ニュースな史点2021年4月20日
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◆ほぼ一世紀の生涯
よくあることだが、ここんとこ有名人の訃報が相次いだ。いずれも高齢で、失礼ながら「そろそろ…?」とどこか覚悟していた人たちではあった。個性派俳優として数多くの作品に出た田中邦衛さん(88歳)、「おしん」を世界的にヒットさせたほか多くのテレビドラマを生み出し国民的ドラマ作家となっていた(まぁ僕は苦手でしたが)橋田寿賀子さん(95歳)、そしてイギリス女王エリザベス2世の夫であるエジンバラ公フィリップさんがついに亡くなった。1921年生まれの99歳、6月10日まで生きれば100歳達成という長命だった。エリザベス女王も歴代イギリス国王最長寿・最長在位となっているが、フィリップさんも「国王の配偶者」としてイギリス史上最長寿となっていた。
フィリップさんは1921年6月10日、当時のギリシャ国王コンスタンティノス1世の弟アンドレアスの子として生まれた。歴史年表を眺めると、この年は第一次大戦後の国際協調の表れでもある「ワシントン会議」が開催され、日本では原敬首相が東京駅で暗殺されている。
フィリップさんはギリシャ王室の一員として生まれたわけだけど(ギリシャ名では「フィリッポス」になる)、このギリシャ王室というのはもともとデンマーク王室から出ていて、フィリップさんもその父親も「ギリシャ王子およびデンマーク王子」の称号を持っていた。ヨーロッパ各国の王室はみんな親戚、とはよく言われるが、このフィリップさんも同様で、母方の先祖がイギリスのヴィクトリア女王で、その娘の娘の息子、つまり女系の玄孫(やしゃご)にあたる。結婚したエリザベス2世もヴィクトリア女王の玄孫でフィリップさん自身も一応イギリス王位継承権を持っていた。まぁ485位という、まずまわってくるはずのない順番だったけど。
フィリップさんが生まれた翌年の1922年9月にギリシャではクーデターが発生、コンスタンティノス1世が退位させられ、その弟のアンドレアス王子はクーデター政府から死刑判決を受けてしまう。イギリスが軍艦を派遣してアンドレアス一家を救出したが、フィリップさんは物心もつかないうちに亡命生活に入ってしまった。
アンドレアス一家はパリ近郊で亡命生活を送ることになったが、父は次々と浮気し、母は精神を病み、姉たちは次々結婚して、フィリップ少年は8歳にして孤独の実となり、親戚を頼ってイギリスにわたる。一時ドイツに留学うするなど、不幸かつ落ち着かない少年時代を過ごした。
青年期にはイギリスの海軍兵学校に入って海軍士官への道を歩みだす。ここで士官候補生となっていた1939年7月22日、イギリス国王ジョージ6世一家が訪問、フィリップさんがその接待役をつとめた。このとき13歳のエリザベス王女がイケメンのフィリップさんに一目ぼれした、と語り草になっていて、それ以前にも顔を合わせたことはあったらしいが、一応この時が「なれそめ」となり、のちの結婚につながっていく。
フィリップさんがイギリス海軍軍人となったころ、世界は第二次世界大戦に突入していた。まさに彼は第二次大戦を兵士として戦った世代なのだ。地中海での海戦で奮戦し勲章を受けた戦歴もあり、なぜかインドのモディ首相がツイッターでの追悼コメントでこの戦歴に言及していた。
そして第二次大戦が終わって間もない1947年7月にエリザベス王女との婚約が公表され、その年の11月20日にウェストミンスター寺院で挙式。この時点でエリザベス王女が次期国王になることは確定していたため、いずれ「女王の夫」になる立場となった。このためそれに先立ってイギリス国籍をとり、それまで保持していた「ギリシャ王子およびデンマーク王子」の称号も破棄、宗派もギリシャ正教からイギリス国教会に変更している。また結婚にともない「エジンバラ公爵」「メリオネス伯爵」「グリニッジ男爵」の爵位を受け、報道などでは「エジンバラ公爵」「エジンバラ公」という呼び方をされるようになった。僕も実際、今回の訃報まで「エジンバラ公」としかこの人の呼び方を知らなかった。
