギャラの話から、ディレクターさんの怒りの炎は急速に鎮火へとむかい、
そこに、電話がかかってきて、
「はいはい、あ、ここにいます。あ、はい、分かりました。」
「・・・。」
「小林君、オールナイトニッポンのスタッフが呼んでるわよ。」
「・・・あ、そうすか。」
「もう、行きなさい。」
「はぁい。」
「がんばんなさいよ。」
・・・なんか、励まされちゃったりして。
なんなんだ?
・
ま、そんなこんなで、「猫の手」チームから、ボクはわずか半年で解任。
ぶっちゃけて言えば、
クビですな。
しかしまあ、最初から最後まで、
なんなんだ?
・・・という番組でしたねぇ。
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