1952年2月6日にジョージ6世が死去、エリザベス2世の即位となったが、このときエリザベス夫妻は外遊中で、ジョージ6世の訃報をエリザベス王女に直接伝えたのはフィリップさんだったという。かくしてフィリップさんは「女王の夫」になったのだが、かつてのヴィクトリア女王の夫アルバートにはあった「王配殿下」の称号はあのチャーチルが反対したため得られず、これは当人にとって終生の怨念になったとか。もともとジョージ6世も結婚自体に反対していた時期があり、その理由がドイツ系につながりが深いから、というのがあったらしい。まぁそれを言ったらイギリス王室だってかなりドイツ系なのだけど。
とにかく結婚以来73年、第二次大戦後の現代をほぼまるごと、エジンバラ公フィリップさんは「女王の夫」の立場にあった。王室の一員として女王ともども、あるいは単独で内外に公務を行い、それは2017年に引退宣言するまで続いたんだが、なんとそれは彼が95歳(あと一か月足らずで96歳)という高齢でのことだった。夫婦ともどもイギリス王室史上最長となる健康長寿で、2019年1月に自ら運転する自動車で転倒事故を起こし、それを機に免許返納をしたのにも驚かされたものだ。
女王との間にはチャールズ皇太子をはじめ3男1女をもうけ、孫の世代も結婚してひ孫数人の誕生まで見届けた。ただめでたいことばかりではなく、チャールズとダイアナ元妃の離婚問題はじめ、息子・娘たちは次々スキャンダル、ゴシップネタを噴出させた。最晩年には孫のヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱騒動があり、もう先が長くないと分かっている段階での「人種差別疑惑」騒動にはイギリスの保守系政治家から苦言も出たとかで。
あくまで映画「クイーン」で見た話だが、ダイアナ元妃事故死の直後、王室としてはダイアナはあくまで「元嫁」であって王室一員ではないとの立場で当初は公式な反応はせず、フィリップさんは孫たち(つまりダイアナの子供たち)を連れて狩猟に出かけ、これがまた国民の反発を買ったりしたみたい。また僕もいくつか報じられたものを聞いているが、この人、ジョークのつもりなんだろうけど立場のある人としては「失言」になるような発言も多かった。
フィリップさんの訃報を受けて、妻の女王やジョンソン首相はもちろんのこと、世界各国の首脳や政府から追悼の表明があった。確か日本政府は書簡を送る形をとったはず。イギリスのテレビ各局は横並びで通常放送を打ち切り追悼特番を流したが、いつもの番組が見られないことにキレた視聴者の批判が各局に押し寄せたんだとか。日本でも昭和天皇死去の日にレンタルビデオが大繁盛だったとか、愛子さんが生まれた日にテレビ東京が予定通り放送した鍋番組が高視聴率になったとかいった例がありましたな。
フィリップさんの葬儀も国葬にはならず、あくまで王室などごくごく身内の者30名のみが出席するこぢんまりとした規模で行われた。実は当初はそれなりの規模で800人程度参列の葬儀も検討されたが、現在イギリスではコロナ禍のために「葬儀は参列者30人以下で」とお達しが出ており、王室がそれを破るわけにもいかんだろ、ということになったらしい。参列するか注目された孫のヘンリー王子は結局参列したが、妻のメーガン妃のほうは妊娠中であることを理由に参列を見合わせている。
なお、ウィキペディアのフィリップさんの項目に「失言」の数々が列挙されているのだが、その中に著書の序文に書いたものとして「生まれ変わったら、死のウイルスになって人口問題を解決させたい」なんてのがあって、ちょっとビックリ。いやまぁ、亡くなる前からウイルスは蔓延してたけど。
◆まだまだいろいろ出るエジプト
エジプトはむちゃくちゃ歴史の古い国であり、シンボルとなっているピラミッドはもちろん、多くの遺跡が残り、ファラオ達のミイラも残っていて、ヒエログリフ解読によりかなり詳しい歴史も分かっている。先日、新しい国立博物館へラムセス2世やハトシェプスト女王といった大物をふくむファラオたち22体のミイラを移送する際、まるで「現役」の国王のパレードのようにド派手に飾って大通りを大行列で進んでいる映像には、「ああ、歴史の古い国だなぁ」と思わされてしまったものだ。ミイラとはいえ、「当人」がパレードというのがまた凄い。
そんなエジプトでは、「まだ出るか」と思わされる大発見が最近でもいくつか報じられてきたが、今度のはその中でもかなりの大発見になるのではないか。
4月8日に公表されたその「大発見」とは、エジプト新王国時代、第18王朝(前16世紀〜前13世紀初)の「都市遺構」の発見である。場所は現在も多くの遺跡が残り観光地として名高いルクソールで、もともと発掘チームは昨年、あのツタンカーメン王の葬祭殿の発掘を目指していたそうだが、もっとデカいものを掘り当ててしまった、ということだそうだ。
報道では「都市」といってもいいくらいの規模の、干しレンガ作りの建物を主体とした遺跡で、まだそのほんの一部を見つけただけで全体像はまだ把握できていないがとにかくエジプト考古学史上最大規模ではあるとのこと。焼き窯などが残るパン屋の跡とか、ガラスや陶器の工房跡が見つかるなど当時の生活をしのばせる遺物が多く出ていることから、「ポンペイに匹敵」と評してる専門家もいるそうで。もちろん火山灰で埋もれたわけじゃないんだけど。
第18王朝の遺跡だと分かったのは、その王朝の最盛期とされるアメンホテプ3世の印章が干しレンガにあったためらしい。この第18王朝というのはなかなか有名ファラオの多い王朝で、先述のハトシェプスト女王やツタンカーメン、征服者のトトメス3世、そして一神教の改革を行ったことで知られるアメンホテプ4世がいる。今回見つかった都市を建設したとみられるアメンホテプ3世の息子である。
アメンホテプ4世は「アトン神」を唯一神とあがめる宗教改革を行い、自ら「イクナートン」と改名、アマルナという新都を建設、「アマルナ芸術」と呼ばれるエジプト史上でもかなり独特の文化を花開かせた。彼の死と共にあっさり元へと戻ってしまうわけだけど…今回発見された「都市」も一度アメンホテプ4世に放棄されたのち、ツタンカーメンの時代にまた都になったと見られているそうで、あるいはアメンホテプの改革や遷都がなぜ起こったのか解明できるかもしれない、との専門家の声も出ているそうで。
とにかく保存状態のよいこの都市遺構、盗掘された形跡もないそうで、さらなる大発見もきたいされる。都市遺構につながる墓地遺跡もあるとかで、これも盗掘されていない様子とのことで、ツタンカーメン級のオタカts発見も期待されているとのこと。
ところでエジプトでは3月末に例のスエズ運河のコンテナ船座礁事故や列車衝突事故、さらにカイロでのビル倒壊事故などが立て続けに起こり、ネット上で「ファラオの呪い」説が拡散してるんだとか。3000年以上経ってもあんまり人間は進歩していない。(追記:この文を書いた直後にもエジプトでは死傷100人超の列車脱線事故が起きていた…)
◆すわりの悪い話
トルコのエルドアン政権はかなりの長期政権になっていて、もともとイスラム政党で、建国以来「政教分離」を国是としてきたトルコにあって、じわじわと「イスラム政策」を進めてきたことはここでも何度か触れている。ここんとこその加速がかかっている感もあって、昨年にはイスタンブールの名所「アヤ・ソフィア」を公式にモスクにしてEU諸国の批判を浴びていた。かつてトルコといえばEU入りを熱望し、それを国是のようにしていた観があったのだが、最近はそれもやめたのか、ケンカ売ってるようにしか見えない例が目につくんだよな。
去る3月20日、トルコのエルドアン政権は欧州評議会(トルコはもちろん旧ソ連も含めたヨーロッパのほとんどの国が加盟している)が定める「女性への暴力とDV防止条約」からの脱退を表明した。トルコ政府の言い分は、「こういう問題は国際協定ではなく国内法でやるべき」というものだそうだが、アヤ・ソフィアの一件同様、エルドアン政権が国内のイスラム保守派に配慮したものと欧米諸国はとらえ、一斉に非難表明をした。トルコ国内でも女性たちによる抗議デモが展開されたというが、エルドアン政権としてはどっちの聞く耳も持たなそうだ。
そして4月6日、「事件」が起こる。この日、トルコの首都アンカラの大統領府をEUのミシェル常任議長(EU大統領に相当)とフォンデアライエン欧州委員長(行政トップで首相に相当)が訪問したのだが、ミシェル議長の方にはエルドアン大統領と並ぶ椅子が用意されていたのに対し、フォンデアライエン委員長にはそのような椅子が用意されておらず、フォンデアライエン委員長は部屋に入って一瞬戸惑った様子を見せたうえで脇にあったソファに腰をおろした。
フォンデアライエン委員長は女性であり、先日のDV防止条約脱退の件でも当然ながらトルコ政府の姿勢を批判するツイートをしていたので、これはトルコ側がわざと彼女に椅子を用意せず「低い扱い」にしたのではないか、との見方が広がった。EU諸国では「ソファゲート」なんて名前までついたそうで、ソフィアに続きソファが騒動になったわけだ。
一応トルコ側は「椅子などの配置は事前にEU側と決めた形にのっとっている」と意図的であることを否定しているが、過去に同様の状況で椅子を三つ並べた例があるので、EU側は「意図的」と疑っている。イタリアのドラギ首相はこの件でエルドアン大統領を「独裁者」とまで呼び批判しているとのこと。
ただEUおよび加盟国首脳たちの多くはこの騒ぎを大きくはしたくない様子。なぜかといえばトルコは冷戦時代以来その地理的位置から微妙な扱いを必要とする国で、ちょうど今ウクライナ東部のロシア系住民の独立運動を支援する形でロシアが大軍を国境地域に展開して緊張が高まっており、実際ウクライナの大統領はトルコを訪問してエルドアン大統領と対ロシアの協力で合意したりしている。EUとしてはトルコをあんまり強く刺激したくない状況でもあるわけだ。またエルドアン政権側もそうした足元を見てこのタイミングでやってるのかもしれない。
トルコ共和国の建国者ケマル=アタチュルクは、先述のように徹底した政教分離を国是としたことで知られるが、同時に「男女平等」を推進した政治家でもあった。「イスラム諸国が欧米におくれをとったのは女性を家の中におしこめたからだ」というのが彼の持論で、女性参政権など当時の欧米諸国より一部で先んじるほどの改革を実行している。女性の好みも「自立した女性」だったようで、当時においてはかなり珍しいキャリアウーマンな女性と一度だけ勢いで結婚している。結局他の女性の存在も含めたドロドロもあってすぐ離婚しちゃっているけど。
エルドアン政権、なんだかんだで国民の支持も強く、クーデター騒ぎも乗り越えてしまっているのだが、ケマルの簡単な伝記も書いたことがある僕としては、ケマルの決めた方向が次々とひっくり返されているようで、トルコの先行きにいささか不安も感じてしまうんだけどね。
◆米大統領は大変です
バイデン大統領が就任してぼちぼち三か月。コロナのせいもあって少々遅れたが、つい先日日本の菅義偉首相が訪米、直接対面では最初に会談する外国首脳となった。前任者のトランプさんの時も最初に安倍前首相が会ってたし、日本はアメリカ親分の一の子分みたいなことになってるんだな、と実感してしまう。「一の子分」といっても向こうがどう思ってるか微妙な気もするが。
日米首脳はお互いに「ジョー」「ヨシ」と呼び合う仲となったそうだが、これまたレーガン・中曽根の「ロン」「ヤス」以来の伝統みたいなもの。ファーストネームで呼び合う習慣が薄い日本ではこういうのは「特別な友達扱い」と認識するんだけど、あちらはそれが普通だったりするんで感覚はだいぶ違うんじゃないかと。そういや安倍さんはプーチンさんを「ウラジーミル」とよく呼んでたけど、どれほど仲が良かったかは疑問だ。
一応菅さんを「厚遇」したとされるバイデン政権だが、日本側が事前に強く要望した「夕食会」はコロナ対策を理由にパス(まぁ日本でも「会食」が何かと問題になってるよね)、ハンバーガーのデリバリーをとるだけにしていた。ハンバーガー、アメリカ人には国民食なんだろうけど、菅さん、食う気にならなかったか、バイデンさんは一人食べるわけにもいかなかったか、あるいは二重マスクのガードを外す気にはなれなかったか、結局二人とも手をつけなかった。あのハンバーガー、やっぱり「その後スタッフが美味しくいただきました」ってことになってるのかな。
今回の日米首脳会談で目玉となっていたのが、共同宣言に中国に対する「牽制」をどう盛り込むか、だった。昨年来の香港のこともあるし、これまでチベット人気(?)の陰に隠れていたウイグル問題がにわかに欧米でブームとなり(不思議とそれに伴いチベットがほとんど言われなくなったような)、また台湾や南シナ海への中国の強圧姿勢も目につく昨今、当選前から対中強硬になると言われていたバイデン政権としては(トランプ信者たちはバイデン政権だとアメリカが中国化とか騒いでたな)ここで強く牽制文言を入れたい意向で、事前に日米双方の事務方が文言をめぐって結構やりあっていたという。
そして出来上がった共同宣言ではウイグルや香港と並んで「台湾」が明記された――ってんで大きく報じられたが、実際の文言は「台湾海峡の平和と安定の重要性」を唱え、「両岸(中国と台湾をまとめて指し、一応「同じ国」の枠内におく)問題の平和的解決をうながす」という、通して読むとそれなりに和らいだ表現にはなっている。特に「両岸」以降の部分は日本側が強く求めて追加させたそうで、アメリカ側はもっと踏み込みたかったのに、と不満を漏らしてもいるという。
この共同宣言に、台湾政府は感謝を表明、中国政府は型どおり「内政干渉だ」と反発表明をした。型どおり、と書いたが「強烈な不満」なんてのはまさに定番表現で日本語で聞くほどの強烈さはないし、人民日報でも扱いは小さかったとされている。この日米会談と同時にアメリカの特使が中国を訪問して地球温暖化対策などでは合意したりしてるので、「52年ぶりの台湾明記」とまで大騒ぎする話だったのか?という印象もある。まぁ「牽制」すること自体はそれなりに意味があるとは思う。
ところで「52年ぶりの台湾明記」についてだが、52年前といえば1969年。アポロが月面着陸した年である。日米首脳はそれぞれ佐藤栄作、ニクソンである。ニクソンはそれまでバリバリの反共主義者として知られ、当時は日米ともに台湾の国民党政府を「中国政府」と承認し、中国共産党政府を敵視する姿勢をとっていた。そんな時の共同声明だから「台湾明記」といっても今日とはずいぶん状況が異なる。
そして翌々年の1971年、ニクソンは電撃的に中国訪問を発表、世界をビックリさせた。日本政府には「同盟国だから事前に教えておくね」と発表3分前に連絡してきて、佐藤栄作を激怒させた。アメリカが北京政府承認に乗り換えちゃったので、日本も田中角栄首相が訪中して国交正常化に踏み切るのだが、この動きに対しニクソンの懐刀で中国への密使にもなったキッシンジャーは「裏切者」呼ばわりしたというから、まぁ恐ろしい。
こういう前例もあるから、日本としては中国はもちろんだが、アメリカ相手にも気を付けた方がいいわけで。今回の共同宣言で日本が強くは踏み込まなかったのは中国との経済的関係(昨年ついに対中輸出は総輸出の二割を超えた)があるからでは、とアメリカ側から言われてるそうだが、
アメリカ大統領は実質的に「世界の王」なので、日本や中国だけでなく、世界中あっちゃこっちゃのことに首を突っ込まなくてはならない。ミャンマーで続く軍部の大弾圧を批判し、ロシアがウクライナとの国境に大軍を集めていることへも牽制に黒海へ軍艦を派遣したりもしている。国内ではコロナ対策をやんなきゃいけないし、で大忙しなのだが、バイデンさん、もう78歳のご高齢なので大丈夫なのかと思ってしまう。
首を突っ込むのではなく、手を引くことになったところもある。これはトランプ政権時に決めていたっことを引き継いだものだが、今年の9月11日を期してアフガニスタンからアメリカ軍が完全撤退することが発表された。「9月11日」とは、2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ」からちょうど20年の節目だから、というわけだが、この20年でアフガニスタンの状況がどれほど良くなったのか、あるいはアメリカ軍やNATO軍が引き上げたあと、かつてのソ連撤退後みたいにアフガニスタンがよけいに変なことになる可能性もある。というか、現にタリバン勢力は相変わらず強くてつい先日も米軍施設へテロ攻撃していて、政府との和平交渉も進捗してる気配がない。ホント、この20年の駐留はなんだったんだ、と。
ついでのように書いてしまうが、アメリカの隣国であり、これまで長く複雑な関係史があるキューバでは、予定されていたとおりにこの4月でラウル=カストロ氏(89)が公的立場から引退、キューバ革命以来60年あまり続いた「カストロ兄弟支配」が終わることとなった。兄のフィデル=カストロが亡くなった時にラウル氏が継承したときは「もっと若い世代にやれる人がおらんのか」と首を傾げたものだが、なんだかんだで平穏無事に引退までこぎつけた。それにしても90近くまで現役でやるとは…。これと同時に他の革命世代の生き残りもそろって引退し、キューバは本格的に革命後世代が指導することになる。
かつてキューバは実質的にアメリカの植民地で、そこで革命が起きて社会主義政権になったために国交もなく長い対立の歴史が続いた。冷戦終結後もその状態が続いたが、さすがに最近、とくにオバマ政権の時には関係改善が進んで国交回復の気配が見えていた。だがトランプ政権でそれがひっくり返され、バイデン政権誕生でまたひっくり返るかな、という状況。引退にあたってラウル氏もアメリカとの関係改善に期待をにじませていたがその一方で「片足は鐙(あぶみ)にかけておく」と、いざとなれば一戦も辞さずという表現もしていた。
2021/4/20の記事
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